モーセのエクゾダス(エジプトからの大量出国)100万人以上
旧約聖書で知られる、モーゼj率いるイスラエルの民がエジプトから大量出国する(エクゾダス)。エジプト王から虐げられたイスラエルの民を引き連れて、シナイ半島を越えてカナンの地まで旅する話だ。阿刀田高(あとうだ たかし)「私の聖書物語」(集英社)に「エジプト王から脱出の許可が出て・・・妻子を別にして成人男子だけで60万人、これに使用人など関係者も加わる。家畜もいっしょだ。」(88p)430年間住んでいたエジプトをイスラエルの人々が離れることになったのである。
リーダーはご存じモーセと兄のアロン。モーセの心配はうまくしゃべれないこと。そこで口達者の兄をモーゼの会話代理人とともにリーダーに置いたのである。しかし、成人男子で60万人だというから奥さんと子供、使用人を含めれると最低150万人にはなるだろう。1000人単位、100人単位で指示系統を作ったとはいうが、毎日これだけの人々を食べさせる、水を飲ませる、テントを張る、トイレをする、性生活もあって子供が生まれることもあろう。大都市が移動すると考えるといい。紀元前15世紀から14世紀ころの話だ。有名な紅海を神の力で2つに割ってそこを通ったと言うが。150万人と家畜たちが全部渡りきるまで時間が掛かり過ぎですよね。後ろからイスラエル人をやっぱり皆殺しだと追いかけてきたエジプト人。大集団を食べさせる(神の奇跡で食料が湧いてくる)のも大変、いつまで歩けば約束の地カナンに到着するのか?モーセの言うことはインチキペテンではないかとも疑われる。
しかも説明や会話が下手と来てるからここは兄のアロンが出番。シナイ半島にわたってもここで40年、ぐるぐる回る。すでに先住していた部族を殺して食べ物奪い、オシスをも泥棒する。そうしないとエクゾダスは成功しない。モーセの10戒は、シナイ半島にわたって神から伝えられた訓示だ。しかし、10戒のなかの「殺してはならない「盗んではならない」は、移動するイスラエルの民が40年間、カナンの土地に着くまで多くの現地の部族を殺害、食料を盗み、神の掟に自らそむいてきとことである。ほとんどの宗教は戒律を破るためにあるようなものかもしれない。
長い期間にわたり、民族を放浪移動させたモーセ。精神分析者フロイトの遺作「モーセと一神教」にモーセはエジプト人(イスラエルの民と会話が不自由)でカナンの地に着く前に、イスラエルの民に殺されたと推理している。
坊主の孫。
中東の歴史は同じ神を崇拝して居乍ら神の教えの解釈がそれぞれ違うのか?これまでも、今も絶えず争いが絶えませんね。どこの世界も同じかも知れませんが、リーダー格の人達も皆んな過激で、お互いぶつかり合い、民族間で血を流す様は理解できません。聖戦など民族の違いの理由での争いなど、神が実在したなら許される事では無いのでしょうが、争いや戦闘の正当化にすら神の名を引き合いにするのは、神の名は違えども、大日本帝国時代も同じですね。神風が自爆テロを産んだとも言われていますから、軍備を急速に増やす政策の今、他人事ではありませんね。時代がまた逆戻りしませんように祈るばかりです。祈る神は当然ながら平和と言う、これも希望であって実在はしない訳ですからね。自分の心の中で願う事しかできませんね。
seto
宗教の布教のために他民族を虐殺したのは、初期のモーセと後のキリスト教だけです。十字軍でイスラム教徒を虐殺していきました。現在、アメリカも福音派のカルト的な信者が25%いて、他国に民主主義を押し付け、ときに爆撃して虐殺します。プロテスタント国です。ユダヤもキリストもイスラムも同じ神です。イスラエルをあの場所に建国したイギリスとフランス。南米やアフリカに建国する話もあったわけで、そこを選択すれば・・・と。歴史にもしもはないわけですが。戦争に聖戦はありませんね。殺された側の身内や家族に残された憎悪はずっと長い間続きますから、たとえ現在のハマスがいなくなっても第二第三のハマスが立ち現れます。ホロコーストされたユダヤ側がパレスチナ側にホロコーストしている現実です。ホロコーストの記憶がイスラエル人に残っているし、フランス人の反ユダヤ主義反対デモも第二次世界大戦でビシー政府がナチスに協力してユダヤ人狩りを積極的にした贖罪の意味があるわけです。ヨーロッパ全体がいかにユダヤ人と複雑な歴史、根深い歴史を共有しているか、大都市のデモを見るとわかります。本来、イスラム教徒と一緒に反戦デモをしなければいけない立場ですよ。
アドマン。
寮生活の高校生の頃、電車で1時間ほどで街に出た時、これもまた逆方角から1時間汽車に乗って来た父とバッタリ会いました。絵を描く事も有った父は多分、街にしか無かった画材を買いに来たのだと思います。そんな父に誘われて「エクソダス」の映画を観ました。宗教と言えば祖父が浄土真宗の伴僧でしたから長男の父も後を継ぐ筈が、若い頃に家を飛び出した後に、東京でキリスト教に興味を持ち、暫くでしたが日曜ミサにも通ったと聞きました。ですから映画の解釈はお互いに違ったと思います。私は現実主義で、映画は映画としてしか見ておらず、海が割れるシーンは、当時の特撮技術に感心したものです。後で考えれば美化された宗教映画だった訳です。信じていらっしゃる方々も多いかも知れませんが、多分実際とは全く違っていたのだとは理解できます。ただ、民族間や宗教思想の違いだけで争うのは理解に苦しみます。永遠にお互いを認め合い歩み寄る事は出来ないものなのでしょうか。
seto
ハリウッドの作ったエクソダスはユダヤ資本のPR映画です。チャールトンヘストンがモーセを演じたやつですね。あの映画でなかったのは彼らが移動しながら先住民を虐殺していったシーンですね。美化する映画にそれは不要というわけです。BC3000年前の物語です。国境線の移動は殺戮を生みやすい。放牧民なら国境線の意識はありません。イスラエルもパレスチナの土地を略奪し続けてきましたからね。アメリカもメキシコからカリフォルニアを略奪しましたね。欧州は資源の大地アフリカをチズ上で横取りしてきたわけです。キリスト教を布教しましたが、アフリカでも現在、虐殺が起きています。地下資源の取り合いです。現在、日本は外交を世界に広げるチャンスですから、賢く立ち回れる位置にいるんですが、外交は選挙の票にならないので。前回のパレスチナ問題のときノルウエーが裁定者で出てきました。オスロ合意です。