身死して財(たから)残る事は(徒然草第140段)

作家の島尾敏雄さんが翻訳した徒然草第140段です。(世界文化社 徒然草・方丈記)84p

死んだあとまで財宝が残るようなことを、知恵のある人はしないことだ。つまらぬ物を蓄えてあるのもくだらないし、と言ってよい物であればあったで、それに執着していた心があらわれて、はかない。財宝がやたらに多いのはなお一層なさけない。「それは私が当然もらうもの」などと言う者が出てきて死後に争うのなどはみっともない限りだ。死んだあとは誰にやろうと決めているのなら、生きているうちにやったほうがいい。日常なくてはならぬものは持ってもいいが、その他は何も持たずにいたいものだ。

1330年ごろに書かれた140段。鎌倉幕府が滅ぶ(1333年)直前だ。吉田兼好は人間関係が広くて、天皇周辺や新しい時代の要人との交流も深く、鎌倉での交際も含めて様々な階層の人を観察している。現代と同じく、財宝を巡る争いを書いているのが第140段。特に日本の金融資産が70歳以上の高齢者が持っている。そして自分の老後を心配して使わない。そして死んだあと、遺産相続という話になってゆく。70歳を過ぎてポルシェに乗りたいとか億円マンションに住みたい人は圧倒的に少ない。

だから吉田兼好先生が言うような「死んだあとは誰にやろうと決めているなら、生きているうちにやったほうがいい」。そしてその人に使ってもらう。私にも一つ年上の兄がいるが、60歳で定年になり、企業年金も良くてずいぶん貯蓄をしているらしい。しかし、私と違って金の使い方がケチで孫の高校合格や大学の卒業記念の食事会に「中華食べ放題で4000円は高い」とか必ず、食事の金額を電話口で話す。「めでたいのだから、思い切ってホテルのフルコースでも奢ってあ大盤ふるまいをしたら」と私は言うのと効果てきめんであった。「有名ホテルの中華のコース料理に変えたみたいふだが、いいことである。最後は北京ダッグ出るからね」

総勢10人の宴会だ。70歳以上の老人たちが金融資産を莫大に持っていて、動きが金融の動きが鈍い。大して欲しいものもないのだから、使える人に(子供や孫に兄弟に)渡して、使ってもらうのも手だ。我が家に森のおっさんシメ、ヒヨドリ、スズメが一日3回給餌している。ヒヨドリはヒヨドリ通信、スズメはスズメ新聞、森のおっさんシメにはシメ看板という3つの通信があるので、全国の仲間たちに知らせれて欲しい。

シメ
ヒヨドリ
スズメ

 

「スポーツって悪いことだね」(深沢七郎)

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ワールドカップはスポーツの戦争である

作家の深沢七郎(1914年~1987年)さんのような発言をする人がスポーツ紙や全国紙には書かれていないので、新鮮に読んだ。大きな声で言えないが、絶対少数ながらどこの国にでもいると思うのだ。

「スポーツの選手っていうのは、おだてられて、自分の身体に無理に無理して、自分の体力の限界以上のことをやっている。ひとつの犠牲者だと思うね。1位だ2位だって、権威っていうものにあこがれて、ほんとにひどい労働以上のことをしている。スポーツっていうのは、ほんとに悪いことだね」(深沢七郎 生きているのはひまつぶし 光文社117p)さらに、そういう意見をスポーツ新聞に書いたら載せてくれなかったとも書いてある。

今日の新聞・テレビはスポーツニュースはスキャンダル含めて看板番組。読者や視聴者も多く、おろそかにできないカテゴリーなので、この際もう一人、深沢さんとは違う視点でサッカーうるさい批判を書いた文筆家池田晶子(あきこ)さん(1960年~2007年 47歳 がんで死去)の文章を紹介する。

「サッカーはファッショである」と題されて「サッカー一色である。ミサイルが飛んでくるかもしれないというニュースより、サッカーのニュースが先にくる。4年前のワールドカップの時、どうか韓国で開催されますようにと、私は祈っていた。ところが仲良く半々でやるという。ああ困ったな、迷惑だなあ。住んでいる所が、国立競技場に近い。W杯でなくても、何がしかの試合をやっている時は大変である。なにしろあれだけの人数の観客がいっせいに集合離散、移動するのだから、犬の散歩に出られない。試合が始まったら始まったで、オーレオーレの大合唱に妙な応援歌、時折あがる悲鳴と怒号の大噴火に、窓を開けることができない。仕事中は耳栓である。そんなものが連日近所で国際規模で開催されれば、ふだんの暮らしがたちゆかなくなる。~~じっさい、W杯のとき、日本早く負けろと思っていた。静かな日常に戻りたかっただけである。~~日本VS韓国の大決戦で熱くなっている大観衆に向かい(日本負けろ)とでも叫んだら、どうなったか。たちまち私は非国民として、石もて追われただろう。ファッショである。」(池田晶子 知ることより考えること 新潮社90p)。

実はこれ、何も日本だけではなくて、W杯フランス大会でもカフェで静かに読書をしていた女性が池田さんと同じ発言をしている。前出の深沢七郎さんはさらに「札幌オリンピックっていうのは悪いことだ。スポーツって悪いことなのに、それに金をかけて2倍に悪いことだって言ったら、スポーツの人嫌がってね…」。ここにあるのは静かな日常生活を守るために非日常の出来事を侵入させたくない意思だ。いまは絶対少数になったけど、ほんとうはもっと数として声には出さないが多くいる気がする。

「サッカーも戦争も、自国の誇り(たまたまその国に生まれた属性に過ぎないこと)を賭けて争っている。現実の血が流れるよりはマシなだけで、スポーツは明らかに代理戦争である。代理戦争のガス抜き装置としてのスポーツ。昔から人間は賢くなってはいない」(同書 92p)

メディアは元スポーツ選手花盛りで、現役引退後、解説者・各競技評論家、監督やコーチ、講演会やスポーツ紙寄稿で生活費を稼いでいる。

私の身近に、若いときにスポーツ選手で、いま膝や腰を痛めて中年期を迎えてる人も多い。相撲はなぜあんなに肥満にして、成人病まっしぐらの見世物奴隷になるのか。普通の人があの体型をしていたら入院措置だ。ドクターストップされてもいいじゃないかと言うと妻に言ったら一笑に付された。神事では昔はあったが、今や米櫃を取り合う相撲OBたちの利権争いの具ではないか。プロ野球しかり。その道に進まなければ、平凡で幸せな人生行路だったかもしれない選手も多い。考えてみれば変な遊びをギリシャやローマ、イギリスが世界にプレゼントしたものである。

なかなかこういう視点でのスポーツ批判は最近では読めない文章なので長々と引用した。許されたい。

命を大切にする人は 「老子(タオ)」自由訳 加島祥造

 

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4月17日 忍野八海から 今井昇撮影

きょうでブログ3276本.

久しぶりに加島祥造さんの自由訳「老子」から第50章「命を大切にする人は」。

人は生まれて、生き、

死んで、去ってゆく。

三十の年までは柔らかで若くて

生命(いのち)の仲間だといえる。

六十をすぎてからの三十年は

こわばって老いて

死に近づいてゆく。このふたつの三十の間の

壮年期の三十年は、まあ

しきりに動きまわって、どんどん

固いものに近づいてゆく期間だよ。

どうしてこんなサイクルになるかって?

それはね、ひとが

生きるための競争に

こだわりすぎるからだよ。

聞いたことがあるーーーー

生と死は同じサイクルのなかにある、

それを知って、

命をそっと大事にする人は

旅をしてもけっして

猛獣のいるところへは行かない。

軍隊に入れられても

武器を取る役には廻らない。

だからその人生では

虎の爪や犀のツメに出くわさないし

兇暴な人物の刃にかからない。

それというのも

生をとても大事にしているからなんだ。

自分の命を大切にしている限り

死はつけいるすきがないんだ。