コーヒーブレーク(農業とウィルス起源など)

 

1)自動車工場で働く知人から、新型コロナ流行以降、部下が4人退職して全員農業へ転職したので、そのわけを聞くとなるほどと納得する話もあって、今度北海道へ行ったときに、私の知り合いの農場主に会いたいと連絡があった。辞めた彼らが実家の農家を継ぐことになったのか農業法人に再就職したのか、自分たちで起業したのか聞いていないが、選択の方向性は間違ってはいないと思う。未来産業としての農業には無限の可能性がある。草取りさえ満足にできなかった私が言うのも口幅ったいが、食料自給を基本に据えた社会づくりをすると、そこは密にならず、風通しのいい空間で、生きる基本の食をつくる一石三鳥の世界になるような気がする。

2)それにしても一粒のウィルスが口・鼻・目の粘膜から細胞に付着して、元気な人なら自分の免疫力で追い出せるが、コロナウィルスと相性のいい細胞を持っていたり、抵抗力が弱っていて運悪くウィルスからRNA遺伝子が入り込み、細胞分裂開始となれば陽性の体になってしまう。寄生する人がいないと生きられない半分生き物・半分物がウィルスの正体である。その起源について免疫学者の多田富雄さん曰く『初めに細胞ができて、そしてその細胞を構成している一部分がぽんと飛び出していって、そしてウィルスとなった』(多田富雄対談集 生命へのまなざし 青土社 182p)。ぽんと飛び出していったウィルスなので故郷を目指して戻ってくる。『ウィルスの中にはたった3つの情報しか入っていないものもいる・・・・ウィルスDNA(RNA)には無駄がありません。われわれ高等生物のDNAの90%くらいは意味のない、何の役に立っているかわかりません。・・しかし驚くべきはHIVも生物ですが、単純な生物(ウィルス)が人間という高等な生物とぶつかったら、今のところ人間はたじたじですね』(日沼頼夫 医学ウィルス学者)別な言葉で言うと『人間なんて高級だといいながら、自分の情報の何百万分の一しか持っていない生物をコントロールできるほど高等ではないんだということです』(同著185p)ウィルスについての対談を読みながら(1995年刊)、今回の武漢から発生したという通説がイタリアで患者が武漢より先に出ていたというイタリア人医師の論文が出ている。猛烈な反論がEC各国の学者から出ている。

3)だれしも思うことながら、毎日毎日国内や世界のコロナ感染者数のニュースが一体いつまで続くのか?ウィルスについてブログで書いても、新型コロナウィルスとどう共生していくのか見えてこない。

 

言葉は人間にとって酸素のようなもの(福島智)

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全盲の東大教授福島智さんと作家北方謙三さんとの対談本『運命を切りひらくもの』(致知出版社)に福島さんが漏らした言葉だ。9歳で両目失明、18歳で全盲ろうに。目も見えず、耳も聞こえず、対談は指点字通訳を介して行われた。


何度も鬱に入り、自殺を考えたが北方さんの小説に生きる勇気やエネルギーをもらい生き続けられたと。『言葉が人の命を救う。命にエネルギーを注ぐ』『私は常々実感しているんですが、見えなくても、聞こえなくても、何とか生活はしていけます。けれども言葉がないと、つまり具体的なコミュニケーシンが難しいと、人間というのは生きていけないんです。言葉は人間にとって酸素のようなもので、それなくしては魂が死んでしまう』同著148p・149p。『言葉というのは、文字どおり生きる力になるものだ』と福島先生の言葉に北方謙三さんは『それは福島先生だからの感慨でしょうね』とうなづく。


昨日の新聞で電通で自殺した東大生の記事を読みながら、誰か『命ある言葉をかけられなかったのか』とつくづく思う。残業時間100時間の話を中小の広告代理店に話すと『毎月、毎月100時間は軽く超える。まったくのサービス残業でね』と返ってくる。あるときそこの社長に『残業代、定額でも払ったら?』というと『残業はするなするなと普段から言っている。残業は無能な証だ。』さらに『残業代を払っていたら会社は潰れる』と。しかし、この会社はこれだけ多忙でも『うつ病がゼロ』だから凄い。夜に上司の愚痴を言い合ったり、帰りに飲みに行ったりケンカをしたり、夜遊びをしたり『生きた言葉を交わしている』ように筆者には見えた。生きた言葉を交わせる相手がいるのといないのでは、会社人生は雲泥の差である。


特に新入社員の場合、当該企業のルールが叩き込まれる。たて関係絶対の体育会系ルールと自分がどこまで馬鹿になれるかというお祭りルールが混在する電通は門外漢の人が生の姿を見たら吐き気を催すか、どっぷり入るか、二つに一つである。給与の高さだけで、生活のために我慢しながら生きている常識人も多数いるとは思うが、組織の自動運動の歯車にされて悩みをストレートに出せずに、24歳の短い生涯を閉じてしまった。これまでにも電通社員の過労で自殺した社員も多いし、テレビ局はじめマスコミにも若者や中高年の欝からの自殺も多い。『どの業種も自殺者は多い』という一般論へ走るのは止めたい。『この人を生かす』という視点に立ちたいものである。


『言葉は人間にとって酸素のようなもの』。酸素がなければ窒息死する人間(生物)。動物では自殺はない。言葉を持ってるがゆえに、自殺があるのかもしれない。だんだん表情を無くしていく人があなたの近くにいたら声かけをしてみよう。助けることになるかもしれない。その人はあなたの『言葉を待っている』。

改めて読む「コロナ時代の僕ら」

初めて聞くイタリア作家の27編のエセイ集だ。湖北省武漢で2019年末に発生した新型コロナウィルス感染者、アジア地域限定の流行だとタカをくくっていたCOVID・19がイタリアにも上陸。人類の有能さである飛行機・鉄道・車など・客船など早く遠くまで感染を拡大させる。『感染症の流行時は、人類の有能さが人類の不幸の種ともなる』(同著54p)同時にさまよう75億人の民、まさにそれこそがコロナウィルスの交通網なのだ。ウィルス発生の原因は研究所から漏れた説、市場で売られていたコロナに感染してたコウモリを人間が食べた説。この本では、ワンクッョン置いてヘビが介在していると推理している。

ジョルダーノの知人にミラノに住む日本人女性と結婚した男がいたが、母と娘がスーパーに買い物に行くと、二、三人の男たちから『何もかもおまえらのせいだ、さっさと国に帰れ』と怒鳴られる光景が書かれていた。中国人と韓国人と日本人は外見から区別がつかない。人種のことも含めて印象深いのは『感染症とは、僕らのさまざまな関係を侵す病だ』(同著13p)というところ。まったくある日突然、コロナに罹患した女性が、しかも小さな町での第1号であったがゆえに、いつのまにか自宅に大きな声で『この町を出ていけ』と叫ばれたりする。この女性は違う町に実際転居した。またある男性は、熱が少しあったが、親戚の通夜に出てから実家に帰り、コロナであることが判明して、親戚に電話したら『テメイコノヤロー、人殺しか!と暴言を吐かれたときの心痛が消えない』という手記も読んだ。100人の罹患者がいたら家族や職場や近隣の多数の人たちも検査を受けないといけないから『感染症とは、僕らのさまざまな人間関係を侵す病だ』はたった今、日本や世界で毎日起きている。

『コロナではないか』という疑いを持ちつつ、病院に行かず、じっとしている人も多いのも、それを発表した時点で、あらゆる人間関係がズタズタになる要素を持っているからだ。風俗で遊んでコロナに感染したら夫婦関係も危うい事態になるかもしれない。結果として約2週間の入院やホテル暮らしで無事治癒して帰宅しても、以降の自分の暮らしに、それまでと同じ人間関係がスムースに継続できるかどうか。多くの人に突きつけられる課題である。そういうときに、自分がどう対応するのか、自分がコロナに罹患した場合に、これまで友人と思っていた人が、手のひら返しになってずっと遠くへ去ってしまう要素もある。それ以上にこれからの暮らしや雇用が保てるのか。北海道はこれから厳しい冬に入る。冬の観光客で維持された多くのホテルや土産、飲食がどうなっていくのか他人ごとではない。コロナ時代の若い世代は、どこに自分の席を置いて座り、自分を表現していくのか?座る席がなくて、実家にユーターンしてくるかもしれない。そのときはそのときだと覚悟しよう。