怖い医師!

これは私の仮説なので(ある知人とのお喋りでヒントをもらったが)、真剣には読んでほしくない。書かなければいいではないかと思うかもしれないがね。外科医(たとえば腹胸腔の手術をしていて)が途中に、これをこうすれば「人を殺せる」という衝動に見舞われたとする。

現代、医療はチーム医療だから麻酔医やレントゲン技師や看護師の集団で、さらにそれを見学する医師の卵も見ているかもしれない。しかし、私たちは医師は、患者の苦痛を取り除くのが使命と思っている。そのために薬を処方したり、手術や処置をする。栄養や健康の回復のためのアドバイスをすると善意に考えている。

しかし、全医師がその考えで統一されてはおらず、中に「人を殺せる」快感に溺れている医師がいたとしたらどうだろうかという話を友人としたのだ。それが何回も繰り返せば、マスコミの話題にはなるが、その場合、ほとんどが「医師のミスや下手さ、未熟な技術。病院側のチェックの甘さ」にすべての原因を持っていくが、本当は医師自身が「人を殺す快感に溺れている」といるのだとしたらどうだろうか?医師会の仕事を長く携わっていた筆者としても怖い想像だ。

医学部に合格する人の何%は人格的に(人間的に)常識が通じない変人が多いという説を聞いたことはないだろうか。私たちは「教師」はこうあるべき、「政治家」はこうあるべき、「警官」はこうあるべきという先入観に思考が左右されている。しかし何度も裏切られる世の中だ。

ある作家は「清貧の思想」を書いて印税で大金持ちになり、高名な仏教学者が、所得税隠しにマンション床下に「金の延べ棒」を隠していた。しかし、これは単なるお金の話で(どこにでも転がってる話題であるが)、命の話ではない。

医師=人を助ける(今は患者で儲けるかもしれない)が、ある医師だけはある大脳からのホルモン分泌で「殺すことに快感を覚える」人になってしまったというのは極端な話だろうか?一人を殺した人は2人目、3人目といくとハードルが低くなる(タブーを突破してしまった)。書いていて自分が気味悪くなってきた。そのせいか、これを書いた翌日38度5分まで熱は上がるやら吐き気も襲い、頭痛もやってきて、一日中寝てしまった。友人は聖なる職業を冒涜する「たたりではないか?」と言うのだが。

群馬大学医学部の事件はそう考えるとスラスラ解けるのだが。しかし、何度か手術台に上った筆者としては、周囲のスタッフの何人かは真相を必ず知っていると確信する。

蛇足ながら、医師で大量殺人を行った記録として英国のハロルド・シップマン(1946年~2004年)が自分の診療所患者215人、モルヒネで殺害した記録がある。

 

恵み野通信 

室蘭の工業地帯の夜景
団地の日本庭園 シロサギとカモがいる

1)何度も書いているが、夜が早くて4時5時になると、不安で落ち着かなくなる。精神安定剤代わりに眠剤を1錠飲んで気分を和らげている。11月が嫌いな人が私の周りにも多い。冬が近づくと憂鬱な除雪も始まる。若いときは力任せに雪捨てをしたが、いまはできない。さらに昔は、仕事上、正月紙面の作りこみがあってジタバタした記憶も蘇る。クリスマスや忘年会の誘いも多かった。飲み会も頻繁だ。ボーナスが12月5日だったことは鮮明に覚えている。都合のいい大事なと記憶だ。ボーナスが2回あれば、暮らしが楽になるのだが、本州の大学へ行った子供二人への仕送りで、住宅ローンとともに消えてしまった。

2)町内会を脱会する家が激増している話だ。班長が10軒くらいをまとめその上に区長がいるが、来年の区長が決まらない。老化で歩けない、病気で動けないなど。きょうも我が家に「区長をやっていただけないか」と町内の役員がやってきた。詳しく聞くと、これまで40軒をまとめていたのが半分になったので戸数が減った分、楽になりましたと言う。区長は夏祭りのお盆のやぐらとテントの設置、町内の飲み会の準備など一度やったことがあるが肉体的に大変。再来年は区長制度は廃止するらしい。私は健康面の心配があるので断った。同じ班の元市職員も定年後、退会をしている。

3)市内の牧場で障碍者を3人雇用して、国や道や市からの補助金を本人たちに渡さず、ネコババしていた牧場が告発された。その額は数千万円に及ぶ。しかも牧場主が恵庭市議会議長だったから、タチが悪い。そして牧場主は亡くなっている。30年以上、誰も気づかなかったのか?裁判の過程で新しいニュースが出てきたらまた書きます。全国で補助金をもらいながら運営される施設も水増し請求をしたり、国会議員と同じく「多くもらってしまえ」という体質。新型コロナウィルス集団接種事業も近畿日本ツーリストはじめ一次請負が過剰な請求をして、頭を下げてチョンだ。生き方に品性のない人が増えてしまった。何でも金だ金だという消費絶対主義が蔓延してしまった結果かもしれない。

4)図書のリサイクル市のために毎週、捨てられる本を整理していて、6月の開催から5カ月経過して、廃棄する本もたくさん出てくる。写真に廃棄される本があるが、大体この量で4000円を超える。廃棄本は文学全集や百科事典、古くなった児童書、文庫本でも活字の小さな図書たちだ。たまに「能(観世流)」の演目全集が見つかるときがある。来年の6月にこれを5000円で値札をつけてみるが売れるかどうか?

 

不便の効用

ponnpu

町内にある井戸ポンプ。井戸端会議会場だ。

時代は集中管理や便利さ、均一化、スムースさへ向かってるかに見えるが果たしてその未来に何が横たわっているのか?私自身、グーグルのWORDPRESSでブログを書きながら語るのも変だけど、いつ停電が発生し、電気で機能するライフラインが停止するか、交通機関も以前はディーゼルで煙を吐き出しながら、音もうるさく走っていたが、電流の力を借りずに自力で走っていて、架線にタコが引っ掛かかり事件で止まることはなかった。

水道も私の5歳や6歳までは、自宅に大きな甕(カメ)があって、井戸水や長屋の中心にある水道栓まで行き、水汲み仕事をしたものである。自宅横に石炭箱があって、子供の仕事は居間に置いてある石炭を絶やさないことだ。マキストーブの家は、秋になれば自宅横で木々を鉞(まさかり)切り冬に備える。火傷やケガは付き物で、鼻水を垂らして非力ながら家の手伝いをした。

中には朝から新聞配達や牛乳配達人をする少年も多かった。豆腐売りも夕方にやってきて、私は母から鍋をもらって「豆腐ひとつください」と言うと小揚げを1枚サービスしてくれた。新聞紙は捨てず、水に濡らして、掃除のときに床に撒いてゴミを吸引させるし、畳の下に引いてDDTを撒いて隙間風とカビ・ノミを防ぐ。さらに母は内職で賞味期限切れのご飯を鍋で煮て、糊を作り、新聞紙で市場(いちば)で使う商品を入れる袋を作り、記憶では1枚1円で売り、内職をしていたのを覚えている。

電話はなく、地主さんや商店主の家しか設置されていなかった。緊急は電報がよく使われていた。道は砂利道でアスファルトもなく、そもそも車の台数が少ない。病気になれば近所の医師が大きな黒鞄を下げて、白い割烹着を着た看護婦さんを伴い、時間が遅くても往診にきてくれた。わざわざ、自宅へ駆けつけてくれるだけで、両親も体の弱かった私も治るような気がしたものである。これが私が生まれた、幼少期の札幌駅の北口の風景だ。

馬車も走り、漬物用のダイコンや石炭を売り歩いていた。馬車の後ろに掴まってスキーをした子供が、馬車の急停止で頭を打って大けがもあった。調味料の貸し借りも頻繁で、ソース・塩・醤油(昔は多様な調味料はない)、ときにはお金の貸し借りもしていたと思う。地域が共同体で生きて機能をしていた。抽象的ではない、具体的な狭い経済圏であった。貧しい家には地主は丹前や和裁・座布団つくりのアルバイトを発注し助けてくれた。

知恵遅れの子供も町の中を歩いていて、彼らは私たちと同じ空間に生きていた。彼らは悪いことはしなかった。中学になって特殊学級という制度ができたと思う。仲良く運動会もして、修学旅行も彼らと行動をともにし、同じ部屋で寝た。良いことも悪いことも、表の社会に見えた時代、誰でも共通なコモンセンスの中で、地域で安心して暮らしていた。不便がかえって助け合いを生んでいた。不便は見えないところで効能があるのだ。