公務員のあれこれ(慣用句

この記事は、筆者、けっこうお気に入りで、たぶん3回目くらいです。太古の昔から、役人と軍人を養うために中国もローマ帝国も現代の近代国家も農民や納税者は苦労をし続けてきた話である。それでも昔は公務員は給与が安いが安定していたという相場であったが・・・・・。

 

こういう謙虚な生き方を忘れて久しい。再度、掲載する次第だ。別にこの国に限らない。中国も地方の共産党支部への非難が凄い。私の周りにもこれに類する人たちがたくさんいる。本人は気付いてないのが難点だ。気づきたくないというのが本音かもしれない。官僚化した民間会社にもよく見える光景だ。

「瓜田に履を納(い)れず、李下に冠を正さず」。天子たるものの心得として、瓜(うり)の成る畑で靴を直したり、スモモの実がついた木の下で手を伸ばして頭の冠を直すと、どちらも盗みを働いてるように見えるから、疑われやすいことはするなと答えるのが漢文を習った私たちの答えだ。

しかしここに、この天子は実は当時の公務員(官僚)たちのことを言っているという本をどこかで読んだ。官僚たちは、税金で食べていて、もともとが農民からみれば泥棒に見える。初めから泥棒と思われてるから、役人はさらに疑われるような行為はしてはいけないという戒めだというのだ。なるほど、こちらのほうが合点がいくし、現代の中国に限らず、この国の不祥事を見ても、2000年以上にわたり世界中で蔓延する事態だ。こう読み替えたほうが慣用句が普遍性を持つと思うのは私だけだろうか。

ただ、ネックは教科書の検定は役所、教える教師も多くが公務員であったとしたら、果たして、教室で子供たちを前にして「この言葉はね、私たち公務員は、民間の人からみたら泥棒と思われていて、その人たちからさらに泥棒と疑われる行いはするなという慣用句だよ」と果たして子供たちに教えられるものかどうか?役所化した民間の企業も稼いできている販売や営業、モノづくりの現場からみて、上司たちがそう見えるときがあるかもしれない。広告代理店で営業を長くしてきた私なのでよくわかる。

知人の弁護士が急死して、お別れ会も終わり、近くの居酒屋で大学の同級生6人で入ろうとしたら、公務員ふたりがなかなか店に入ってこない。どうしてだと聞くと、役所と利害関係のある民間会社の人間と飲み食いは禁じられているとのことで躊躇していたのだ。葬儀の後もそうなのか。そのときは電気メーカー、マスコミ、税理士、病院関係者の4人であった。結局、6人でわいわい思い出話にはなったものの、民間は隙あらば、公務員である自分たちを利用して、自分の会社へ利益誘導する危険な存在・・みたいに見下されてる感じであった。そういう民間の人間との付き合いを目撃されて通報されると後でいろいろ面倒なんだと言っていた。

「瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず」を実感した夜であった。

 

雑談、ため息。

明治以降、ヨーロッパから法律学や化学・科学・医学・鉱物学・地質学・医学・農学・文学・鉄道・軍事など一斉にヨーロッパやアメリからお雇い外国人とともに洋書が入ってきて、大学では原語(主に英語の授業)での教えもしていたが、一方、翻訳家も忙しかった。明治の知識人は漢学の素養のもとに外国語を学ぶので、その翻訳も格調高いものが多い。

ということは、まず足元のふだん使う言葉(漢学もふだんの手紙に応用されたり、書道の手習いで使われた)をまず充実させて、それから外国語を学ぶのが一番。または、小さなころから外国(とつくに)に暮らしの居を設けたり、国費で留学や遊学をして直接よその文化に触れる。昔、中国へ仏典を学びに行ったように、日本はたえず『たえず外国への関心や貪欲な好奇心』を失うことはなかった。

その中で、医学の古典といわれる『蘭学事始』の世界である。辞典もない世界でオランダ語で書かれた解剖図に日本語を当てはめていく、気の遠くなる時間と根気、今日、何気なく私たちが使っている『神経』や『血液』もそのときに造語として日本語に加えられた。極刑になった人の死体を、腑分けができる当時の部落民を使い人間の体を観察したのである。有名な話、西周(あまね)がフィロゾフィーを『哲学』、植木枝盛がソサイエティーを『社会』、『個人』という概念も作られた。大正・昭和に入っても、ロシア文学やアフリカ文学、アジア文学、朝鮮文学も続々翻訳されてきた。私はベトナムの哲学者のマルクス本(チヤン・デュク・タオ)も読んだことがある。

アフリカやアジアは旧宗主国の言語が多く、アルジェリアがフランス植民地であったゆえ、パリへ留学するが、自国民とどんどん乖離していく自分自身に耐えられず、フランスからの独立戦争へ参加していく人も多かった。『白い肌、黒い肌』を書いたフランツ・ファノン。サルトルの弟子であった。知識人は分裂病に罹る。頭は宗主国、足は自分の国や民族に置いているからである。

世間で生きるためには世間のルールに従い、しかし、頭はずっと先のもっと進んだ世界に置いていて、たとえれば頭は向こうの世界にあって、足元をそのときは忘却して生きていく。ここでも分裂病の世界である。筆者がこの話を長々と書いたわけは、SNSの頻繁さが、実は現代人(国籍関係なく)を簡単に(分裂病の世界へようこそ)を招いてはいないか?という危惧なのだ。

うつ病の定義をアメリカの精神学界が坑鬱剤を売るファイザーやイーアイリリーに莫大な資金を出してもらい(かくかくしかじかの症状はこういうクスリを処方を)と細かく書かれ世界標準にされた。て処方されて精神科を潤しているが、医師でもない私からみて、うつ病と産業医から診断されて休養に入った10人を観察していて、分裂病の様相、先ほど書いた頭と足の分裂ではないだろうかと思うのである。

精神科医の診察室を覗いてみるとわかるが、高い器具があるわけではない。医師と受付、治療士、カウンセラー。テナント代と人件費を払うのに初診料とクスリ以外に収入源はない。『ウェルカムうつ病である』。しかし、異文化に遭遇する人たちは明治以降『分裂病』や『ノイローゼ』で悩んできた。昭和初期の新聞広告に『赤面症治します』の文字も躍る。農村から都市部へ働きに来た元農民も『職場に適応できず、たくさん悩んでいた』。しかし、分裂病の人は、他人へ伝染させる。強迫観念が強い人だから、自分より下だと思う人を平気で苛めて、分裂病やうつ病にし立てあげる。分裂病Aさんは患者Bさんを作る。Cさんも作るかもしれない。

こうやって日本中の都市部に開院される精神科はいまや押すな押すな、予約がないと罹れない状況である。明治維新以来、150年が経過して、SNS依存症、分裂病跋扈(俗称うつ病)に住民はなってしまった。救いはある、自然に身を任せて太陽光線を浴びること・満喫することである。汗をかくことである。対人恐怖の多い日本は健康保険の充実もあって製薬メーカーにとって坑鬱剤市場として最高の国なのである。

私の母も老健施設で、朝・昼・晩2種の坑欝剤を処方されて、眠らされていた。100人いる施設でベルを鳴らして職員を忙しくさせないためと、近所の市民が誰一人来ない施設専用医師の収入のためである。私は医師とクスリの内容を巡って実兄と共同戦線を張り、大喧嘩をして終末期医療で有名な病院に変えた。

こどもホスピスの奇跡(石井光太著 新潮社)

昨日は、作家高橋源一郎さんがNHKと訪ねたイギリスの子供ホスピスについて書いた。最後に、こういう施設が日本にもあればという高橋さんの言葉で締めくくったが、2016年4月1日に大阪市に日本最初の民間小児ホスピス「TSURUMIこどもホスピス」が開設されていた。石井光太著「こどもホスピスの奇跡」~短い人生の最期をつくる~に設立までの経緯に携わった医師や看護師・ボランティアの人たちの話と入所後亡くなった子供たちとその家族について克明に取材がされていた。日本には小児がんなど難病の子供が15万人いて、そのうち2万人が命を脅かされている。施設内には学びのための教室もあり、治ればいつでも学校に戻れる体制もとっている。それ以上に大事なのは親たちの看病・介護の長時間労働を軽減させるための施設でもある。実際、様々な疾病を持って生まれてきた子供を持つ両親が離婚に至るケースもあって、ボランティアや地域社会の働きがハンディアを負った子供を一緒に育てていくことの大事さも痛感する。子供によって「生きることはどういうことか」を学ばせられた医師や看護師、そして育てた両親の言葉も並べられている。「短いけれど、深く生きるということ」だ。不運にも亡くなった子供の葬儀に招かれないケースもあって「一生懸命付き合ったつもりが何が問題で、親の怒りがどこにあったか」と真剣に関係者が悩むシーンもある。この本でわかるのは病気の子供たちは、親の気持ちを親以上に考えて生きているということだ。どちらが大人かわからなくなるところもある。東南アジアで路上生活する子供たちや貧困についてたくさんノンフィクションを書いてきた石井光太さんのやさしい気持ちで書かれた深い本であった。偶然、読んでいた詩人の長田弘さんの幸福の定義に「幸福はWell-being である。」(誰も気づかなかった 36p みすず書房)に遭遇した。「子どもホスピスの奇跡」を読んでいて、まったく希望を失った子供がドラムに目覚めてドラムを叩き出すシーンも感動的であった。Well-beingそのものだ。