3月のコーヒータイム

1)3月26日午前11時の新千歳空港はA・B駐車場は満杯、しばらく待つ羽目になった。福岡便で来る孫を待ちながら、団体バスが「トマム行き」「富良野行き」の旗を持ち、春休み旅行と思しき大学生の集団も。本州へ旅立つ娘や息子を見送りに来た親たちも多く、異常な混雑であった。千歳市の新型コロナウィルス患者が石狩管内で減らない背景に空港の存在がある。しかし、新型コロナオミクロン&次の型はいつになったら終息するのか、とりあえず長期間の休みが取れたら旅に出て、美味しい空気を吸いに行こうとやってきた感じがした。「きのとや」の前もいつものことながら長い列だ。紀伊国屋空港店でニューズ・ウイークの表紙に「ニッポン低賃金の解」~何十年も給与が上がらない原因は?~があったので買って読んでみた。最後の職場で人事を担当していたとき、正社員・事務職・土日休み、給与16万円の求人募集をした。履歴書が大量に届く、メールでの申込みも読み切れない数だ。既婚者の男もいたが奥様との共稼ぎだ。独身の女性なら自宅から通わないと暮らせない金額なので、そのあたりで面接をしたが、大手の企業で働いていても系列の派遣会社であったり、とにかく正社員になりたい願望が圧倒的に多かった。38年前に私が27歳で働き始めときにもらっていた給与と変わらない。恐ろしいことである。市役所はじめ公務員の世界も短期雇用が多く、さらに図書館や会館運営も外部企業へ丸投げ、そこで働く人たちは時給であったりボーナスゼロで働いている。さらにシングルマザーの増加もあって、一時デフレ経済であったところが、食品とガソリンの高騰で全物価が値上がり、貧困感や節約感が増えている。しかし、貧困感どころか明日の暮らし、食べ物さえなく飢餓に入ってる日本の子どもたちやアメリカの子供、アジアやアフリカも大勢いる。町中でデモするエネルギーさえ失われニュースになりにくい。

2)そういう社会であっても希望を持たないと生きられないわけで、私がよくしていたのは、仕事が終わっても、営業途上でも「おしゃべり会」であった。違った人間の大脳と言葉や表情でぶつかり合うことだった。刺激的な本の紹介や彼個人の体験談も有意義であった。中学の同級生から、貧しかった札幌東区時代「俺のうちが一番金持ちであったかもしれない」と告白されたこともある。酒問屋で、父親は毎日、ススキノで散財していたというのだ。どうりで、わざわざ西区の高校へ東区から通うのは彼一人だったわけがかった。育ちが違っていたのだ。貧乏育ちはこういうところに敏感だ。子供時代に植え付けられた思考の癖は年齢をどんなに重ねても取れるものではない。

3)思考の癖といえば、新型コロナウィルスまん延と感染、マスク着用癖が自分たちの思考の飛翔を妨害しているようにも思える。異常な積雪に苦しんだ北国であっても青空と春が来た3月末日。6月に白内障の手術を終えたら、次の仕事探しをする予定だ。何をするにしろ、ものが見えずらいと周りに迷惑をかけてしまう。老人性白内障と診断された。

東千歳 パレットの丘

仕事も人生も回っている!?

人間は自分で思う以上に適応性があるもので、『これしかできない』と限定せずに、若いうちはいろいろ体験するのがいいのではと思う。私は10代後半からアルバイトで26歳まで朝早い札幌市水道局内の掃除から新聞配達、家庭教師、道内の林道測量助手、新聞社の校閲、自動販売機のジュース入れ替え、古新聞収集、戸建の塀つくりのための穴掘り、世論調査アルバイト、愛知県岡崎市で風来坊暮らしをして27歳で正社員で地元の小さな総合広告代理店に勤務。そこで結婚。さらに3回の転職。

31歳のときにクビになった社員を助けるために前札幌市長の弁護士上田文雄さんと組合活動、1年間、クビになった女性を職場復帰させるための民事裁判に入り、勝つには勝ったが疲れてしまって退社。退社した後、聞いた話では、復帰はしたが会社への恨みつらみから、朝早く来て夜は遅く帰り残業代を毎月ごっそり稼いで行ったらしい。本人に確かめていないから真偽のほどはわからないが、私の人生の転換点でもあった。しかし、組合活動で所属する企業を辞めて、33歳のときにようやく定年まで迎える職(企業)に入った。

探せば正社員ばかりの時代であったから、現代の派遣横行の世の中で、若い人がかわいそうである。『最初に勤めた正社員のときの給与とボーナスを失い、派遣の世界に入ると出られなくなる。最初が一番いい待遇で後はどんどん悪化するだけ』(ある人の感慨)。いつでも正社員に戻れる法律の改正はできないのか。派遣会社の入居するオフィースがどんどん高いテナント料のビルに引っ越しをする裏でどれだけの派遣社員が苦しんでいるかと想像する。アルバイトや安給与に麻痺をしているかもしれないとも思う。

しかし、時代は昔は憧れの銀行員も低金利でNISAを売り、投資信託を売り、預金集めができない。お客のところに行かない(行けない)。仕事にプライドを全然持っていない。それより、全体の社員数を減らすアナウンスだけが銀行内を走っている。『どこかにいい企業や転職先がないか。お金持ちの玉の輿に乗れるような女性はいないか』探している銀行員もいるかもしれない。

私の狭い経験で言うと、とても学生時代は営業ができるとは思わなかった。たまたま回された営業職にしがみついただけ。約2年しか在籍しなかったが、そこで獲得してきた大手のスポンサーをお土産で置いて退職した。30年後、そこの会長から声がかかって「若手の教育係で来ないか?」と誘われて定年後第二の職場になった。そして第三の職場が、あの組合活動をした会社から「営業マンがいないので安いけれど週に3回、午後からでいいから来てくれないか」。仕事も人生も回っている。世界のいま仕事・会社・失敗談営業への応援メッセージ無名の人々胸が痛くなる

去年の私と今の私は別人です。2022年版

 

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人間の体は、血液にしても細胞にしても、皮膚にしてもほぼ1年でがらりと変わってしまう。皮膚は下から新しい皮膚細胞が盛り上がり、垢となって風呂場へ消える。古い血液はどこにいくのだろうか?たぶん便として吐き出される。

心臓の筋肉も新しくなるというから、私が50歳のとき心筋梗塞を起こし、発見がヤブ医者のおかげで一日遅れて、ほぼ30%の心筋が壊死したが、専門医に聞くと「壊死した細胞は細胞分裂は起きない」とのことで20年が経過した。階段を上り下りすると息切れはするが、なんとか心臓の機能は果たしている。肝心な大脳細胞も細胞分裂を繰り返して、ほぼ1年ですっかり入れ替わる。(とはいえ最近は疲れやすい)

ということは、去年の私といまの私はすっかり、肉体が入れ替わっていて別人ではないかと思う。去年、ある金融機関から借りたお金は「去年の私が借りたので、今の私は大幅な細胞分裂で別人になっているのだから返す必要はない」とも極論では言える。しかし、これを認めれば、経済や国は成立しない。どんなに細胞分裂で何度も私が新しい自分になっても、同じ人と同定されることになる。

動的平衡の福岡伸一さんファンの人なら、この話が彼の著作に何度も出てくるから覚えているだろう。しかし、私がどうしてもわからないのは、こころとか精神とかはどうなっているのだろうかということだ。考え方や価値観や好き嫌いが肉体的な細胞分裂の繰り返しで、どのくらい変わるものなのか。また変わらないのか?「私は私だ」と思い込んでいる私たちに、その同一性は、常に揺らいでいるのだよと福岡伸一さんはパスカルの言葉を引用して書いていた。NHK 100分で名著 パンセ 148p

結婚のときのことを思い浮かべると、釣るまではエサをたくさん撒いたが、釣ってしまうとエサはやらないのはきっと私の細胞分裂のせいで、私が変わってしまったと言えばいいかもしれない。何でも細胞分裂に原因を求めると、自分の意思はどこへいくのだろうか。要は私は私のまま、生まれて死ぬまで、変わらない私だと言う幻想が歴史のどこかで入ってきたと思えば妙に私は納得する。そういう風にした、そういう制度にした。私は変わってはいけないのかもしれない。不自由な私である。しかし、これは妻側からも言えて「つき合ったときの貴方ではないし、私も変わった」と言えば妙に納得する。

ときどき、自分の意識や観念の世界から、「自分が脱出できればどんなに解放感を味わうだろう」と考えることがあるが、無理だ。夢の世界さえ現実が出てくるわけで、自意識の中でそれぞれが暮らしていると納得するしかない。自分の皮膚の中から出ることはできない。出ようとあがくのが芸術なのかもしれない。絵にしても彫刻や小説も、作り手が自分を表現しようとする以上に自分から出ようとしているように見える。

養老孟司さんが一日5分でも10分でも自然を見なさい、花を見たり、空を見上げたり、地面の虫を見たり、作物を手に取ったり勧めているわけは、意識の牢獄から瞬間的にも出て自然に入ることの大切さを言っているのだ。

人間の体はその年齢分の回数、入れ替わってると思うと不思議な感慨に襲われる。実はその答えは、一番上の図に回答がある。言葉や記憶や文字というツールが自己同一性を担保しているらしいのだ。特に記憶がキーマンだ。記憶もずるくて都合の悪いことは脇に置いてしまう傾向もあるから要注意だ。選ばれて記憶されていることも多いから客観性から遠い。主観の塊だということは覚えておきたい。