紙切れは人間よりもっとひどいうそをつくもんだ
2015年、ノーベル文学賞を取ったベラルーシのジャーナリスト、スヴェトラーナ・アレクシェーヴィッチ「セカンドハンドの時代」~赤い国を生きた人々~(岩波書店 松本妙子訳)より。書く人は往々にして、自分の意見や主観を交えて相手を取材しがちだ。彼女は録音機を回して、相手の思いのたけを語らせてl記録を残す禁欲的な仕事をした。作品を残した。相手の言ったことを裁かない。沈黙時間は「沈黙」とか「黙る」と記す。
西側諸国では英雄のように語られるゴルバチョフではあるが、ペレストロイカ後のソビエト連邦の崩壊の中で暮らす人々。性別・職業・年齢、様々な人に取材する.表題の「紙切れは、人間よりももっとひどいウソをつくもんだ」は、92歳の共産党員が「わたしは、じきにリンだのカルシウムだの、そんなものになりはてるだろう。そうなったら、あなたはだれから真実を聞くことができますか。残っているのは記録文書だけ。紙ですよ・・・・。わたしは文書課で働いていたから知っておるが、紙切れは人間よりもっとひどいうそをつくもんだ」(211p)いまから考えれば、スターリンはソ連人を2000万人とも3000万人とも虐殺した独裁者ではあるが、92歳の党員は平等・富の公平を夢見た時代を忘れられない。
文書としてだけ残されれば、スターリン批判に終始するのはわかっているが、90歳を超えて、いまさら市場経済だの金の時代だと変革があっても何をどうしていいか全くわからないのである。世代の違う家族同士も政治的な意見の対立からバらバラになってしまう。ロシア人とこれまで仲良く暮らしていた各民族とも人間関係がぎくしゃくしてくる。殺人さえ発生する。なぜなら「あっちの国」の人だからだ。口もきかなくなる厳しい現実が伝わってくる本だ。全600ページあるのでまだ200ページを超えたところだ。語る人の生涯がオーラルヒストリーとなって目の前に現れ、そこに横軸で政治や革命、2700万人のソビエト兵士を戦死させた大祖国戦争(第二次世界大戦)が人生を揺るがす。書名のセカンドハンドは、中古とか誰かが使用したものと言う意味だが、今日、私たちの知る話や事柄の内容は、すべて他人のおさがりを着ているのではないかという意味でセカンドハンドと命名したと言っている。知っていることは、実は本当は何も知らないのに、誰かが言っている、どこかに書いてあった、テレビで言っていた、ネットのニュースで流れていた、信頼できる〇〇さんが言っていた。さらに本に書いてあった。この本をTHE BOOKにすれば聖書だ。何が本当で何が嘘か、月光仮面ややシャーロックホームズが出てこないと解決できない。
とはいえ、他人に頼るより、自分の五感で判断するのが最適解だと思う。ラーゲリから帰国した画家香月泰男さんが、立花隆さんのインタビューで「・・しょせん人間は弱いものだと思い込んではならぬ。人間一人はまったく強いものである。群は強いように見えるが本当は弱いものだ。人間は一人でいるほうが強いのだ」(立花隆 シベリア鎮魂歌 321p)それを実践して帰国した。蛇足ながら、しゃべり言葉をここまで翻訳された松本妙子さん、すごいなあと思った
