鍋を持って、熊肉を取りに行く。熊談義。

上芦別駅の地図
野花南を(のかなん)と呼ぶが、綺麗な音と漢字の地名。

 

熊
1915年12月、民家を数回襲い 7名死者。体長2.7m。体重340キロ。

私が24歳のとき、芦別市上芦別で林道の測量アルバイトをした。赤と白の測量棒を持って野山を歩く。地方の旅館で1か月間寝泊り。5人でチームを作り、飯はタダ、給与も40年前で月13万円あった。財団法人が全盛の頃で、どんぶり勘定。雨の日はお休みで、昼間はチンチロリンやトランプ遊び、夜は市内のスナックへ繰り出す。月末には札幌から現金が送られてきて、旅館へきっちり支払い、最上級のお客さんだ。これが全部税金で賄われていた。飲み代だって怪しいもので、経費に入れ込んでいたかもしれない。林野庁の外郭団体だ。

朝の6時には山へ向かい、林道を作るための測量をしては帰って地図を作る。林道の選定はこのコースにするとか、山を削ってその土はこちら側の谷に落とすとか自然破壊そのものの前段仕事だ。樹皮が熊に削られているのを見たし「おっ、この傷は新しいから近くに熊がいるぞ」とベテランが言うとポケットから音の出る花火(2B弾)を出してマッチの引火部分で擦りドカンドカンとやる。突然の雨で沢歩きの石が消えて難儀した。私自身、斜面から落下して、切り株に頭をぶつけて一瞬、気絶したこともある。ヘルメットに助けられた。

ある秋の夕暮れとき、上芦別駅前でを根室本線を横断する母熊と小熊が地元の猟友会のライフルで撃たれた。さっそく防災無線で「ただいま、線路を横断した熊の親子が撃たれました。熊の肉を欲しい方は上芦別駅まできてください」とアナウンスあって、旅館の女将さん、早速大きな鍋を持って駅に走った。「もらってきたよ、美味しい小熊の肉!」。測量帰りに採取した膨大なキノコ類と小熊の肉の競演鍋だ。「これは贅沢だ」と女将さん。

今までにも何回か熊肉を町民で分けて食べる習慣があったらしい。肉の味は美味しい。少しクジラ肉やエゾシカの肉に似ているが、小熊は美味しい。断言しよう。冬眠前に人里に降りてきて、悲劇に見舞われた母熊と小熊。アイヌの人たちも熊の肉を食べたかどうか?調べてみると、確かにイヨマンテ(儀式)で熊の解体が行われ、それが伝授されていると書かれてるし、本州のツキノワグマも鍋料理にされているところをみると、中部あたりまで、マタギの人たちも捕まえては食べたり、皮を剥いだりして冬の敷きものにしたり、熊の皮を着ていた。

吉村昭の「熊嵐」の題材にされている、開拓民7名が民家で襲われ死者を出した事件もある。北海道苫前郡古丹別で1915年12月9日~14日に起きた事件だ。いまでも札幌に冗談ではなく熊が徘徊している場所があるので注意だ。山側だけど。

 

偶然の重なりで大きな事故に。

 

首輪
近在で発掘された縄文人の首飾り

滝2

人生の角々に偶然あり・・という実感をたくさんの人が日々体験しているわけで、言葉で説明すると嘘になるような生死の境目もあって、たとえば1分1秒、そこを早くか遅くに通過すれば遭わずに済んだ交通事故もある。

知人に法事の帰り、タバコのショートホープが切れていることに気付いて、タバコの自販機が置いてあるいつもと違う道路を走ったがゆえに頑丈なBMWに正面追突されて重傷を負った。彼の乗っていた車も偶然、知人から購入したばかりのHONDAアコード。アコードもBMWほどではないが、中古で固いボディーで助かった。医者の話ではあと数ミリ頸椎に近いと植物人間になる可能性もあったと。幾つもの偶然が重なって一命を取り留めた彼は、退院後、彼にアコードを売ってくれた人に大感謝をしていた。この事故から、彼は車の運転は止めた。

実は私も大きな交通事故を起こした。32歳のときだ。大きな道路から1本入った道で、一時停止を繰り返して前に進む直線道路だった。結婚して3回目の転職を考えていて、ラジオでロスオリンピックの男子マラソンを聞きながらある喫茶店を探していた。宋兄弟や瀬古が走っていた。ラジオに夢中、転職のことで頭がいっぱい、喫茶店探し、一時停止の繰り返し。

ところが、そこは一時停止ではなくて赤信号だった。発進と同時に私の運転席に車がドーンとぶつかってきた。交差点で私の車はくるくる回り、コンクリートの電信柱に後部をぶつけて止まる。軽自動車はフロントはめくりあがり、運転手は気絶していた。ラジエーターの水がしたたり落ちていた。不動産屋さんがすぐに警察に電話して、妻と娘と軽自動車の運転手を近所の外科へ救急車で運んだ。

偶然、前と後ろの固い柱部分(ピラー)にぶつかったがゆえに私のドアは凹んだけれど足の骨折はなかった。HONDAアコードだ。相手は信用金庫の営業マン。車にはお金を積んでいて、すぐに同僚が金の回収にきた。私に向かって「いくら自分が100%正しくても事故を起こすと自分の出世に響くので、示談にできないでしょうか?」と言われた。こちらも助かった。

次の日に、彼の勤める信金へ菓子折りを持って上司に頭を下げた。「お互い、大けがをしなくてよかったね」と被害者の上司から言われた時のうれしかった事。「何か、具合が悪くなったりしたら、必ず私へ連絡ください」と言って別れたが、その後、何の連絡もない。ただ、当時3歳の娘が衝突時、天井に頭をぶつけてそのときできたコブが30年経過しても天頂に残っている。申し訳なかった。

私にぶつかってきたのがもし大型トラックだとしたら、ぞっとする。いまここでブログなんて書いていないかもしれない。最初に書いたように1分1秒の違いで、人生が大幅に塗りかえられる。28歳のときに、高校の同級生と喫茶店で待ち合わせをして10分遅刻したがゆえに地下鉄の階段で3年ぶりに出会ったのがいまの妻だ。学生時代に小樽に寿司を6人で食べに行き、お互い、生意気なやつという印象で別れたのに。偶然にもいろいろある。大きな仕事をとれた時も偶然の要素もあるかもしれない。

どの分野にも自信過剰が20%強いる。

札幌の街
旭山公園からみた札幌
ブレードランナー
夜の札幌 JRタワー

米原万理さんの「ガサネッタ&シモネッタ」に、表題の文章が出てきた。20%強とは約30%近い数字と考えると、3人にひとりくらいは、どの分野でも自信過剰者がいると考えれば、なるほどと思う。どこまでが自信過剰なのか測る物差しが残念ながら書いていない。ガサネッタなのかもしれない。

プロ野球やサッカー・芸能界で自分で自分を鼓舞するのはあたりまえの世界では、何をいまさらと言うかもしれないが、運動神経も大して高くもなく、勉学も並み程度、女性から追いかけられたこともなく、仕事で困ってる人あれば助けるぐらいのことしかできず定年を迎えた。そんな私からみて、自信過剰者ってどういう人か思い描くとほぼ全員が何かの分野で自信過剰に見える。

可愛い自信過剰ならいざ知らず、許せないのが、具体的に書けないけれど犯罪すれすれの行為をしていても、平気で自信ありげに仕事をしていた人たちだ。結婚前提に付き合いたいというので、私が紹介した職場の女性を、初回のデートから自分のマンションへ連れ込み、遊ぼうとして逃げられたテレビ局社員。私を遠くに見かけると、回れ右をして別な小路へ入って逃げていく。

大人同士の付き合いだからいいけれど、ホテルのレストランで顔合わせをさせたのが私であるから、礼儀くらいはあってもよかったのではと思う。体育会系のいかにももてるといういい男だ。そういえば、私の学校時代を振り返ると、体育会系の同級生はひとりもいないことに気付いた。それに比べてマスコミ関係者の運動部出身者の多いこと!この大学のラグビー部から〇人、野球から〇人と採用枠が決められているとしか思えない。商社にも多い。屈強な体といえば聞こえはいいけど、私の見る限り大脳が筋肉化して融通がきかない輩も多かった。これが自信過剰を生んでる元凶かもしれない。

自慢ではないが、貧しい札幌東区育ちなのでお金のかかるスポーツは縁がなくて、そこそこ遊びとしてのサッカー、野球、バレーボール、鉄棒などをしてワハハと笑いながら時を過ごした。自信過剰もこの分野では生じない。リトルリーグもなく、誰ひとり少年〇〇クラブなんて通っていない。自信過剰といえば徹夜の花札やインチキマージャン大会の点棒、当時画期的だった平凡パンチや週刊プレーボーイのヌード写真をどれだけ収集しているか自慢していたのはいた。こんなのは自信過剰とは言うまい。

別にスポーツをしなくても頑張る奴は頑張るし、社会の側に強い偏見がありそうですね。縦の命令をハイハイ聞いて生きていく時代でもないし。それより、何を考えてるかわからないくらいの人が革新を起こす火種だってある。下町のテキトー感覚は豊かだ。

貴重なのは、だからといって別に劣等感もないというところで、下町育ちはなかなかいい奴が多い。が、だまされやすいくもある。自信過剰が20%強というテーマから、下町育ちはいい人多いよという私の自説に急展開した。これがきっと、私が下町育ちに異常なほどの自信過剰の偏見を持っている何よりの証拠かもしれない。やれやれだ。私も同じ穴のムジナだ。