デニソワ人の発見・・・・!

『サピエンス全史』(上)にデニソワ人が出てくる。さらにこの本は3種ではなくてもっと多い人類の共存を示唆している。読み始めなので詳しく書けないが・・・・。

3種類の人類が共存(デニソワ人の出現)

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「NEWTON」(2016年3月号 5p)。ネアンデルタール人と私たちの先祖とされるホモサピエンスは数十万年も共生していて、SEXも行われていたというのが大体、人類学の常識であったが、さらに南シベリア、アルタイ山脈のデニソワ洞窟で2008年人骨が見つかった。DNA分析したところ約3万5000年前に絶滅したとされるネアンデルタール人と近縁であることがわかり、「デニソワ人」と名付けられた。


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同じ洞窟の5万年以上の地層からさらにデニソワ人の奥歯(大臼歯)が見つかり、それはネアンデルタール人や現代人より大きくオーストラロピテクスなどの初期人類にある歯茎より上の突起物が無かった。(ドイツ マックスプランク研究所)彼らは長い間、洞窟居住生活をしていた。そして、この地域ではネアンデルタール人もホモサピエンスの骨も発見されている場所なので、1か所から3種の人類の骨が出てきて、これら3つの人類は数万年間共生していたと想像される。


ということは、第四、第五の発見の新しい旧人がいつの日か実現して、共生した人類の数が増えるかもしれない。学問は日々生きている。損にも得にもならないが、知的な興奮だけは残してくれる。さらに新しい発見があることを。筆者は願う。

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ルンペンプロレタリアート 妄想ブログ

 

夏休みに九州から孫が帰り、ドライブに車の中で尻取りをして遊ぶ。柔らかい大脳なので言葉を次々に覚えてくれるし、日本語習熟と私の記憶に沈む単語も突然出てくる。パンツ→積み木→キリギリス→寿司→シマウマ→マンドリル→ルンペンプロレタリアート・・・。定番の言葉の進行である。

 

1回目は『何、それ?』と聞かれ、『貧しい上に貧しい人々を、住む場所もなく転々と生きる人たちをルンペンプロレタリアートと言うんだよ』と教えた。私が10代のころ、マルクスが書いていたプロレタリアート独裁。その中で、マルクスもどこか軽蔑をしていた人々。傍から見たら『乞食(こじき)』を称して『ルンペン』と言っていた。ジプシーも入る。6歳の孫にこの単語を教えていいものか、迷いはしたが、以降、私が『ルンペンプロレタリアート』というと車内はどっと笑いに包まれる。同世代の妻はルンぺンという単語とプロレタリアートという単語二つは理解するが、つなげた単語には呆れる。『もう、その言葉言わないで』と言いながら、ゲラゲラ笑っている。

 

『食』は『職』に通じて、仕事を求めることは、職を求めることすなわち食べる(食)を求める行為で、求めることを『乞う』とすれば、サラリーマンの実態は実は『乞食』なのかもしれないと妄想する。背広を着て,先のとがった靴を履いて、ノートPCを開いて、イヤホンもつけてスタバで仕事をする人も、アクビをして会社行きたくないモード全開の中年も、手帳を出してスケジュール満載に笑みを浮かべて、私は仕事ができて忙しいムードを押し出す女性も含めてみんな『乞食』に筆者に見えてくるときがある。

 

私自身も乞食であったとつくづく思う、自嘲ではなくて。農民を見ていてうらやましいのは根本的に『食べる作物』を作る土地と技術と労働力を持っていて、ロシアの農奴、ヨーロッパの領主と農民の関係でなくて、生きるために食べ物を作る原型がしっかり見えることである。農民が飢える国はオシマイだということもあり、中世や江戸時代の飢饉の地獄絵、ペストで大量死する中世ヨーロッパの版画も見たが、現代は別な意味で『ルンペン』にならざる負えない時代である。『難民』『失業者』『大貧民』が『ルンペンプロレタリアート』に相当するかもしれない。プロレタリアートは『ルンペン』になってみないと彼らの心の中がわからないことだらけだ。アメリカのトランプ大統領の支持者に『ルンペン』までいかないにしろ『プチルンペンプロレタリアートの白人層』がわんさかいそうな気がする。

 

 

 

seto.se@y5.dion.ne.jp

 

動かないと事故に遭う確率が減る・・ほか雑感。

 

時代をさかさまに見ているようだけど、植物を見ていると、土の下では細かい根をお互い伸ばして水分と養分の取り合いをしているかもしれないが、戦いといえばその程度で、太陽の日を浴びてすくすく育っている。しかし,葉を太陽に向ける角度を巡って、また大きな葉に日を奪われないよう工夫する小さな花もある。小学生に抜かれて死を招く植物もあるかもしれないが、いたって平穏である。

 

平穏でないのは人間世界である。とにかく動くのが大好きだ。休みの日には、車を動かし高速道路を走り、バスに乗る。健康のため、テレビ局や広告屋さん、運動用具メーカー・清涼飲料メーカーの販促のために市民が動員されるマラソン。空飛ぶ乗り物で移動もする。夏だ海だ達郎だ・・で泳ぎに行く人も多い。評判のお店を回ったり『道の駅』のスタンプラリーをする夫婦やカップル、おひとり様も多い。とにかく何かしら動かないと生きられないかのような強迫的な毎日を送っている。事故に遭わないのが不思議なくらいだ。

 

交通事故、水の犠牲、心臓麻痺、ケンカや街中での刃物振り回しに遭遇したり、動かなければ事故には遭遇しない。事故に遭ってもいいから動きたい人は『どうぞ』と言うしかないが、事故に遭わないように動いている人が大半だとしても、他者(物)との遭遇から事故はやってくる。自分の意思ではないのである。ということは、実は『引きこもり』が一番、安全な生命を維持し続ける生き方になる。こういう観点から、『引きこもり』について書いている本は私の知る限りなかった。

 

『発明されたものや仕組みをすぐに使いたがるのが人間だ』とは文明史の教えるところで、武器もそうである。棒や骨・石や鉄を、他者を獲物を捕獲・殺害する道具に使う。旧石器時代は木の実や動物を捕獲できれば、しばらく家族でじっと昼寝ができる。どういう会話を彼らがしていたか知らないが、動きに無駄がないだろうと思う。そういう意味でライオンや猫や犬と同じで無駄なことはしない。

 

火山の噴火や洪水・地震・戦争の従軍で食べ物が枯渇すれば、先日見たNHK『インパール作戦』ではないが人肉を食べる。武田泰淳『ひかりごけ』にも大岡昇平『野火』にも出てくるシーンだ。人肉を食べるのはカニバリズムといい、『カーニバル』の語源である。イギリス側の当時の映像にむごたらしい日本兵の死骸の群れ。補給なく食糧なく、きれいな水もなく薬もなく国家に殺されたあの日本兵の映像はアメリカ側からの日本兵の遺体の映像とともに、見るのは辛いが現実の映像だ。

 

つくづく、我々の人生は、たくさんの死者の上に築かれていると思った瞬間である。