雑談ABC

3月22日になると大学の卒業式も終わり、新入生の子供を持つ親のデパート通いでデパート駐車場は車の列ができる。女性ドライバーが多くなり、車庫入れも上手ときている。近所のリサイクルショップも父親に連れられた娘さんが、家電コーナーで(あと必要なものはある?)と聞ていた。新品でなくてもいいものはある。

ところで、卒業や入学などセレモニーの思い出は筆者には少ない。小学校は3つ転校し、友達も少なかった。中学は朝の朝礼に出るのが嫌で放送部に属し、体育館で集会用マイクのセットをしたり、朝礼後、教室に帰る行進曲を流すため放送室でたむろしていた。高校はもっと自由で適当で、大学紛争の余波もあり、何人かが玄関でビラ配りをしていた。高校2年の修学旅行は行かない。奈良の大仏や京都金閣寺・銀閣寺は67年間見たこともない。そして見たくもない。クラスで私一人欠席。修学旅行積立金を返金してもらい、函館旅行をしてきた。小さなころから『右だよね』と言われると『いや左だよ』。『これがいまの流行だね』と言うと『違うよ。いずれそんなの無くなるよ』というわけだ。皆の穿くジーパンも嫌いで、60歳を過ぎて体が痩せ始めて、ようやくジーパンを穿いた。アメリカ文化も嫌いでもあった。食わず嫌いかもしれない。田舎者の粗野な集団に見えたのである。排他的で窓の中から外を覗く人々。『バクダッドカフェ』に出てくるロードサイドで暮らす疑心暗鬼な人々だ。『ミスト』や『ファーゴ』にも地方のアメリカ人はよく描かれている。ビバリーヒルズのガーデニングの店に行ったとき『お前たち、ここに何しに来た?』といわんばかりの白人の金持ちの目つきや、ロスの高級なステーキハウスに入ったとき、たまたま子供の誕生会に遭遇した。一斉にこちらの日本人の集団を見て嫌な顔をされたことも思い出す。いい思い出がない。同じくロスのユニバーサルスタジオの入り口にあるケビンコスナー主演の『ウォ-ターワールド』の施設があって、私は施設の背後に回って大工の仕事を見たら、お粗末といったらない。建て付け悪しユニバーサルだ。張りぼて文化はスターリンもそうだ。

先日、東京から知人が来て話すと彼も『集団行動が嫌いで』と言っていた。何となく私の周りに集う人々の共通は①集団行動が苦手②アルコールが好きではない③本が好き④出世志向が薄い⑤ときに妄想癖が強い。⑥音楽や映画や他人の意見に左右されない趣味を持っている。⑦お喋りが大好きである。自分では自分のことがわからないところがあるが、集う人間を鏡にすれば、自分の姿が見えてくることも多いし、案外当たっている。初めて正社員として働き出したのが27歳。本来、働かず、本ばかり読んで暮らせればどれだけ良かったか!働きたくなかった!それも自分には全く合わない営業職。『あなたは営業は天職よね』という人の多くは、(自分は営業をしたくないから、あなたが代わりに外で稼いで仕事を取ってきてね)という隠れた意思が見える。特に女性に多い発言だ。営業をするくらなら辞めるという現役の総合職も多い。内輪で生きる人々が増える(SNSはじめ)にしたがって営業職(第三者との交渉)の不人気が上昇するわけがこの辺にあるかもしれない。販売員も同じように不人気、売り上げがないと結局自分でローンを組んで買いたくもない自社商品を購入することになってしまう。生命保険でも同じで、1回目の保険料を勧誘者自身が負担する場合も多かった。そして大きなビルが建つ。生保のビルにはオバちゃんの血が流れていると見るべきだ。郵便局のバイトも年末年賀状を買う羽目になり、金権ショップへ持っていく。私は1枚58円で買った。経済は現場を疲弊させる方向へ走っているだけ。役所仕事も3分の1は業務委託でボーナス支給ゼロも多い。既得権を持った正社員の給与をできるだけ削らないよう按配する。『俺たちは試験を受けて合格したのだと』。しかし、この町はコネ横行である。

16 thoughts on “雑談ABC

  • 2019年3月26日 at 1:40 AM
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    元々読書はさほどしませんでしたが、群れるのは嫌いで、お酒や飲食など他人へのおつきあいで自分を犠牲にするのも嫌でしたね。営業職も嫌いでしたし、野球もゴルフも麻雀も大嫌いでした。が、或る事情から営業にも出る事になり、営業の嫌な面も、また良い面も体験しました。そして仕事がらみでゴルフもし、多少のお酒も飲み、カラオケもし、麻雀も、野球も観るようになりました。もし、あの時に営業に出ていなければ、今でも人に会う事も、何も出来ないままだったのかも知れません。今はゴルフもお酒も麻雀も止めて残っているのは仕事ぐらいです。絵を描いたり、詩を詠んだり、釣りをしたり、音楽を復活させたりと、未だ未だやり残している事は沢山ありますね。

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    • 2019年3月26日 at 7:23 AM
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      ぜひ遣り残していることを、復活させてください。昨日、久しぶりに異業種の人と楽しい会話・ひと時を
      過ごしました。学ぶものも多かったです。こういう機会を意識的につくるのもいいですね。同業は飽きますね。

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  • 2019年3月26日 at 1:52 AM
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    ジーンズは若い時に履いていました。それも広告制作の仕事で三つ揃いのスーツ姿でしたが、PCの無い時代のある日、インクをひっくり返してスーツを台無しにした事がきっかけでした。細身のジーンズにセーター姿で銀行の業務部にも出入りしていましたが、何故か?白い目で見られ、我が上司に「背広を来て来るように言ってください」と調査役が言ったそうです。その次からは、わざとらしくドブネズミ色のスーツを買って着ていきました。銀行と言う所は、上司よりも下のクラスの生活をしなければいけない風潮があり、背広はグレーでタバコはワカバかイコイ。クルマも大衆車と、何かと気を使っていたようです。ましてや下請け業者が「自分より常とうな格好をして、上等なタバコなどもってのほか」だったのです。そんな苦い経験以来ジーンズも履かなくなりました。

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    • 2019年3月26日 at 7:27 AM
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      銀行や役所もそうですね。貧乏を上司より装うわけですかね。めんどうくさい世界です。役所の会議がドブネズミや紺色パレードになって目立たないよう生きる息苦しさ、お洒落のなさは定年後の未来を予感するものがあります。もっと自由にさせれば頭も自由になると思うのですが、右に倣えでは世界に伍していく人材には育ちませんね。

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  • 2019年3月26日 at 2:05 AM
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    或る生命保険の外交員をしていた、かつての近所のオバちゃんは、私の預金口座を勝手に作って、継続と見せかけて満期に振り込まれた現金を横領しました。発覚のきっかけは、銀行からの問い合わせでしたが、それも自分には口座の無い筈の銀行の駅前支店からの電話でした。彼女は市営住宅に住んで、働かない博打打ちの亭主持ちでしたから、きっと借金に苦しんでいたのでしょう。私の家内たちとは顔見知りだったので勧誘されて保険に加入したのでしたが、きっと初めから計画的だったのでしょうね。ノルマもきつかったのかも知れませんが、腹を立てた私は、保険会社に乗り込んでみたものの、彼女たちには机を借しているだけで社員でも無い独立した代理店との理由をつけて逃げの一手でした。全てがそうとは言いませんが、保険会社はそんな人たちをも使っているのですね。

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    • 2019年3月26日 at 7:32 AM
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      元々、保険会社は戦争で夫を失った婦人の職場として始まりましたから、暮らしの意味では必然性があったのでしょうね。いまは1回目の保険領だけ現金を扱わせてますが、印鑑を自由に契約時と同じ三文判で使えば卸せますね。保険の勧誘員は、電話も10円玉を入れて自宅に電話をしてましたよ。話すと長いので会社の電話は使わせませんでした。そういう人たちによってビルが建つわけです。税金で立てられる建築物が立派なように。

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  • 2019年3月26日 at 6:30 AM
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    鉄道の駅のある隣町にあった中学校へは夏場は自転車を飛ばして約20分ほどでしたが、手前の小学校の体育館で剣道の朝練をしてからの登校でしたので、いつも遅刻スレスレでした。クラスの男子全員が窓から、毎日毎日ギリギリ滑り込みセーフで有名な僕を拍手で冷やかしていました。偶然ですね。僕も中学校では放送部でした。普段は主にクラシックのLPレコードをかけ、前説のMCをしたり、運動会など校内行事の際は機材のセッティングをしたりしていましたね。持参していた日の丸弁当はほとんど放送室で食べていました。当時はPCなど無かったので調べ物はすべて図書室でしたね。インターネットなど無かったあの頃の大きなニュースは新聞社が発行した印刷物を体育館の壁に張り出していました。

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    • 2019年3月26日 at 7:35 AM
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      新聞、それも壁新聞は懐かしいです。ガリ版刷りでミニ新聞や放送局便りも作りました。放送劇コンクールも主催しました。

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  • 2019年3月26日 at 6:40 AM
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    修学旅行ですか、貧乏でしたから子供ながらに遠慮していたのですが、何故か?行かせて貰いました。北陸は関西に近いので、小学校の修学旅行が京都で、中学校の時には京都・奈良・大阪でしたが、当時は寺社仏閣にさほど興味も無く印象に残っているのは京都の清水の坂にある出店と奈良の鹿くらいですかね。身近に史跡なども多かったのですが歴史には全く興味が無かったですね。人の多い都会は苦手で田舎に戻るとホッとしたものです。

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    • 2019年3月26日 at 7:37 AM
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      私は中学は摩周や阿寒の湖見学で、必ず班長をつくり、班長が部員を選びます。私は、こいつは誰も選ばないだろうなという人物から選びました。いろいろ問題(といってもうるさい程度)のある人でしたが、選ばれると喜んだ顔が忘れられません。最後まで残るって嫌なものですからね。

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  • 2019年3月26日 at 6:58 AM
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    技術畑の義兄は、当時斜陽だった東洋工業本社から名古屋のディーラーに派遣されクルマのセールスを命じられました。最初の彼の営業は会社の狙い通り、田舎に帰って親戚縁者に片っ端から声をかけてクルマを売りました。しかし素人の営業の手法も底が尽きて来た頃からが大変です。ある週末にショールームで新型のRX7の試乗車を客に乗り逃げされてしまいました。スポーツカーは2シーターなので、同乗せずに初めての顧客を信用したのが大間違いでした。クルマは見つかりませんでした。たぶん、塗装を変えたか?解体されて、名古屋港から船で海外に運ばれたのでしょう。素人営業マンに狙いをつけた初めから計画的で組織的犯罪でしょうね。営業職は真面目で人が善いだけでは勤まりませんね。彼はその後営業から足を洗い、また技術系の仕事に就きました。

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  • 2019年3月26日 at 7:08 AM
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    北海道人は他県からの人を快く受け入れることが多いですが、本州の田舎などでは排他的な所も多いです。我が家もその典型でしたから、小学校ではいじめられました。親から学んだ言葉や習慣を田舎の子供たちに笑い者にされたのです。いじめは今に始まった事ではなく、昔からありましたね。そんな中で何とか十数年間を過ごしました。人間関係で苦い思い出が多い田舎に戻る気は全く有りませんね。その点、北海道は最初から寛容です。

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    • 2019年3月26日 at 7:39 AM
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      イジメがは大昔からあって、少しの違いからもイジメは始まります。なので抵抗力を早めにつけるのが親の躾ではと思います。

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  • 2019年3月26日 at 7:19 AM
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    営業が不人気なのは、楽に見える内勤が居るからでしょうね。内勤の人が固定される職場では対立もしますね。全員がローテーションで全ての仕事を体験すればお互いに理解し合えると思います。また、ドイツなどでは工場のラインの一部がオフイスを通るレイアウトの本社さえあります。つまり自社の業態を管理部門も営業も生産現場も全員が把握し認識している事が大切ですね。私の場合は内勤も営業も普通にやっています。昨日は一日内勤業務でしたから、今日は一日外勤をしょうと考えています。営業や生産部門は仕事の基本ですからね。

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    • 2019年3月26日 at 7:42 AM
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      昨日話した人は接客ですから、『半分、営業だよ』とも申していました。勉強もしないといけないし。オールマイティーはいないが、得意分野を伸ばせるのがベストでしょうね。

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    • 2019年3月26日 at 8:17 PM
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      工場の一部がオフィースを通るというのは素晴らしい発想ですね。それぞれの仕事の工程や会話が見えたり、聞こえたりする職場は私は見たことないので興味あります。基本は日常を見せ合うことだと思います。ある自動車会社に別なライバル企業の社長が製造ラインを見学に来たとき、全部の工場内を掃除してゴミのないラインにするため一日がかりでした話を聞いたことがあります。普段を見せ合うことは大事で、会話の中に『今回のこの数値は違反だけど、前回もパスしているからOKだよね』という話は許されなくなりますね。

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