「この犬は僕のだ」(パスカル・パンセ295)
争いや戦争の原因、不幸の原因に横たわる人間の心的心持ををパスカル(1623年6月19日から1662年8月19日 39歳)は言う。新潮文庫 前田陽一訳
「この犬は僕のだ」と、あの坊やたちが言っていた。「これは、僕の日向ぼっこの場所だ」。ここに全地球上の横領の始まりと、縮図がある。(パンセ 295)
犬をお金や土地や水や油や彼・彼女の財産や親の遺産・地下資源・ここの地位や権力は僕のものなど置き換えると、よくわかる。最近の選挙に参議院選挙にこれをあてはめると、ここの地盤は僕のもの、この団体は私の票田。営業先でいえばここの会社の宣伝は私のもの、私は何度も追い出された記憶がある。そして、戦いになると目の色が変わる人が多い。それはあの人が元々あった性格というより、誰しも同じ状況になると「天使になろうとして豚になったり」「善人だった人も残虐な人に変貌する」。紙一重の世界に生きていて、それは小さな子供の世界から老人ホームまで、古代から21世紀まで、いや23世紀まで世界中の大陸間で日々、残虐ゲームが多発して終ることがない。
パスカルが気を紛らわすこととして パンセ139
「人間のさまざまな立ち騒ぎ、宮廷や戦争で身をさらす危険や苦労、そこから生ずるかくも多くの争いや、情念や、大胆でしばしばよこしまな企て等々について、ときたま考えたときに、私がよく言ったことは、人間の不幸というものは、みなただ一つのこと、すなわち、部屋の中に静かに休んでいられないことからおこるものだということである。」92p


坊主の孫。
「ウソも100回つけば真実になる」とは中国だったか韓国だったかは覚えていませんが、諺らしいですね。最近ではあのロシアの大統領が「アイヌはロシアの原住民で、従ってアイヌが多い北海道も元々ロシアの領土だ」とか?。北海道侵略前章の理由付けともとれる発言をしているらしいですね。戦国時代と余り変わらない現代のキナ臭い世界情勢ですが、略奪した土地が広ければ農作物や天然資源も豊富になり国が潤うのでしょうが、犠牲になる国や人も多く出るでしょうね。平和な国と言う部屋の中で静かに暮らしていた人たちも。
seto
平和は毎日の見えない努力の積み重ねがないと訪れません。人間、特に権力者は「自分に都合のいい歴史とかストーリを必ず持ち出します。特に劣等感の強いプーチンや安倍晋三あたりは顕著です。そしてイエスマンの虫たちが徘徊しています。)土地については、ヨーロッパやユーラシアは地続きで、馬や羊や牛は餌を求めて隣の土地へ入り込みますから、領主たちは城を築いて、戦争ばかりしていました。現代にもそっくりつながります。領主・軍隊・貴族は生産しませんから、農民や牧畜民、商工業者から税金を何分の一税で徴収します。それも足りなくなると隣の城を責め立てて、農民という労働者と放牧地を広げて、城の存在の不安を解消します。ほぼすべての領主は常に臨戦態勢です。中世のフランスの歴史をいま読んでますが「ラ・ロシュフーコー侯爵伝説」(堀田善衛)ヨーロッパはひどいもんです。軽々と平気で侵略していきます。海があっても狭ければ、イングランドはフランスにたくさん海岸線に領地を持っていました。ノルウエーのバイキングもフランスあたりに南下、略奪殺戮を繰り返していました。それを防ぐ意味で娘たちが相手国へ嫁になり、親戚関係をつくることで争いを抑えていたのですね。11世紀から17世紀半ばまでのフランス貴族の歴史を読むことでヨーロッパのリアルを学んでいる最中です。新しい発見があればブログにまた書きます。
昔の少年。
「この島は我が国のものだ」と、尖閣も竹島も。実際はどうなんでしょうね?。あれだけ言われると不思議なもので、もしかして間違った歴史教育だったのか?とか考えてしまいますね。いずれにしても真実は一つでしょうから、何時の時代に、誰が決めたのか。その決め方は間違ってはいなかったか?など検証できればいいですね。もし相手国が正しければ受け入れるしか無いですし、間違いなく我が国の領土であれば今以上にスッキリしますね。しかし小さな岩のような島で騒ぐ事自体滑稽ですね。自然は誰のものでも無く地球のものですね。いっその事、噴火か地震か何かで自然消滅してくれた方がお互いスッキリするのでは無いでしょうか。
seto
国境や領土は近代国家が作ったフィクションです。真実はたぶんないと思います。そのフィクションの中で法律が作られ、国境を決める会議が行われて、相互の利益損益を考えてつくるだけですね。国境には正しさはないというのが私の意見で、中東やアフリカは地図上でエンピツで線を引いただけ。スペインとポルトガルも経度と緯度で分割していたり、土地の売り買い(アラスカはソビエトがアメリカに売った)、カリフォルニアはメキシコからアメリカが強奪。「島」についても、現代は海底資源や200海里がその国の領海になるから、面を取るために点に固執するのですね。自国民ナショナリズムを喚起するには(といことは内政がうまくいってない場合)領土問題で騒ぐのにうってつけ。はれ物には触らないよう運営していく(自由地として、海難の場合、そこで休むとか逃げるとか)人類の知恵があるわけですから活用しないとね。AかBでの決着は戦争になります。外務省はそのためにあるのではないでしょうか?太平洋戦争も軍部ではなく外交力と通信や外国語力があれば国民の死者がもっと少なく、原爆も落とされず、沖縄戦にもならず終わらせたと思うので、テレビニュースに流されずに、未来から今を訴求することが必要だと思いますが。