キャンピングカー、夫婦ゲンカは高くつく。

カーキyンンピング
この大きさなら筆者はパニック症状起きないかも

私が住んでる団地横の道の駅に、キャンピングカーや大型のランドクルーザー級の車、中には軽自動車に愛犬を連れた独り者がたくさん泊まっている。止まるではなく泊まる。

きょうは鹿児島ナンバーの車に声をかけて話を聞いてみた。6月に鹿児島を出発して日本海側を北上して、青森からフェリーで函館へ。そして広い北海道をドライブしている。ご夫婦は登山もするので、大雪山系の黒岳・赤岳にも登り、早くも紅葉を見てきたと。大雪も知床も行ったことがない私にしてみれば、道外観光客の方が北海道の観光地を回ってるねと苦笑い。いつでも行けるから今は行かない、そして一度も行かないで人生終わるパターンだ。

でも、札幌市内なら、どこのビルのどのトイレが清潔でおすすめとか、100円で休めるホテルの美味しい穴場コーヒーを教えられる特技はあるんだけどね。営業35年の誇れるものは街中のトイレの在り処だ。ともかく、鹿児島組はこれから小樽・余市へ行きそのまま一気に南下して帰路に着く計画。小樽・余市はこれで3回目。キャンピング仲間から余市のお祭りに招待されたので義理を果たすための旅だ。マッサンかエリーでも来ているのかね。広がる人間関係を楽しむ67歳。一番困るのがコインランドリー探しらしい。広い北海道の過疎地にはコインランドリーが無い町が多いから。

聞きたかったのは、同じ道の駅で先だって富士山ナンバーの人と話をしていて、旦那から「いやっ、夫婦ゲンカは最悪ですよ。長旅ですから。押し黙って一言も発せず2日間運転したこともあります。私の知り合いで、ケンカがこじれて新千歳空港から帰っていった奥さんがいました。飛行機代もったいない」。短い距離の買い物でも、口ゲンカをよくする私なので、妙に納得の話であって、そのあたりを確かめたかったのである。鹿児島組は「多いですよ、そういう人、私もたくさん聞いています。」。「ケンカしたらどうするのですか?」と私の意地悪な質問に「ひたすら、私が謝るとうまくおさまります」と奥さんのいないところで教えてくれた。

これは、ドライブに限らない夫婦を長持ちさせる鉄則かもしれない。妻にこの話をすると「ねえ、そうでしょう。それが正しいのよ、いいご主人だこと」。書いていて、少し腹が立つけれど、結婚生活が長い人はたくさん我慢してますね。ところで、道内を回っていて、1か月、どのくらいの費用がかかるの?富士山ナンバーは約30万円と言ってたけど。鹿児島組は20万~30万と教えてくれた。一番こたえるのがガソリン代だ。皆さん、いい退職金や年金をもらっているのだね。改造費用を入れて1000万のキャンピングカーは車の中を立って歩ける高さがあった。お金のかかる趣味だ。ブログの趣味は無料で遊べる。

とはいえ、時々、ホテルや旅館、スーパー銭湯に泊まるのだろうけど、狭い車内空間に一緒に寝るのは、勘弁願いたい私ではある。寝室を別々の生活を25年続けてきた私などはパニック障害を再発しそうだ。マンション暮らしの知人は「贅沢だね、全部で3室しかないから、寝室は一つしか取れない。物理的にダブルやツインの寝室になるよ」。

どうせするなら、一人旅がいい。高倉健の遺作「あなたへ」を思い出す。会ってもすぐに別れる人間関係は素敵だ。犬の匂い付けみたいな旅ではあるが。会う時間が1時間でも、35年でも別れが100%来るのは一緒だ。愛していようが嫌いだろうが。

10代の末から20代にかけて金沢や福井、京都、東京、平泉、花巻を旧国鉄で10日間、毎年やっていたひとり旅を思い出していた。あのときもたくさんの出会いがあった。東京池袋駅で待ち合わせた、転校していった高校の同級生の女の子と、結局会えず(今なら携帯電話で100%会えたが、お互い探せなかった)、すれ違いのまま泣く泣く札幌へ帰ってきたことも思い出された。

それにしても、飛行機で帰って行った奥さんとのその後の夫婦関係はどうなってしまったのだろうか?他人事ながら追跡したいところではある。

地獄への道は善意によって舗装されている

hell

「現代は他人の楽しみを邪魔をする楽しみに目覚めた時代」という言葉同様、筆者の胸にストンと落ちた1行が「地獄への道は善意によって舗装されている」。この題名を見て、昔、読んだ中島義道さんの「私の嫌いな10の言葉」を思い出していた。

①相手の気持ちを考えろよ!②ひとりで生きてるんじゃないからな!③おまえのためを思って言ってるんだぞ!④もっと素直になれよ!⑤一度頭を下げれば済むことじゃないか!⑥謝れよ!⑦弁解するな!⑧胸に手を当ててよく考えてみろ!⑨みんなが嫌な気分になるじゃないか!⑩自分の好きなことがかならず何かあるはずだ!

②の場合を見てみよう。さらに9項目の文章が並んでいる。1 ひとりで生きてるんじゃないから苦しい。2「みんなちがって、みんないい」の嘘 3 子は親に感謝する必要はない 4 感謝アレルギー 5 「優しさの暴力」を振り回す少女あすか 6 NHK『のど自慢』のやりきれない明るさ 7 どうしたらひとりで生きていけるか 8 私の会議嫌悪症 9 インテリ男はなぜセクシーでないか  

気になる人は、本屋で立ち読みを。新潮文庫。

悪意からの発言より(これはわかりやすくて無視できる)善意からの発言が(無思慮な発言が)大きく他人を傷つけたりその後の人生を狂わせる場合がはるかに多い。なぜだろうと考えると、発話者が自分を当事者ではなく第三者の立場から、一般論をクダクダ言う。またはある目的(信者獲得や保険加入目当て、借金目当て)で相手へ同情の言葉を投げかけて、「私の気持ちをわかってくれる、この人!」と見せられ、結果として、新興宗教加入や大きな保険に入ってしまったり、お金を貸してしまう羽目になる。

いっとき流行ったポジティブとかネガティブを連呼する輩とは私は付き合わないが、会議で良く出てきた単語だ。ダメなものはダメという癖をつけたいものだ。善意に発した(当人にはそう見える)言葉に動かされて、たとえば宗教に入ったとする。布教もあり、洗脳新聞も読み、洗脳本も買い、悩み告白会合もあり、支部で偉くなる野心も芽生えてきて、そして子供たちはどんどん親から離れていく。結婚に支障を来すから。その悩みをじかに聞いたことが何回もある筆者としては、この制度はまずいと思う。言葉はキツイけどね。

だから、キリスト教やユダヤ教、イスラム教も自分で判断できないうちに幼児をどうして宗教漬けにしてしまうのか。やってはいけないことだと思うがね。だって柔らかい大脳の部位に偏見のクサビを打ち込むことだからだ。これこそ、私の偏見かもしれない。自爆テロをする少女や少年たちも、その前は静かでいい子供たちだったと思うと悲しくてね。

ヨーロッパの十字軍もそうだ。第4回は有名な1212年のアルビジョワ児童十字軍までいた。途中、船が難破してエルサレムに着くどころか、イスラム教徒の奴隷にされてしまった。送り出す親も親である。イスラム教徒ももキリスト教徒も子供をダシにして卑怯な振舞いはしてほしくないものだ。日本の新興宗教も、アメリカからきたエホバもね。子供を巻き添えにしてはいけないね。善意であっても子供にとっては、地獄へ通じる道だ。

美味しい儲け話もそうだ。気をつけよう。

 

現代は他人の楽しみを邪魔する楽しみに目覚めた時代

嫉妬の画像

一度に5~6冊は平行読書するので、出典は忘れたが、表題の「現代は他人の楽しみを邪魔する楽しみに目覚めた時代」というフレーズが気に入ってメモをしていた。池田清彦さんかもしれない(最近、彼の本よく読む)。

昨日の権力の源泉はいったいどこからきたの?という謎を出しておいたが、どこなんでしょうね。わかりやすく欲としての権力を見るといいかも。会社員なら人事ですね。それが誰であるかによって、人生変わりますからね。ただ殺されないからご心配なく。心配し過ぎて自死する人はいるが・・・。人事権はあっても殺人権はないし、彼もさらに上位の権力に振り回されている。いまなら社長も株主に支配されているといえるかな。

権力欲というのは小さく言うと、人の楽しくやっていることを邪魔をするところから始まる。そういう人の欲望の集大成が政治権力。だから寝室にまで権力は入ってくる。全戸に監視カメラが入って、会話まで盗聴されて、怪しい科白を吐くと、天井から秘密警察が降りてくる近未来映画があった。(未来世紀ブラジルか?)特に禁欲的な男(性生活が上手にいってない男たち)や女にもてない男の権力欲求は強いね。権力者を好きな女(金や地位)はいるかもしれないけど、それは権力があるからで、なくなれば離れていくのは目に見えている。あなた自身を愛しているわけではないわけだ。尊敬はしてないだろうね。失ってわかることですね。

表題も、実は権力による、幸せ人間への破壊か嫉妬から生じるのかもしれない。介入や突っ込み、漫才の世界の影響が蔓延したせいとも思われますね。テレビのお笑いはこのイデオロギーを蔓延させていることに気づかないかな?漫才コンビを見ていると、どちらかが権力を行使して相手方を小ばかにするパターンが多く、いくら笑いを取るためとはいえ、遣り過ぎではないかと筆者は思う。そして相手の頭を叩くタレントまで出る始末。しかし、男と比べて女性は家庭内では猛威を奮ってるかもしれないが、権力欲は小さくて、せいぜい自分の影響が及ぶ範囲だ。男みたく抽象的・観念的な世界へは飛んで行かない。

邪魔する楽しみの起源は、漫才番組やアンパンマンのドキンチャン、他人の楽しい性生活を羨んだ男たちにあるのかもしれない。女性向けのバイアグラも出てきたようで、女性の男性化、ますます進行です。「現代は他人の楽しみを邪魔する楽しみに目覚めた時代」という表題だ。邪魔する人間は邪魔することで得られる何かがあるんだ。それは「こっちを見て」という単純な動機かもしれない。深い意味があるわけではないかも。

待てよ、一神教の神はたしか猛烈に嫉妬深い神ではなかったかな?他の神や偶像を崇拝すると嫉妬で、相手を焼き殺していたのではなかったか?を思い出した。ユダヤ教のヤーヴェは戦争の神だしね。そこで調べてみた。「ヘブライ語は母音を書かないので、YHWHはエホバとも、ヤーウェとも読めます。(ありてある者)の意味。ふだんはその呼び名を避けて、(主)と言います。ヤーウェは嫉妬深い怒りの神ですが、もとはシナイ半島辺りの戦争神で、それを、カナンに侵入するユダヤ各部族が共同で祀ったもの」。ヤーウェがキリスト教では神へ、イスラム教でアッラーへ変身していくと考えると、わかりやすいと思うね。余談でした。引用文は橋爪大三郎著「世界がわかる宗教社会学入門」(ちくま文庫53p)

邪魔をする楽しさは、私の推理では実は神が楽しんでいた所業と考えるとどうだろうか?神への冒涜な発言と言われるのを承知して。凄い話になってしまった。まさにこれこそ「古代につながる生活者の目」の本領発揮だ。