世の親はみんなどこかであきらめる(立川談志)

談志が落語家になりたいと親に言うが、反対される。しかし、好きなもんはしょうがないと小さん師匠に弟子入りすることになった。そのときの親の気持ちを談志は推し量って「世の親はみんなどこかであきらめる」(河出書房 立川談志 30p)。娘が連れてきた結婚したい男を紹介されたとき、私は最初反対はしたけれどしょうがない。私が大学に退学届けを勝手に出したときも親は「しようがない」とあきらめるしかなかった。いまの妻と結婚するときも「こんな息子でいいの?」と妻に念を押した母親。「はい」と妻。しかし,40年経過して、「お母さんが言う意味」がわかったらしい。ときすでに遅しだ。クリスマスも終わり、世の親たちは子供たちからねだられたプレゼントの数々、高価なゲームソフトも多いが、強く欲しがるので親は「どこかであきらめて」買ってしまう。最新機種のスマホもそうだが、通信費を親が負担している子供も多い。考えてみると自分も子供のころ、親からあきらめられて育っているから、順繰りの人生だ。運動会でも目立った活躍もなく、学芸会も出番がなく、マンモス小学校ゆえ、まったく特性のない小学校時代を過ごしてきた。母の自慢は1歳上の兄だ。早い時期に私は「どこかであきらめられて」育ってきたような気がする。それがかえっ奔放に自然児(誰かから綽名をつけられた)のように育ち、非常識な社会人になる素地をつくったのかもしれない。

そば哲・遠浅店

年末も近づき、25日、苫小牧は積雪ゼロらしいので、隣町安平町にある、そばの名店「そば哲」遠浅店へ年越しそばを兼ねて車を走らせた。上左 有精卵卵焼き  上右大盛 下段は焼きナスソバだ。近くに社台スタリオンがあり、競馬関係者も多く来店する。トーカイーテイオー、ディープインパクト、キングカメハメハなどを見に来た後は必ず立ち寄ったが、心無い観光客が増えていまは観光客は入れないのがさみしい。とはいえ、2021年の締めくくりは「そば哲」に行かないと。親しい人が来ると、そば好きが来ると連れて行った店だ。フレンチの三国シェフ夫妻とこの店で鉢合わせをしたことがある。そして彼らも最初に頼んだのが、卵焼きであった。

新千歳空港から近いのでレンタカーですぐに到着するが、ファンが多く、午後1時以降に入るか午前11時過ぎに入店するといい席に座れる。文字ばかりのブログに1年間、お付き合いくださりありがとうございます。

そば哲本店もあるのでお店を間違えないように。

営業マンの人気が回復?

これまで何度か営業が不人気業種だとブログに書いた。ところが、先日、東京から旧知の人がやってきて「営業部の人間が他社に取られてしまう」と嘆いていた。せっかく10年以上かけて育ったのにもったいないと。私は「営業は仕事としてしたくないナンバーワンではなかった?」と聞くと「それが、営業全般をこなしてきたのならウェルカムの時代なんだ」。彼が言うのは、広告部門の人間たちで、たくさんの業種をこなしてきた人たち。応用がきくらしいのだ。極端な話、マンションの管理人も昔は警察や自衛隊員の第二の職場になっていたが、今は定期的にマンション管理人の住民アンケートされるので、評価が低いと雇用契約されない。「コトバ遣いが横柄だ、愛想がない」と評価が下される。経済専門誌にも都銀の社員が銀行の未来に見切りをつけて外国の投資会社へ転職したとか、ひとり転職させれば、その横にいる有能な人材をダブルで釣るという発想もある。そういえば不動産会社の役員から「こんな人いないかしら」と営業できる人を相談されたことを思い出した。企業の栄枯盛衰は人材であることを思えば、終身雇用なら時間をかけてのんびり育てたものだが、いまは「自分の時間をそれなりに使いこなせる」人、好奇心と欲が程よくマッチしている人が求められている。しかし、結婚後4回の転職をした私にとって何が大事かというと、実は見えない「社風」なんだとつくづく思う。営業を40年経験してきて最後の会社が27年働けた理由を分析すると、縦関係の緩さ、役職者でも「さん」づけで呼ぶ、社長でさえ「〇〇さん」である。こういう社風なら営業をしていてもノビノビ仕事ができる(しない人も多いが)。30代40代になったら、20代の転勤族を教える、札幌の経済環境や自分の人間関係を若手に与えて仕事をスムースにさせる。そうやって札幌での彼らの営業活動を応援する。その動く癖が東京へ帰っても生き続け、彼らを支える。営業はこうやって世代を超えて回転し続けるのかもしれない。知識も生きた知識として次の人へ伝わり、その人からまた還ってくる好循環を生み出すが、これは理屈ではなく実際経験しないとわかりにくい回路である。どうか、このあたりを配慮して、相手に出し惜しみをしないで仕事をしてほしいと思う次第だ。