地域社会でも生物の世界と同じく天敵はあるもの。身近な例をいくつか紹介。天敵は過去に付き合いが多少(深く)あって生じる苦手意識、気味悪さ意識で、できるだけ避ける、離れる行為を促すことになる。
1)学校時代には天敵と呼べる同級生はいなかったが、小3から小4にかけて町内野球部があってボスの中学生から虐められていた。チャンスに打てないとビンタを食らっていた。ボス自身中学校で札付きの悪で先生からよく殴られていた。これも天敵というのかどうか?両親はこの環境から逃れるために小5になって別な街へ転居した。助かった。学校のイジメもそうだが、危ないと思ったら、別な学校へ自由に転学させれば生徒のストレスが相当に減ると思う。ルールは「嫌な学校へは行かない、別な学校を選べる、または行かなくても通信と自宅で勉強できる環境がある」ただ、それだけのことだ。創造的な人間はそういうところから出てくる。
2)隣人の例が多いのだが、家の境界線を巡る騒動だ。ブロック屛が年月とともに隣人側に傾き、クレームが入り、再度土木業者を入れてブロックの積み込みをした家がある。かと思えば、相手のガレージの屋根の雪が手前に落ちてきてこちらから抗議したら、ガレージそのもを壊して車も捨てる挙に出た。冬期間、雪が隣家に落ちる悩みもある。200万円くらいかけて落下防止の鉄柵をつくってはいるが、建築屋さん、設計屋さんが雪の落ちる屋根の勾配と空き地があるかどうか考えれば事前に防げることばかり。高いローンを組んで自宅を購入しているわけで、隣人を選べない。長く快適に住むには向かいの家、両隣、後ろにどういう人たちが住んでいて、スムースな会話ができるか大事。天敵はつくらないようしたいが、いろんな事件に遭遇して天敵化する。
3)広報誌配りをしていて、一人暮らしのおじさんとおしゃべり。「角の立派な家のご主人が、自宅の雪をバス道路に捨てるので、市の広報部へ電話した。捨てないようにして欲しいと」すると雪捨ては止んだ。角の家は元市職員の家であったが以降、一切口もきかず、天敵になってしまった。相手から無視されるのである。
4)天敵といえばサラリーマンやOLのころ、誰もが体験したことだろうと思う。私自身を天敵に過ごしていた同僚社員もいたかもしれない。営業先から入金されないことに総務会計の女性から「何月何日に入金されるのですか?」と何度も言われたときには「入るから大丈夫だ」と返事しても不服そうで、それ以降、ものの言い方、彼女にとっては私の言い方が気に食わないでお互いツンツンとした関係で仕事をしてきた思い出がある。仕事さえかぶらなければこんなことにはならなかったと思うが。
天敵は、生きる土俵がそれぞれ違えば少なくなる。とにかく他人と適度な距離を置く、丁寧な言葉遣いをする。これさえ守れば生きやすい世の中になるはずだと思うがどうだろうか?夫婦って、どう?まさか天敵にもなり得る存在かな?

考えてみれば余り沢山の友人知人を作って来なかった自分も、もしかして他人から見て天敵だったのではないか(?)とさえ思います。好き嫌いも多く、話下手と来ていますから、来るものは決して拒みませんが、自ら歩み寄る積極性が少なかったのかも知れませんね。今更反省しても既に遅しですが、『いつも反省は後悔の後』に来るものですね。しかし、天敵らしき人達も意外と少なく感じるのは消極的な人付き合いが功を奏したとも言えるのかも知れません。
天敵はたぶん、私も少ないほうとはいえ、相手の気持ちはわかりません。淡い付き合いが健全な人生を送れる気もします。坊主の孫さん、ストレス少ない日々を送ってこられたと思いますね。新聞社の営業と口げんかを3回くらいして一人はしつこくて他人の結婚式場でも絡んできて、送別会でも絡んできました。よほど私から罵倒されたことが残っていたのでしょう。ヤバイことを私も言ったものです。頭の悪い。プライド高く体育会系が困りました。