飛行機の切符を買いたいのだが・・?

10月13日、夕方札幌市内を歩いていたら、70代半ばの男の人から「この近くにJTBの営業所はないですかね」と聞かれ「飛行機の切符が欲しいのでJR職員に聞くとわからない」ということだった。以前、駅構内にあったJR系の旅行代理店も閉鎖し、私が知っている駅周辺部の名鉄、日本旅行、近畿日本ツーリストも店を閉めていたので教えられなかった。人通りの多い中心部で再度聞いてみてと答えるしかなかった。咄嗟にスマホで調べる余裕もなくて情けない私であつた。JALやANAの支店も駅前通りにあったのに。

考えてみると単独で飛行機のチケットを私は取ったことがない。飛行機は苦手で乗るときは、娘に頼んでいたから、チケット取得オンチである。コンサートもようやくイープラスで申し込みができるようになった程度だ。しかし、旅行代理店を探し回る高齢者は多い。旅行代理店主催のツアーに参加すれば旅はできるが、単独で好きなところに都合のいい便でサクサク取得できる人はいいが、できない老人も多い。私を含めたデジタル弱者といえる。老人の横に子供がいて、手取り足取り教えてくれる人がいればいいが。世の中、そううまくはできていない。電話で聞いても、それを即座に理解できてチケット取れる人ならとっくにやっている。自分ができてあたえりまえのことは、相手ができるとは限らない。飛行機のチケットに限らず、働く人が集まらない飲食やコンビニもセルフやタブレット注文が当たり前で、無人のコンビニも出てきた。世の中の趨勢とはいえ生(なま)の人の気配が後ろに退き、こういう社会で大丈夫なのか?人間性が衰えないか?

「病患はキリスト教徒の自然の状態である」(パスカル)

 

パスカル1623年~1662年(39歳)

フランス学者渡辺一夫さん著『寛容について』(筑摩197p)で(狂気について)の項目で冒頭に引用されている。パスカルの言葉で、数学者にして求神精神のパスカルがキリスト教徒自身の宗派皇宗で殺しあう現場と世の中を生きていて述べた感想。しかし、別に狂気はキリスト教徒の専売特許ではなくて、人間である以上、狂気と無縁で生きている人はいないぞと渡辺一夫さんは言いたいのだ。何かに夢中になっている精神状態は、傍から見たら、普通に『狂気に取りつかれている』ように見えるし、事実、狂気の中にいる。ブログを書く行為も他人が見たら『狂気の中に入っている』と思える。正常と異常、普通と狂気の境は曖昧。ある観念(神や教えや思い込み)、ある人(偶像やカリスマ)、ゲーム、仕事(売上げやフィニッシュ)、恋(異性ほか)、スポーツのイベントと応援風景は全く関心のない人には異常や狂気に見えるのも本当だ。そうであれば、世の中は狂気のON/OFFが日常繰り返して起きているのが現実であることをまず認識して『天使になろうとして豚にならないよう』気をつけて生きましょう・・・というメッセージが渡辺一夫さんの本にはある。狂気なくして文化やスポーツも野心も生まれないのだ。何度も見ていると、それが当たり前になってしまいやすい。16世紀ヨッロッパが大陸の人口増もあって、地球のあちらこちらへ物産を求めて、航海へ出て行ったが、これも狂気以外の何者でもない。巻頭パスカルの言葉『病患はキリスト教徒の自然状態である』がリアリティを持って筆者には迫るのである。『平和とか安静とか正気とかは一応好ましいものとしていますのに、この好ましいものが少し長く続きますと、これに飽きて憂鬱になったり倦怠を催したりします。そして、再び次の(狂気)を求めるようになるらしいのです』(199p)。

現代世界は『退屈病』という名の病に冒されているともいえます。そしてそれで一儲けを企みます。そういえばパスカルの『パンセ』に『所詮、人間のしていることは、気の紛らわしに過ぎない』という名セリフがあったことを思い出した。なんだか、すべてが虚無の海に流れて行くようであるが、一面の真実を突いている。『ある人は(狂気)なしでは偉大な事業は成し遂げられない、と申す人々もおられます。私は、そうは思いません。(狂気)によってなされた事業は、必ず荒廃と犠牲とを伴います。真に偉大な事業は、(狂気)に捕らえられやすい人間であることを人一倍自覚した人間的な人間によって、誠実に執拗に地道になされるものです』(200p)

*退屈病から、狂気に走ったり、孤立や孤独からSNSでのヘイトメッセージを匿名で書いてみたり、自分の鬱的心理を外へ向かって呪詛して心のバランスを取ろうとしがちな現代人。性別・年齢問わず気をつけたいが、日々安心して暮らせる収入がなければ、貧困・情緒不安定・未来への希望喪失になる。足元の現実の辛さを見たくないために、集団の狂気に向かうのだけは意志で避けたいものである。

繰り返しますが、狂気によってなされた事業は、必ず荒廃と犠牲とを伴います。しかし、病患はキリスト教徒の自然状態とパスカルは言うが、必ずしも彼らだけではなくて、「これは絶対だ」と思いこんで生きる人々をも浸食させていく。イデオロギー(必ず敵を想定して生きる生き方)にからめとられるから要注意だ。

 

 未分類

平気で他人を洗脳する人々。

本人は善意で言っているつもりが、結果として相手を洗脳していることがとても多い。厳密に洗脳の定義をすると、生まれたときから親からの躾もそうだが、幼稚園や学校で、また企業で、影響力の強い友人とか、信仰や信念を人一倍強く持っていて、声が大きいとかいろいろである。

毎朝、社訓を唱和して一日を始める企業もある。唱和する社員も『仕方なく声を上げている』ケースが多いとは思うが、その言葉がどこかでいつか動き出す。言葉は言霊ともいい、繰り返すと心の中に入ってしまう。戦前の『教育勅語』もそうで、電通鬼の訓十訓(下記参照)かもしれない。

繰り返しの言語は必ず浸透するから、書き言葉ではなく、音声とともに入ること言葉の威力は太古の昔から、『洗脳する場合』大事なことなのである。幕末の寺子屋でも『素読』を重視していた。漢籍の素読や古事記などであった。しかし、これは普通は洗脳とは言われない。教育の一環であって、どこで洗脳と区別するのか筆者もときどきわからなくなる。

洗脳集団の特徴は筆者からみて、訓示が最高で10条くらい(これ以上では多過ぎて覚えられない)。筆者の勤めた会社も『私どもはお客様にとって云々』というフレーズを何度も読まされたが 、いまは1行も覚えていない。どこか小馬鹿にしながら口パクしていたのだと思う。しかし、経営者はどうして社員にそうした教えを垂れ流すのか。

職人の世界なら幸田露伴の『五重の塔』でがっちりした倒れない塔をつくる、無名の職人が全国各地で釘を使わず建てた塔も多い。そういう世界では親方の背中を見て、失敗を糧として物づくりに励んできた。『言葉』が中心の抽象的な仕事が都会で増えるにしたがって、また社員数が増えて全体をまとめる必要が生じて最低限の決め事を作ったのだろう。

しかし、ことは企業だけではなくて新興宗教は『自分の悩みの答えを性急に求める人々』を口を大きく開けて待っているから要注意だ。財産をすべて失うケースも多い。洗脳が財産すべて没収に通じる、教祖の覆面ライターによる本を買わされたり、全集本や高い仏壇も購入したり、下手したら日常の衣服を捨てて道場着に着替えるオウムのケースもある。金の使い方や被服にまで洗脳する。

しかも、どちらも『洗脳する』『洗脳される』という意識が外から見ていて無くなっている。言い方はしかし『断定的』で、ここに『洗脳』の深いところがある。洗脳者は異様な自信家で迷いなく喋る。あなたの身近にいたら気をつけたい。

電通 鬼の十訓 生き方において現代でも生きている。この「鬼」という表現、パワハラを連想させる社風だ。現実、そうだけど。めちゃめちゃ体育会系だから、私には無理な職場と言ってくれた元電通社員(パワハラでやめた)がいた。妻は電通社員への給与振り込みをする銀行にいたことがある。「なんでこんな多額の給与が支払われるの?)と行員たちの話題であった。ボーナスもすごかったらしい。電通社員に聞くと、多いけどこの中から「交際費」やゴルフ代金、タクシー代、自分の小遣いもあるから大変なんだ。」残業代も含まれていた。三越デパートを担当していた営業マンが、商品券を10万買ったりして奥さんへ渡す。「日常生活品を三越で買えと言うの?」と奥さん。・電通社員は当時、消費者金融の世話になっている人も多く、自己破産者もいる。派手。

20160517190630