7月の雑談

1)コールセンターに勤める人から『課長が変な咳をするので辞めた派遣職員がいた』とか『職場のお局からマスクの仕方をきつく注意された』とか『お釣りをもらうときに決まった封筒に入れて、それをビニール手袋をはめて洗浄している女子職員がいる』など新型コロナに関するエピソードはたくさんあるだろう。知人の神社も賽銭箱を封印することも考えたことがある。3月の受験時期でもあったからそこまですることはないだろうと深刻に悩んでいた。いまでも多くのお店で実物貨幣はお皿に置いて、直接の手から手への避けている。しかし、レジ係りが取り出す貨幣は結局はお客に行くわけだから、付着したコロナ菌があれば伝染する。カード支払いだって手から手へカードが渡されるので感染遮断にはならない。スーパーでもカートを手袋をして押してる奥様を見かけることもある。

2)近所の農家から『ジャガイモ収穫真っ盛りでーす。コロナに関係なく元気に働いていますよ!トウモロコシは8月初めに収穫始まると思います。道の駅に行くとあるかもしれません』と教えてくれるからありがたい。札幌の居酒屋で働いていた女性が辞めてJA恵庭に登録して働き出していると報告もあった。以前、居酒屋店長たちが『農業をしたい』話を農家にしたら返信が『もう来て働いていますよ』。

3)娘と孫を迎えに新千歳空港へ行くと定年後のご夫婦が、不動産中古マンションのチラシを相当持っていて、これから札幌へ向かうところであった。安全・安心・食料確保を考えると、コロナ終息見えず、地震や水害などでインフラが寸断されれば都市機能は止まり、生存に関わる。その中にいると実は見えにくいところだ。私の予想ではリモートワーク、第二の安全な住居を求める人、風光明媚に移住する人、テレワークとして道内へ移住する人を含めて10万人くらい道民が増えるかもしれないと楽観している。

4)娘と孫を新千歳へ今度は送りに行くと、空港内の紀伊国屋書店で『週刊ダイヤモンド』があって特集が『大失業時代の倒産』。立ち読みしていると後で買おうと、見送りゲートに行きその間15分。5冊はあったと思うので買いに行くと品切れ。さすが月曜日の空港はビジネスマンの行き来であっ言う間に完売か!(危険度ランキングも13業種にわたって書かれ、コロナ倒産回避の19の支援制度もチャートであったり、企業の消滅が自治体の生存危険度もあるから、すごい特集を組んだものである。戦後最悪の大失業時代、320万人!?とも先読みしている。帰宅後、近所の書店に行くと、楽々買えた。寝ながら読んでいる次第だ。明るい話題が消えた週刊誌群である。その横に週刊金曜日もあったので購買。

無冠になった羽生善治ではあるが。

2019年2月23日、BS1で羽生さんの特集を見ていた。そういえば昔、書いたブログがあったと思い出し、再録する。現在の快進撃の藤井聡太棋聖にもきっとある瞬間であるだろうと思う。

この後は『日本の社会は、同質社会ということもあって、このバランスが悪いと思う。リスクを負わない人がいる一方で、リスクだけ背負わされている人がいる。決断を下さないほうが減点がないから決断を下せる人が生まれてこなくなるのではないか。目標があってこその決断である。自己責任という言葉を最近よく聞くが、リスクを背負って決断を下す人が育たないと、社会も企業も現状の打破にはつながらないであろう』(71p)(決断力 角川oneテーマ21)

格言の山のような本である。私は特に『リスクを負わない人がいる一方で、リスクだけ背負わされてる人がいる』というところで立ち止まった。日本社会を大局観として、将棋盤に見立てれば、起業家や企業経営者、派遣労働者も彼の視野に入って語ってるような気もしたのである。将棋はひとりで決断する連続技ある。

また『将棋と狂気』についても書いている。将棋を忘れる空白の時間、空白の大脳をつくる大切さについて説いている。仕事についてもいえることかもしれない。『将棋には怖いところがある。・・・将棋だけの世界に入っていると、そこは狂気の世界なのだ。ギリギリまで自分を追いつめて、どんどん高い世界に登りつめていけばいくほど、心がついて行かなくて、いわゆる狂気の世界に近づいてしまう。一度そういう世界に行ってしまったらもう戻ってくることはできないと思う。入り口はあるけれど出口はないのだ』(同著97p)

凡人には計り知れない怖い世界は、どの分野にもあって、仕事やゲームの世界、パソコンのソフト開発の世界もスポーツの世界にもきっとあるだろうなと推測する。サラリーマンでも仕事中毒や競馬に狂う、投資に狂う、夜の世界から出て来れない人にもある種狂気的なものがある。ドストエフスキーが『賭博への情熱』と命名した狂気の世界かもしれない。彼の場合はポーカーであったが。マージャンで賭けるものが無くなり、自分の妻を抵当にする小説もあったくらい賭博は世界中を駆け巡り、太古の昔から消えない遊び(真剣勝負)だ。

何事をするにも、何もしない時間や空間が大事。気晴らしを大切にとも読める本だ。狂気に陥らないために。

最後にチェスと将棋の起源であるが、起源は同じで紀元前2000年ころにインドで発明された『チャトランガ』が西洋に伝わりチェスになり、平安時代に日本に輸入されて将棋になったとある。中国や朝鮮、タイなどにも『チャトランガ』を基にする将棋があると薀蓄を語っていた。

『進化は未来のことなどおかまいなしだ』(リチャード・ドーキンス)

新型コロナウィルスが武漢のウィイルス研究所から漏れたものか、中国当局が言う武漢市場からコウモリ経由で広がったのか藪の中であるけれど、文明社会に与えた武漢ウィルスは人類の生き方を変えないと適応できないところに向かっている。どこでどう共生してゆくのか模索である。

『進化は未来のことなどおかまいなしだ』(リチャード・ドーキンス)

『利己的遺伝子』の40周年記念版の50pに書かれていたドーキンス博士の言葉。『進化は未来のことなどおかまいなしだ』。自然現象もそうだし、考えてみると、突然変異は、次に生物の変化(進化)を予告するのだろうけれど、合目的的(高いところの実を食べれるように背が高くなったとか、空を飛ぶために羽が付いたとか、生物がある目的のために変化することを合目的的という)に変化しているわけではない。結果としてそうであっても、その目的のために進化はしない。はっきり言って偶然の出来事でしかない。

なぜ、人間は二本足で立ったのか?二本足で立ったから二本の腕を使えるようにはなったけれども、腕を使うために二本足で立ったわけではない。京都大学の今西錦司さんは『ある日、突然一斉に立った。』である。世の中には理由のない事柄がたくさん起きる。現に毎日起きている。私たちはいつのまにか『因果論(律)』に大脳が捉えられていて、起きてしまった事柄を平気で原因分析をして結論出してチョンで終わる。しかし、ドーキンス先生は『未来のことなどおかまいなしに進化が発生する』と言う。突然、3本の手を持つ生物が出てくるかもしれないし、目が3つあったり、頭が三角形かもしれない。何でもありなのである。

『私たちにとって都合が悪いよ』と言っても、進化は自然現象と同じで関係ない世界なのである。いつのまにか人間は、生物の中でとても高尚で、賢くて言語を操り、次々に発明をして、文化や文明を築いてきたけどそれも偶然の出来事で、昆虫や花という生き物は作れない。人間とは何かとギリシャの哲学者や古代の賢人は問いかけてきたが、いまだに結論が出ない。発言者が自分の立ち位置で都合のいいように答えているに過ぎない。人間とは気まぐれな動物だ・・が一番近いかもしれない。

夢も希望もなくなってしまうが、明確な目標を立てて毎日努力を惜しまない人間が評価される世界ではあろうけれど、その背景には人間の価値観は変わらないはず(努力は大いなるプラス価値、誰よりもお金持ちになる、出世する価値、子供をどの子供より難しい学校に入れて、未来の幸福が約束されるだろう位置につける・・などなど)。しかし、果たしてそうか?幸福という価値観にしても、みなさん十分経験済みではあろうけれど、瞬間的な出来事に過ぎない。不幸が来るというわけではなくて、幸福感はすぐに去ってしまう。偶然な出来事で、偶然であるがゆえにより強い幸福感を瞬間味わえるだけ。『進化は未来のことなどおかまいなしだ』。未来は何があるか予測がつかない、やはり『一寸先は闇』が真実ではなかろうかと思うきょうこのごろ。