SNSが10代の心を壊す?

SNS

9月1日発行の「NEWSWEEK」に(Is Too Much Facebook For Teens?)というカナダの学者の研究論文が発表されていたので紹介します。

その研究によれば、1日2時間以上フェイスブックやツイッター(日本ではラインか)を利用している人は12歳~17歳で25・2%。アメリカの調査機関では、10代では「一日1回以上のアクセス」が92%、ほぼ毎日が24%。日本に比べてずいぶん低いような気もするが、問題は「ソーシャルメディアを過度に使用するから精神状態が悪くなるのか、精神状態が悪いから過度に使ってしまうのか」という点に論点を持ったいった記事でした。

しかし、過度ってどのくらい?とか精神状態が悪いってどういうことについてなのか説明が記事にはない。若者の絶望感や自殺念慮の表明が見られることをして、精神の悪化とみているらしい。それを大人がどうやってチェックするの・・までは書いていない。プロバイダーへ見に行くのかもしれない。

フェイスブック(ライン)を長時間使うと、気分が落ち込むという研究もある。友人と自分を比較し、ネガティブな心理状態に陥りやすいからだと言う。イングランド公衆衛生サービスでは、1日4時間以上利用する子供は特に心理的なリスクが高いとも書いていた。論文の結論は、逆に、ソシャアルメディアを利用して若者の問題解消に利用しようという提案で締めくくる情けない論文でした。子ども達の文を覗かないとわからない部分を書いている研究者でした。JR通勤をしていて、スマホしながら歩いている人と体がぶつかる、これだけは避けてほしい。10代に限定しているけど、心の病気は大人の方が重い現実がある。少年たちの基礎的な暮らしを支えているわけだし。もちろん小学生を調べたら3%くらいうつ病の子供がいると研究し、新聞記事にもなった知り合いの精神科医もいるから、大事とは思うけど。

わたしからみて。うつ病の異常な増加、鬱もどきであっても平気で診断書を書く「心療内科」の医者。前の会社でうつ病を診断したら、全員が「鬱診断書」を持ってきて、長期間、自宅静養だった。実際は半分の人間だと思うけど。共通は社内業務から数字を持つ営業への人事異動が出たとたんにうつ病になってしまった。「大したことないよ。会社の同僚と愚痴のこぼし大会でもやったら?」という、本当のアドバイスを医者ができない社会性の無さ、薬でしか儲けられない病院体質ですね

ネットはプチうつの人たちの他罰を容易に。

鬱線路

9月15日「システムへの依存とクレーマーの大発生」を書いた。自分では何ともできない分野でのトラブルを相手の責任にする思考習慣、クレームを言い、ときに訴訟を起こしたり、言われたほうもうつ病を発症したりして、仕事を止めざるをえなくなる話だった。

香山リカ「悪いのは私じゃない症候群」(ベスト新書)を読んでいたら、30代・40代の大人が病院へ親(多くは母親)と一緒に来て診察室に入り、患者そっちのけで母親がペラペラしゃべる話が書かれてあった。そして誰誰さんのせいで、娘がこうなってとまくしたてる。うつ病で休んだ若い人の場合、今度はその親が「会社が悪い、人事異動のせいで息子〈娘)が鬱になった」と訴えるケースも出てきた。どちらのケースも親が出てくる。

その間、本人はパソコンでゲームをしたり、レンタル屋さんでDVDを借りて映画鑑賞なんぞしていたりしてるかもしれない。プチうつは、遊んでいると元気なケースが多いらしい。パチンコや海外旅行も楽しんでいる人もいる。先生から「自由に遊びなさい」と言われたのかもしれない。「鬱の苦しさを君たちは知らないんだ」とも言う。酒好きは毎晩晩酌をしている人もいた。私の周囲にも仕事場、親戚、近所にたくさんの鬱で苦しむ男女がいた(いる)。

長い人生(あっと言う間)でたくさん落ち込む事件はあるけど、ひとりでも愚痴を聞いてくれる人がいれば何とかなるものだ。顔対顔で対話できれば、鬱も軽くなる。そのための赤ちょうちんではなかったかな。自分の間違った誤解も氷解するかもしれないしね。私も何回も、そういう場に救われた。妻からは無駄なお金を使って、赤い顔して帰宅してどうしようもない・・と愚痴られたが。それなりの役割はあったのだ。

いまは小遣いも減り、スマホの通信費やソフトダウンロードでお金を使う。しかし、ITを使って他人を責めることが簡単になった。お金もかからないし、匿名で書ける(しかし、誰が書いてるかは警察や弁護士が入ればすぐに知れる)。昔のうつ病は何もやる気が無くなり、ガソリンの切れた車の状況だったが、新しいプチ鬱は、とにかく他人を責める。責める元気がたっぷりある。自分には責任がないと誤認し続けているから、軽快だ。ネットは自分の立ち位置は「安全」、日ごろいろいろ不満がある、それを晴らすツ-ルとして最適だ。貧しさから脱出できない、気に食わない上司に囲まれている、異性との関係がうまくいかない、親とソリが合わない、不満を出せばキリがない。それを一時忘れて、過剰な他罰を繰り返しがちだ。

しかし、ネットでは強く自己主張ができる。なぜなら、自分は安全な(と思っている)防空壕に入っているから。防空壕の小さな穴から外を一方的に覗いている。そして自己主張を続ける。ゆっくり長い対話を心がけて生きたいものである。もう少しましな社会になると思う。

写真はグーグルから借りてきた本物の鬱(Clinical Depression)のイメージ写真。これを書いた22日、筆者の近くの踏切で高2の男子が新千歳空港行き快速エアポートへ飛び込み即死。遺書なし(合掌)。

ネットバカ~インターネットが私たちの脳にしていること~第4章深まるページ

楔型文字
くさび型文字 単語同士の行間がない

印刷機 1568年

 

第1章は9月1日、2章は9月8日、3章は9月11日掲載でした。きょうは第4章「深まるページ」。記録に留められる媒体についての話から。

すごく大事な話が書かれてある。「古代世界に黙読の習慣はほとんどなかった。新しく登場した写本も、それに先立つ粘土板や巻物がそうであったように、読者が集団であろうとひとりであろうと、つねに音読されていた」(90p)西暦380年「告白」を書いたアウグスチヌスがミラノ司教が音読をしていない姿に驚愕の感想を書いているくらいだ。

なぜそうなるのか?粘土板を見るとわかるけど、文字と文字の間に切れ目がなく言葉が続いている。それは当然、言語の起源が話し言葉であったことを反映している。「続け書き」。単語同士が分かれていない。意味は主に抑揚によって、どの音節を強く話すかで聞き手は理解した。この音声文化の伝統が書き言葉の文化をも支配していた。

書き言葉が自立していくのは、ローマ帝国崩壊後、しばらくしてからだ。識字能力のある人々~修道士・学生・商人・貴族~は増えた。新しく出る写本も実用的な内容本が多く、余暇や学問のためではなかった。西暦1000年を超えて、単語のスペース空けがアイルランドとイングランドで始まり、ヨーロッパへ広がっていった。耳から目(黙読 読書)に比重が移行した。

しかし、ここで大脳の使われ方に変化が生じる。人間の脳の自然状態は、動物界がそうであるように、注意散漫な状態である。しかし、黙読は「没頭」を要求する。「われわれの感覚は変化に合わせて微調整される。静止している物、変化しないものは風景の一部になる」。集中していると周りが気にならなくなるということだね。そして、自然状態の大脳が集中力のある、持続性のある(本を読むために)脳へ変化すると言うのだ。新しい大脳の神経リンクが構築される。単語間のスペースができたことで、書き手は自由にペンを取れるようになり、因習にとらわれない、懐疑的な思想や、異教的な宗教や思想まで表現できるようになった。

自分の夢やエロチックな詩も書けた(口述なら恥ずかしくて読み上げられない)。そうした社会でグーテンベルグ(ドイツの金属加工職人)がヨハンフストから借金をして、ワイン製造の圧縮機を改良し、文字をにじませることなく羊皮紙や紙に写し取ることを可能にした。金属活字にぴたりとつく油性のインクを使って。初めに刷ったのはカトリック教会の免罪符だったが大きな夢は聖書だった。3年かかり総ページ数が1200に及びわずか200部を刷って、グーテンベルグは資金が尽きた。印刷業を廃業した。金を貸したフストがグーテンベルグ一番弟子ペーター・シェーファーと協力して販売と製造を合体させて大儲けをした。

1620年フランシス・ベーコンは「印刷機の発明より大きな力と影響力を人間に対して与えることは、どんな帝国にも宗派にも、星座にもできなくなったように思われる」「新学問」より。中国からの紙の輸入も増えて、新刊本が続々低価格で供給された。彼の発明から50年の間に生産された本は、それ以前の1000年間に筆写者たちが作った数と同じである。

当然、安手の小説や、インチキ理論、扇情ジャーナリスト、プロパガンダや大量のポルノも市場に押し寄せた。イタリア好色本も人気だった。(閑話休題・・いまと同じだね。媒体が変わっても)しかし、そういう時代であっても貧しい人や識字能力がない人、孤立していた人、無関心な人もたくさんいた。が、読むことと書くことは「市民の主たる二つの属性」になった。電子書籍に移行しても「読み」は続いている。そして「深い読みを要求する」ページも多い。

読み手と書き手間に、高度な共生関係が入り刺激を与え合って、書き手は安心して冒険の海へ乗り出していける。〈今の村上春樹みたいだ)。「文学や芸術家は、味や手触り、匂いや音を言葉だけで複製してしまう妙技がある」。文学や芸術は「読者自身の持っていた知覚を変える」能力もあるのだと。大脳の神経可塑性を思い出していただきたい。ラジオやレコード、映画、テレビに対しても同様に「知覚の変えさせて」我々の脳内の神経回路を変化させているはずだ。

まだ、インターネットが脳に与える影響について出てこない。かろうじて感覚の変化が沢山の文字や芸術に接することで大脳の神経リンク構築に寄与するという話ですね。グーテンベルク、もう少し頑張れば大金持ちになったのに残念です。