老子自由訳「汚い」があるから「美しい」があるのさ

老子
(老子)ウィキペディアより

久しぶりに加島祥造訳「老子(タオ)」の自由訳を載せます。何もないから「働きをする」。部屋が物でびっちり溢れていたら、誰も入れない。コップも中の空虚空間があるから「水」や「ジュース」が入れられる。空間があるから地球も浮いて存在している。ノーベル物理学賞を取った湯川秀樹さんが、少年時代から老子を熟読して、後の中性子の理論を発見するヒントになったらしい。青色は本文では黒丸点が打たれています。

第二章「汚い」があるから「美しい」が在るのさ

天と地が生まれて

物に名がついたわけだが、

名とは

物の表っ面(うわっつら)にただ張りついてるだけなんだ。

美しいと汚いは、

別々にあるんじゃない。

美しいものは、

汚いものがあるから

美しいと呼ばれるんだ。

善悪だってそうさ。

善は、

悪があるから、

善と呼ばれる。

悪の在るおかげで

善があるってわけさ。

同じように、

ものが「在る」のも、

「無い」があるからこそ在るといえるんでね。

お互いに

片一方だけじゃあ、けっして存在しえないんだ。

長い、と言ったって

短いがあるから長いのさ。

高い、と言ったって

低いものがあるから高いんだ。

ひとつの歌だって、そこに

声とトーンがあるから歌になる。

前だって

後ろがあるから

前もありうるってわけでね。

だから

道(タオ)の働きにつながる人は

知ったかぶって

美醜善悪を手軽くきめつけたりしない。

ものの中にある自然のリズムに任せて

手出しをしない。

すべてのものは生まれ出て

千変万化して動いてゆくんだからね。

このタオの

本当のリアリティを受け入れるとき

人は

何かを造りあげても威張らない。

成功しても、

成果を自分のものにしない。

自分のものだと主張しないから

かえって人から忘れられない。そして

誰もその人の成果を

奪い取ろうとしないんだ。

明日は「ネット・バカ」ニコラス・G・カーの第1章の紹介です。

 

 

 

 

「人類滅亡後もデータを残せ」という記事

データ
写真はジョウジア州にあるグーグルのデータセンター(ニューズ・ウィーク2015年7月14日)

こういうテーマで「NEWS WEEK」7月14日号の50pに書いてあった。「インターネットの父」と呼ばれるビントン・サーフが懸念しているのは、デジタルの暗黒時代の到来だ。全世界のデータの80%がここ2年間で生成されている。

グーグルという企業があって、私のブログもグーグルだけど、この企業だっていつかどこかに売られたりして、データを買った企業が私のブログが消去される場合もあるし、巨大なグーグルのデータセンターにあるデータも10年後、20年後に解読できるスキルを持ったスタッフがいなくなる場合も考えられて、実はデジタル機器は紙や粘土板に比べて耐久性が低い。劣化しやすいのだ。

サーバーも約5年で交換が必要で「何気なく、地図や写真もデジタル化すれば、永久に保存できると思ってる」がエンコード(記号化・符号化・暗号化)されたデータを解読できなくなったらおしまいだ。実際、NASAが1975年、火星探査機バイキングを送り、10年後、得た情報を解読しようとしたら最大20%は読めなかった。読み取るソフトウェア・スキルを持った人がいなかったのだ。

そこで、いま開発をしているのが約3億年の保存に耐え得る永続的に記憶できる装置だ(磁気ディスクや光学ディスク)。石英ガラスを使ったものだが、コスト面でまだ折り合わない。石英ガラスに記録した聖書のコピーは「人類滅亡後も残る」(別に聖書でなくてもいいけど・・筆者)。さらにDNAを構成する4つの塩基で記憶容量を爆発的に増やす。DNAの記憶容量は1gあたり、700テラバイトだと。親指大の合成DNAで700億冊分の本の複製が収まると。

うーん・・。日立製作所も石英で記録メディアを最先端で研究していると書いていたが、そもそも人類滅亡した後にも記録メディアを残す必要があるのだろうか。新しいホモサピエンス(仮称)が現れて(進化して)、現人類の文化文明を解読する営みは、エジプトのロゼッタストーンの解析やヒエログリフ(楔形文字)読解、中国の亀甲文字解釈を遠い未来に延伸させているのだろうか。

しかし、それは共通の人類というカテゴリーの中での営みなので、どうも「人類の滅亡の後」というイメージがSF映画にしろ、ひとりふたり残っているのだし、よくわからないところがある。「人類滅亡後もデータを残せ」は神でも信じていないとなかなか出てこない発想と思うがどうだろうか?地球外知的生命体がやってきて、地上の差別や戦争をなくすアーサー・クラーク「地球幼年期の終わり」で翼と角・尾を持った悪魔が人間を知るために図書館で読書をしている風景にはぞっとしたけど、滅亡までは行ってはいない。

人類の歴史を考えてせいぜい2000年から3000年くらいでちょうどよいと勝手に考える筆者である。それ以外は、岩に絵を書いたり、洞穴に紙を石棺に入れておくだけで十分残せると思うのだ。未来に電気があるという保証もないわけだし。太陽はまだ50億年あるわけだし、日の光のもとで読めるのはそういう類ではないか。してみると、ネアンデルタール人の洞窟絵画の世界に逆戻りになってしまうが、デジタル化して結局、初めの世界に戻ってしまう運命なのかなとも思う。

一番大事なのは、人類が滅亡しないように皆さん振る舞いましょうではないか。そのためにデジタル機器や機能を期間限定でもいいから(多少の劣化に目をつぶって)使いましょう、バカにならない程度に。そう私は思うのだが。

「炎上しない話し方」ほか雑談。

恵庭図書館
恵庭市立図書館・蔵書29万2千・貸出数62万6千・人口6万9千・登録3万9千(ブログの源)

古市憲寿著「だから日本はズレている」(新潮新書115~119p)に自身がフジテレビの番組でコメンテーターとして出演したときの発言に、苦情の電話、2ちゃんねるでスレッド立ったりしたことへの反省をこめて、書いていた。

こういう状況になったら、正義や正しさを幾ら語って説いてもダメ。そういう世界から外れるんだよ・・という認識をもって「炎上しない話し方」について語っていた。そのネタ本が「誤解されない話し方、炎上しない答え方」(ディスカバァー・トゥエンティワン)。(1)ネガティブな話をしない(2)差別的な発言をしない(3)犯罪を肯定するようなことは言わない(4)批判は慎重に(5)話し相手を錯覚しない(6)他人に関わることは根拠と説明を十分に・・・・・という六つのアドバイス。

これはメディア露出する機会が多い人から無名の人まで、言えるかもしれない。文字数の少ないツイッターは、詳しいあれこれの説明を書く字数がなく単刀直入だ。また、わかりやすい例として1968年、倉石忠雄農林大臣(当時)が「こんなばかばかしい憲法を持っている日本はメカケみたいなもの」という発言により、辞任に追い込まれたというエピソード。(余談:現在の自民党と公明党は全員辞職だよね)これはこういう言い換えをする「日本は素晴らしい憲法を持っている。しかし、それはいまや時代や現状に合わない憲法になっている」。炎上する要素がない。なんだか筆者は官僚の作文のような気もするが。

古市さんは「ツイッターでは人権意識などに対して感度が高い人が多数生息しているうえに、感度は高くないが勝ち馬に乗りたい迎合主義者が溢れている。ちょっとした発言が大炎上のもととなる」。しかしだ、こんな委縮した優等生だらけの社会も面白くもないと古市さん。そこで中川淳一郎「ウェブはバカと暇人のもの」(光文社新書)を紹介。誰を相手に語るかが重要で、無料で見られるテレビやネットは「炎上しないように」、しかし、ほぼ読者や想定できる雑誌やラジオ(ラジオはいま面白い・・蛇足です)では過激なことも言ってみる。私もバカで暇人に入るから毎日ブログを書いているわけだ。暇人でなければ毎日ブログ更新を日々の日記以外書けるわけがない。

企業もネットで自社製品の悪口が書かれていないか超神経質になって、それを専門に捜して報告する会社まであるとはおそれいった。ネットで書かれているのは、世間全体からすれば氷山の一角だ。企業が真剣に考えなくてはいけないのは、ソーシャルメディアの影響力の低さだろう。ソーシャルメディアをいくら活用したところで、マスメディアを使った広告宣伝の代わりには、決してならないということだ。

ソーシャルメディアを使って効果があるのはせいぜい数万・数千の世界。書籍広告には適している。「炎上しない話し方」からテーマがソーシャルメデイアに話が変わってしまったが、私の周囲にもアナログの大事さを説くコンピューター専門家が何人かいる。ノートパソコン数台で動かせる機械をざわと大型画面を作って誰もが可視化して見えるように作業をするのも、「人間のミス、不注意、体調、夫婦関係、不眠によるミス(スペースコロンビア・チャレンジャー炎上はNASA職員の不眠症だ)、悪意の発生」などデジタルとは一見無縁な要素が決定的な場面で出てくるからだ。所詮、人間のすることなのだ。

明日は「人類滅亡後もデータを残せ」というテーマを予定しています。