恵み野通信 お墓にブルーシート

お墓に昨日、ブルーシートをかけてきた。両親を11月1日に納骨して初めての冬を迎える。小さな墓なので穴の中に水が入らないようシートで覆ったわけである。強風でめくれないよう平たいレンガを6枚買い、飛ぶのを抑えた。果たして効果があるのかどうか?自分たちも入る墓なので心配ひとしお。「物を持つと心配事増える」です。ブルーシートを架けている墓は少ないが、墓前の花入れの盗難が多くて、そこだけ厚いビニールで覆っているのが結構ある。これを盗んで何に使うのだろうか?

12月1日現在、積雪ゼロ。ずっとこのまま年末がきて、正月が来て、除雪もなくて春が来ればいいと妄想するが、そうはいかない北国。排雪業者と契約している向かいのご主人に「ことしは雪は降りませんよ」と冗談を言って遊んでいる。

11月12、13日と末期がんでホスピスに入っている川崎の実兄を見舞った。自宅マンションの階段や坂道で転ぶので脳を調べたりしたが、前立腺がんと判明、しかし、さらに精密に調べると骨転移も見つかり、いまは肺や脳へも転移している。一学年上の兄で幼稚園から大学まで一緒。声がそっくりだ。転倒ははじめのころ、電話で単純な筋肉力低下だねと話していたら、違った。いまは痛みとの戦いが続いている。兄嫁から毎日、施設での様子、症状が送られてくる。私も2日間滞在した部屋なのでリアルに体感できるのが辛い。毎日、妻と長女・次女が交代で施設にきて脚を揉んでいる。

 

人間はねじれている(三木成夫)

昨年8月12日80歳で亡くなった編集者松岡正剛さん。有名な千夜千冊の217夜。解剖学者・形態学者・反還元主義でありタオイストでもある三木成夫さんの「胎児の世界」(岩波)を紹介するにあたって、松岡さんが彼の思想について2001年1月26日に書いていた。少し長くなるが、初めて読む人もいると思うので抜粋引用してみる。

「人間は捩(ねじ)じれている。人体のどこもかしこも捩(ねじ)じれている。生命の本質は(ねじれ)であろう」「内臓の末端は全部ねじれている。へその緒だって、大腸だって。耳も三半規管もねじれている。うんこだってねじれている」「脳もねじれている、ニューロンも捩じれ率の産物」「歩き方も体をねじって直立二足歩行をする。赤ん坊もねじれて出てくる」

生命の本質をねじれとする、具体的な用例を次々明かす本だ。三木さんの研究室には胎児の「ホルマリン漬け」がたくさん置いてある。生物の祖は驚くほど似ている。お母さんのお腹で大きくなる前の人間とかえるの幼児はそっくりだ。胎児が刻々と形を変えて、1億年の歴史を再現していることを詳細に追っている本。「地球に生きるすべての細胞はみな天体なんだ」

すごいのは、「脳は内臓すべて(血液の動向も尿道の出来事も入る)を反映している翻訳マシーンにすぎない」また「心は脳だけにあるにはあらず、体の各所にも出入りしている」という仮説。心配事があると内臓が病んだり、膝も筋肉も弱ったり、目もパチパチしたり、心の変化は体のどこにでも現れる。

日本にすごい学者がいたもんだ。三木成夫さんは1987年死去していている。

ある葬儀屋さん・棺桶の輸送と娘の死

美瑛かな

「何か面白い企画はないだろうか」と葬儀屋さんをスポンサーに持つ付き合いの深い広告代理店から相談があった。当時、〇〇川柳が流行っていて「遺言川柳」を実施して読者から川柳を投稿してもらい、それから20作品くらいを選んで新聞に発表してはということになった。UFJ信託が同名の川柳を実施していて、UFJの広報部へ問い合わせたら、そのネーミングは使わないでくれということで、こちらは「さわやか」と新聞社の冠を付帯して実施した。集まる集まる。1000句くらいハガキが来た。

あらかじめこちらの関係者で100首選択、次に4人の選者で20作品を選び発表した。ずいぶん親しい付き合いをさせてもらっていた。ある日、筆者へ葬儀屋さんの「娘さんが亡くなって、お別れ会は〇〇日だ」と連絡が入った。「えっ!」「自宅マンションから」。社長の次女で高校1年生だ。ピアノやギターを弾いて自分の曲をテープへ吹き込み歌づくりもしていた娘さんだ。詳しい原因は聞けなかった。社長は業界では人望もあり、素晴らしい人格の持ち主で筆者も尊敬するひとりだった。

お別れ会当日は、父親の経営する葬儀場に、同級生がスクールバスで駆けつけたり、広い北海道の同業者含め物凄い数の出席者。1階2階吹き抜けにしてもまだ入りきらない。無宗教の音楽葬で、札幌交響楽団のメンバーのバイオリン演奏だ。正面には彼女が愛用したギターと子供用ピアノが置かれていた。お父さんの涙をこらえた挨拶もすごかったが、それ以上に同室のお姉さんが「目の前にいた〇〇の気持ちを汲めなかった。私を許して。〇〇ごめんなさい」と泣きながら謝ったときには、私も会場全体も嗚咽だった。お父さんも「仕事、仕事で家庭を顧みないで、申し訳なかった」と次女に謝っていた。

それから何年かして東日本大震災が来て、多くの津波被害者が出た。岩手・宮城の葬儀関係者から「棺桶が足りない」という情報が北海道へも寄せられた。社長は協会の役員でもあったので、道内で集められるだけの棺桶を青森行き寝台急行「はまなす」に乗せて、自分も同乗して東北へ運んで行った。いま自分にできることを淡々とこなし、誰に自慢することもなく生きてる社長にさらに感動した。89歳で亡くなった私の母親の葬儀はそこを使わせてもらった。自分にも子供が二人いるけれど、自分より先に逝く子供を失う親の悲しみは、戦争もそうだし、事故も、天災も半端ではない悲しみの量がある。