損保のコールセンターで働いているベテラン。

昨日、大手広告代理店で働いていた知人と久しぶりのおしゃべり。奥さんがテレビや新聞で広告を出している損保のコールセンターに長年働いていて、コーチングもするが、難しいお客の対応も任せられる。

パソコンから申し込めば1000円安くなると宣伝するが、コールセンターにかけてくるおじさんたちは、パソコンのどこをどう押して画面を出してと延々と説明しないと話が見えてこない。さらに無料のコールセンターなので『何でも思うところを話すので、ときどきおしゃべり相手になってるような気もすると』言っていた。

それはそれで、社会福祉的な意味はあろうかと思うが、仕事は損害保険の加入をお知らせする、保険内容を説明することなので、自分の家族に去年こんなことがあって困ったとか、孫がプリウスを欲しいと言って来ているという話は関係ない。

とはいえ、現代の世相が見える気もした。話し相手がいないので、顔の見えない人と会話をしたかったのではないかと私は思うのだ。しかし、上司から『5時間話して、3人はないだろう』とか皮肉を言われることもある。さらに会話は全部テープに録音されているので、罵声を浴びせたり、セクハラまがいの言葉を連発したら、後で証拠を出されて訴えられる。

先日、朝8時30分に自宅に知らないおじさんから電話。『はい○○です』(ここでこちらの氏名を言っているが聞いていない)『○○体育館の前だけど、いつになったら体育館を開けるんだ?卓球をしに来たんだ!』『間違いではありませんか?こちらは○○の自宅ですが』『ガチャン』と切れる。詫びない。調べてみると体育館は下4けたが56××、筆者の自宅は66××。頭の5と6の違い。突然、本題に入り、突然切れる。挨拶があって、次に内容、最後はお礼。この場合なら『いま○○体育館の前にいるのですが、開館時間は何時でしょうか?』『間違ってかけて失礼しました。すいません』が常識ではないだろうか。

話変わって、札幌に異様なほどコールセンターが多い。福岡や沖縄も多いが。札幌の場合、オフィース料が安く、女性雇用もしやすく、また訛りが少ないので好まれるらしい。電話をしたら人が出る電話はまだいい。携帯各社へかけると『●●の用件は3番を押してください』などたらいまわしにされたことはないだろうか?そして待てども自分の順番が来ないので、お茶を飲む時間もできる。それほど凄まじい電話がコールセンターに入っているのだが、顔が見えないから『受ける側のストレス』は凄いだろうなと想像する。

 

グローバリズムという病 Posted by seto

 

「グローバリズムはイデオロギーと書いた。イデオロギーとは、イズムは歴史上、単独で存在したためしはない。イズムは必ず、先行する理念や方法へ対抗する形で表れてくる。イズムは敵を必要としており、それらを打倒する新しい原理として現れる。だから、それらは必ず、闘争的になるか、ニヒリズムのようにすべてを否定する言辞によって表現される。」(平川克美 『グローバリズムという病』・東洋経済新報)
企業経営でよくあるのは、新しい社長が就任すると、前の社長の取り巻きが背景に退き、自分のイエスマンを配置する人が多い。イエスマンが先代以上に能力が高い場合は社員にとっていいことではあろうけれど、能力がないけど、やる気だけがある人物が一番困る。早く成果を出したがるので、下手したら、病人続出だ。筆者のいた会社も社長が交代したら、うつ病患者がばたばた出た。引用した平川さんの「イズムは必ず、先行する理念や方法へ対抗する形(たとえば人事。筆者注)で表れてくる。イズムは敵を必要としており、それを打倒する新しい原理として現れる』。
ここは、何度も何度も繰り返して読む価値のある3行だ。先代の社長を気持ちの中で打倒したいのだろう、そうしないと実質上の社長になれないからだ。だから4~5年経過すると、「この人の社長生命はあと〇か月。次はあの人が社長だ」と鞍替えしていく社員がたくさんいた。どちらに転んでもいいような生き方ができるアメーバー的人間も多い。新興宗教も一つのイズムなので必ず敵を欲する。外に見つからなければ中で作る(組織をまとめる生け贄として。俗称裏切り者)。そして戦いたがる。戦うことで集団はまとまる。まとまるからそこが居心地がよくなる。彼らと飲む酒は美味い(イスラムはアルコールご法度だ)。昔の学生運動華やかなりしころ、外の敵を見失い内ゲバへ走ったセクトもあった。
人類の歴史がこのイズムの交代劇と凄惨な虐殺の歴史から、読み解くことが可能なほどだ。〇〇〇〇イズムは要注意な日本語である。いつになったら静かな平和な時代が来るのだろうか?

ブログ不調で午後4時の公開となりました。申し訳ございません。

私たちは皆、他者を幸せにすることに喜びを感じる(アダムスミス)

アダムスミス(1723年~1790年)の有名な言葉だ。技術革新で格差と貧困がイギリス国内を覆う中、アダムスミスは書いた。『私たちは皆、他者を幸せにすることに喜びを感じる』と。他者といっても家族もそうだし、友達だったり、近隣の人だったり、会ったこともない人であったりする。嬉しい言葉である。日常生活を営んでいれば、殊更言う話でもないが、しかし、長い(長くない?)年月を生きてくると、『私たちは皆、他者を幸せにすることに喜びを感じるとともに、私たちは皆、他者を陥れることに喜びを感じる』とも言える現実に出くわす。

企業に勤める賃金労働者なら、人事権を行使できる立場に立てば、自分が気持ちよく仕事ができるため、不快な気分にならないため、同僚の異動を画策する。実際、私の知る人はそれによって辞めていった人がいた。辞めた後、離婚に見舞われ、いくつかの企業を転々として行方知らずである。あるスポンサーが倒産して、同僚から『もう辞表を書いて楽になるしかないのでは』とアドバイスされたという。会社全体からみたら微々たる数字なのでいくらでも救済できたはず(しかも二人は同期入社)。他者の人生をズタズタにして、役員になった彼は、たくさんの営業マンをその後、絶望の淵に追いやった。劣等感の強い男(=プライド高い、田舎の神童)であった。

現代、非正規雇用者が、年収200万前後の人たちが、首を切られて失業している実態を見ていて、アダムスミスの『私たちは皆、他者を幸せにすることに喜びを感じる』どころか、自分の企業の利益を減らさないために他者の不幸はやむ負えないという価値観にいつのまにか舵を切ってしまった。新聞、ネットニュース、ユーチューブで貧困をキーワード検索をするとたとえばアメリカ人の50人が富の50%を所有するとか、日本の金持ちも財産の節税対策でケイマン諸島や香港・シンガポールに移して税金を払わない一族があったり、国税で仕事をもらって、税金として還付しようとしない強欲資本家・投資家が跋扈する。完全失業者が200万人を超え、失業率が3%台。あらかじめ仕事を探そうとしない引きこもりを加えると600万人になってしまう。安全な社会は均等に仕事をすることで保たれることを思えば、無職の多い世の中は犯罪を多発させる。加えて希望の喪失、目先の快で生きる癖。共通はどちらにも他者を幸せにする余裕や観念がその人から消えているということだ。