スパムメール削除の戦い・・ほか雑談。

ブログのコメントを読もうとすると必ずスパムメール数が表示され、読む前にスパムを消す作業をする。その数や10個を超えて多いときは30個になる。どこから来るのかと考える前にとにかく消すが、消しても消しても減ることはない。ウィルスバスターを入れてもスパムメールが来るのはどうしたわけだろうか?その道の人に聞くと、『そんなの少ないほうですよ。一晩で100を越すこともありますよ。』いい加減にして欲しいですね、スパムさん! スパムを防ぐには、インターネットケーブルをいちいち遮断するか電源を落せばいいのでうかね?しかし、また使うときにケーブルつなぐのでネット回線で私向けのスパムメールが来るので意味がないともいえますが・・・・。スパムは英語とロシア語が多い。ロシア語はウクライナ(独立後、超貧乏になっている)から発信されているらしい。

国内からの迷惑メールもどんどん増えているが、社会現象を読み解く上で参考になる。多いのが「楽してお金を儲ける」「健康(何が元気になる)」「学ぶとか資格」で以前に無料サプリメントを登録もしたことがあるので、どこかで私のアドレスが漏れている。ネットの向こうはどうなっているのか、個人アドレスの売買市場があるとしか思えない。闇の中の闇が、それに従事する人間がうようよいると思うとぞっとするが、闇でなくても表の明るい世界でもぞっとする事件が次々起きるから、日々注意して生きたいものである。身近なことでいえば、危険な人には近づかない、交通機関で並ぶときは決して一番前の白線には並ばない。ビル工事をしている側の歩道は避けて遠くても反対側の歩道を歩く。看板の多いビル側は避ける。青信号でも安心しないで、すぐに渡らず、車が全車停止を確認してから急ぎ足で渡る。車の運転については、ことし4回違反している私に言う資格はない。国道で50キロ制限のあるところにパトカーのレーダーが多い。

また「ネットに書かれていることを信用しない」というのも今日大事なことだ。自分で調べて自分の頭で考える癖をつける。知ったかぶりの人間が多いから気をつけたい。世の中は知らないことが99%、せいぜい1%(これさえないかもしれない)の中で自分は生きているのだと思いたい。図書館を眺めるとあらゆるジャンルに本が並べてある。法律・工学・電気・軍事・家庭・児童書・趣味・辞典・語学・芸能コーナーは年間、数冊手度しか借りていない。読む体力・気力と時間がない。無知の中にいまだ生きている私である。加えて政治家や水商売の人、自衛隊や警官、霞が関官僚、大学教授にも知人がいない。貪欲に知りたい願望を実現するためにはそこまでいかないといけないなあとため息をつく。

そこに行かないと買えない・・・価値。

そこに行かないと買えない・・価値

 

麦みそ漬け

大分豊後(ぶんご)高田市に「昭和の街」があってそこでしか売られていないおばあちゃんの漬物だ。中津に住む娘が我が家へ帰宅する折り、必ず買いにいく商品で、多めに買って近所へもおすそ分けをして喜ばれている。通販で買えないというところが味噌だ(商品も麦味噌漬け)。新聞もテレビもチラシでもそうだが、パソコンを開けると、通販商品のオンパレードだ。

しかし、そういう世の中であっても、そこに行かないと買えない(食べれない・会えない)ものがある。それは必然的に移動を促すものだ。買うために、食べるために、会うために。注文したら、宅配業者が届けてくれるというものではない。自分がそこへ行かないとダメなのだ。必死になって。エネルギーが要る、それを獲得するために商品価値(値段)以上の、犠牲(ガソリン代・交通費)を払いながら行かないといけない。

ネット時代に逆行するけれども(猫も杓子も通販で運転手不足を来している運輸業界)、車もなく歩いていけないご老人ならともかく。北海道なら、わざわざ、オーストラリアからニセコのさらさら雪を求めてスキーやボードを担いでやってくる。ニセコ生まれの私の父は草葉の陰で苦笑しているだろう。歩くスキーで小学校へ通い、冬は大嫌いだった。その同じ雪が、今度は商品に変わってしまったのだ。ハワイの波に乗りたい、陽光を浴びたい、空気を吸いたいために飛行機に乗っていく人もある。「ハワイは最高だよ」。

男女の交際もそうで(あたりまえ)、会うために約束の場所へお互い移動しなければいけない。たぶん、豊後高田の漬物も、昔からおばあちゃんが、彼女のお母さんから、そのまたおばあちゃんから伝わった漬物かもしれない。すべてに共通するのは、我々の五感が、直接そのものに触れて、喜びを享受するということだ。しかも、会いにいくためにそのプロセスでドキドキ感が高揚するかもしれない。イマジネーションも働く。

お盆やお正月に,帰省する最大のメリットは、生の声を聞くために、肌の接触を求めた大移動なのだ。親以上に同級生やたくさんの友人たちとも。言葉の直接性や、買ったお土産の手渡し。そのときの相手の笑顔を思い浮かべて買う。そこまで行かないと会えない数々の人がいる。兄弟もいる。本音が飛びかう貴重な時間と空間。久しぶりに会った大学の同級生と居酒屋で飲みながら、そんなことを考えていた。彼に会うために行った街中で、途中、たくさんの知り合いとも会え、お喋りもできた。歩けばハプニングが待っている。ハプニングの連続だ。「お前、やせたな」「顔色が悪いぞ」「何か心配事でもあるのか」「えっ、あいつが会社を辞めたって?」。時間が生きている、躍動している。引きこもってる暇はないのだ。自分の五感を生かすために。

幽霊の除霊の依頼・・・?

先日、知人の神官を訪ねたら「たったいま隣町から幽霊の除霊をしてくれないか頼まれた」と教えてくれた。安倍清明ではあるまいし、なんですかそれって?言葉を返したら、「最近、札幌からも何人か除霊するにはここの神社(出雲三神教会・恵庭)しかないと言われてきた人がいて、除霊(祝詞を上げるのか何をしているのか分からないが)されて、大喜びで帰ったというのだ。

「いくらで請け負うの?」「5千円だ」「安過ぎない?」と私。「せめて1万円は取らないと、霊があなたに憑りつく危険もあるわけだし(笑い)、リスクもあるのでもっと高い方がいいのでは」と私も悪乗りしてしまった。神官に憑りついた霊はどうやって取るの?また、別な神官を呼ぶのか?まったく純然たる商売と考えて割り切ればいい。御朱印ブームで300円で印を押すより儲かる商売だ。彼は札幌では知る人ぞ知る、知らない人は全く知らないその道の先生である。歩道で占いをしている占い師に「占いの講義をしていて」教授と呼ばれているので、この筋から紹介されている気配はある。

幽霊とはいわないまでも、金縛りとか霊が憑りつく体質だとか日常会話でも平気で霊的な単語は出てくる。太古の世から霊媒師はいたので、職業としては古い。現代でも生業としてあってもおかしくはないし、「幽霊が出て困ってる人がいる」と現実をまず認めて、次にどうして助けるかと思考を持っていきたい。最初から幽霊の存在を否定する観念は捨てて、それは妄想かもしれないし、心的な現象かもしれない。意外や幽霊は100%いると証明される日が来るかもしれない。

ここはひとつ体験者を優先して、その霊(幽霊と同じ?)を除霊するには、どういう文言が有効なのか?出てくる幽霊によって祝詞が違うのか同じなのか?彼に聞くと「そんな除霊の文言集はない」とは言うが、実は隠れてあったりするかもしれない。

しかし、亡くなった故人で毎日出てきて欲しい人もいるわけだから、除霊よりも霊を集めてその霊に身を沈めたい人も多いと思う。突然の愛児の死とか家族の死で気が失いそうになる人に故人の霊がずっと長く寄り添って欲しい人などだ。現代は除霊より恐山のイタコ的な人が求められているかもしれない。除霊より集霊である。後日、この1件の幽霊を除霊した神官の方法とその結果を「除霊の報告」とするのでご期待ください。