投稿ブログ連続第2弾です。5000頭以上の豚肥育してます。

豚屋です・・・
北海道は日本の食糧供給基地と言われ、北海道の食料自給率は100%超えてると言いますが、その現場の飼料、肥料、燃料すべて輸入で自給率は事実上ゼロです。
今や北海道ですら水不足に人手不足・・・
米国は、食料は国力の1番手として生産者に補助金出し、海外労働者入れ、世界中で安売り合戦を行っております。
資源もない、食料もない、我が国は、唯一のモノづくり技術までインチキまみれ・・・
戦後、日本のモノ作りは欧米のコピーで安かろう悪かろうで悪評にまみれましたが、それを覆して世界一のモノづくり国になりました。
最近まで、後進国の商品を日本人は同様な批評をしておりましたが、今はすべてそれらの輸入品に変わってしまいました。
米国に渡された台本を和訳した、ノリ弁当と批判された黒塗りだらけのTPP交渉議事録、種の保存のため食糧輸入はできないけど、お前ら食糧変えよと主張するオーストラリアやニュージーランド・・・
日本政府にもこれくらいやって欲しかったもんです。
皆さんご存知かもしれませんが、福島原発事故は最初から想定されておりました。
スリーマイル島で大原発事故起こした米国GE社のマークワンというプラントで、事故発生後、米国では販売禁止となり、GE救うために米政府が日本政府に買わせました。
つまり、福島の皆さんは日本の政治家の犠牲となったのです。
ちなみにGEは世界一の発明王エジソンが始まりの会社であることは言うまでもありません。

せめて、自給できそうなエネルギーはいつでも使えるような体制と、安く広大な土地を使って輸入燃料貯蔵基地になり北海道の存在価値を上げねばと、建設業時代、道庁官僚にかみついたのを思い出します。

2001年、我々の同胞を多数拉致して返さない国の長男が、ディズニーランドで遊びたいと不法入国しました。
拉致解決への最高の交渉カードが不法に入国しこれで問題は動くぞと思いました。
ところが、無条件で強制送還・・・

拉致被害者のご家族はじめ、日本国民が顎外れ、なんて腰抜け政府だと思ったことでしょう。
その時の官房副長官が、今や歴史上最長の総理な国なんですから・・・

注:日本の農業の自給率は2%だと思います。米だけです。北海道は観光客からみたら小麦・大麦。乳牛、羊、豚など農業と酪農の王国に見えますが、飼料は輸入で、これがなければ育てられないのです。戦後の農政の失敗です。食糧は大いなる武器ですから『飢え』という武器で住民を殺せます。だから欧州はすべて農業国として成り立ってます。第一次世界大戦後、ドイツはイギリス(似非紳士の国)から港湾封鎖をやられて、1915年8万8000人、1916年12万1000人、1917年25万9000人、1918年29万3700人、合計80万人以上のドイツ国民を餓死に追いやりました。さらにイギリスは過酷なベルサイユ条約にドイツを追い込み、第二次世界大戦の下地(ヒットラーの台頭)を促しました。封鎖することは、何か懲罰を与えると思いますが、歴史の教えるところは逆でさらにひどい世界へ追い込むことになるのです。日本が原油包囲網をされたことが、軍事政権を生んでしまった原因でもあります。自給率を意図的に上げていかないと相当まずい状況になります。しかもスーパーやコンビニ、レストランで捨てられる膨大な食品。料理を考えると、いずれ罰が当たる(古い表現ですが私の両親が口を酸っぱくして言ってました)気がします。

養豚を営む知人のコメントです。(北海道の石炭事故の記事に関連して)

豚屋です

ご無沙汰いたしております。
夕張や地元に元炭鉱があり、林業も盛んだった地に住んでいて、なおかつ建設業からの転業者として思うこと・・・
北海道はすべて国策による産業に依存してきたということです。
国のエネルギーを支えてきた石炭、戦後復興を支えてきた木材供給地としての林業、そして、北海道開拓から、国策が海外輸入品に負け始め石炭産業・林業社を国が公共事業へ導きながらも、それすらもう限界となってしまいました。

もう国には頼らない。
そんな決意で、転業したのをふと思い出します。

(注*HACCP(ハサップ)とは。↓)

 

この春に、HACCPを取得しました。
その発表会を帯広でさせられましたが、そこで最後に言ったのは、HACCPは何一つ、会社や生産物の品質を担保してない。
ISOを持っている、世界に冠たる自動車会社が法に反する検査をし、燃費データや排ガスデータの改ざん、大手ゼネコンが杭の長さケチってマンション傾き、日本の老舗の鉄鋼会社が製品の規格偽って、世界一のエアバックメーカーが一瞬にして破産に追いやられた・・・
ISOもHACCPも消費者にはまったく関係のない資格であり、すべては正直に、助けてもらってありがとう。間違ったらごめんなさい。

それが信用と信頼を築く唯一の方法ではないかと講和してきましたが、思いのほか反響ありました。

もういい加減、アメリカの作った台本に従い、自国民に我慢を強いる仕事しかしない政治家や官僚には辞めてもらいたい・・・
そんな気持ちでおります。

 

自分を愛しすぎると、他人を見ることを忘れ、社会の迷子になる(阿久悠)

『今の人はとにかく自分が好きである。自分のことが好きで好きでならない。その上、自分さえあれば社会は成立すると考えているようである』の文章で始まる、阿久悠さん『清らかな厭世 言葉を失くした日本人へ』(新潮社242p)の発言。

私も世の中、どこへ行っても、そういう類の人間の塊を見てしまう。他人の視線を気にするとよく言うけれど、それも『自分を愛し過ぎる』からこそ出てくる振る舞いで、率先して、『自分のことは後にする』ではなく『自分のことを先にして』生きるモードばかりである。まずは隣や横の人が困っていないか配慮して生きていた人が昔は隣近所の節介焼きやクラスの生徒会長などにたくさんいた。私自身、そういう人に囲まれて生きてきた幸福な時間を持っているから、自分にもお節介の癖がついてきた。今でも20代や30代の人間に接するときは、『そこまで気になさらないで』と言われることが多い。そしておしゃべりときてるからあんまり信用はされていない模様である。

しかし、私から現代人を見て、とにかく自分の世界があるのかないのか、あるように見せかけて『自己愛』に閉じ籠る。関心のあることには異常なまでの執着を示していながら、世の中全般や他人との敬語を交えた会話や丁寧な振る舞いは苦手なようである。そういう私も、それが理想的な振る舞いとは思えるが、なかなかできない。

で、大事なのは最後の『社会の迷子になる』という一言で、他人と自分の組み合わせの世間で自分の位置を知ることは、迷子にならない近道である。家族の中でのはっきりした自分の位置づけや地域社会での構われかたが明確であると、人間は幸せ感が強まり、『社会の迷子になる』ことがない。『孤立した自分の部屋に住む子供』より、洞穴で家族が一緒に住むネアンデルタール人のほうが幸せかもしれないなあと思う瞬間である。言葉もそんなに複雑な話はできないが、接触と声と行動で家族のコミュニケーションを取る彼らは現代人より、日々充実した毎日を送っただろうと思う。

殺人事件の半分以上が親族間で起きる日本の現実を見て、『ネアンデルタール人に学ぶこと多いよ』と伝えたい気持ちになる。彼らは、自分のことより家族のこと、隣の家族との協調を第一に生きてきたと思う。それが結果として、安全で落ち着いた、静かな毎日を保障してくれて、大脳から幸福なホルモン・セロトニンを分泌してくれるのだと体で覚えたことだ。阿久悠さんの言う、社会の迷子にならないために、いい顔をした人間で最後を全うしたいものである。