看護師を養成する学部の講師を永年していて、晴れて退職を迎えたクラスメートの話。ボランティアで分裂病やうつ病に苦しむ人たちの「いのちの電話」対応もしている。前にも書いたことがあると思うけど、彼曰く「1クラス50人だとして生徒の半分はうつ症状を呈している」と彼は判断している。そのために、彼はひとりひとりに自分の携帯電話番号を教えて「何か相談事があれば電話するように」と授業の終わりに言った。筆者の学生時代は、ランチタイムの食堂や喫茶店で同人誌仲間やクラスメートとおしゃべりばかりしていた。学園紛争を横目で見ながら、ノンポリが圧倒的な多数の中で、飲んで騒いで、バイトしてストレス発散していた。私も朝刊100部の新聞配達をして月額1万円を稼いでいた。
余談になるけれど、そのころの私は私は自分の学部と全く関係のない、スラブ研究会の定例会に行くのが楽しみであった。中村健之助(ドストエフスキー研究者)やロープシン『蒼ざめた馬を見よ』の翻訳者・工藤正廣(パステルナーク研究者)、ゲルツェンに詳しい人、何をおいてもラーゲリ帰りの『生き急ぐ』の内村剛介さんがいた。ソルジェニチィンの「収容所列島」は誤訳で正しくは「収容所群島」だとも教えてくれた.内村さんから詩人の石原吉郎、画家の香月泰男の存在も知った。次々と私は勉強課題が出てきて、学校の授業どころではなかった。ロシア文学が賑やかであった。
話題を戻して、彼が言うのには、ここ10年(いや15年前)以上前から生徒が変だと言う。教室の中でクラスメート同士のおしゃべりが圧倒的に少なくなってきているというのだ。彼も私もうるさいほど教室で討論や会話の中で過ごしてきたので、反動で静けさを強く感じたのだとは思うが、それにしても雑談が無さ過ぎる。しかし、自分への携帯電話相談はクラスの生徒から頻繁に鳴るのだと。「そのくらいのこと、仲間に相談すれば済む話をわざわざかけてくる生徒もいるのだ」と。中身は今度会って、聞かないといけないが「自分で解決する習慣がないのではないか」。
そういえばパソコンが企業に入ってから、社員同士のメールが始まると隣の席の人に「今夜飲まない?」。口頭ではなくて文字での伝言(メッセージ)に変更だ。第三者からみると秘密結社みたいな世界だ。口頭で言うと、来なくていい説教屋が突然参加する危険を回避する行動だと思えばいいのだろうけど、もっとフランクな弱い人間関係のいい加減な世界を許容することができないのだろうか?きつい人間関係は厳しい排除を必ず生むから。新興宗教も既成の宗教もいざとなったら、必ず排除行為・言動が出てきて殺し合いが始まる歴史を2000年以上にわたって人間は繰り返していることを思い出したいものである。
