名誉ある老人の免許証返上策!(3月3日掲載)

さきほど、「ガレージ活用」+「免許返上」で検索したら

なんとtose77.comが上から4番めに出てきました。

今年の3月3日の記事です。全国ですから、

このジャンルで相当なメディア力があると思われます。(知人から)

 

免許証返上人口数

70歳を過ぎたら、公共交通を利用できない人や仕事上、使用せざる終えない人を除いて「名誉ある老人の免許証返上」に手厚い扱いをしてみてはどうだろうかという提案である。


費用は事故が減ることで支出が減る損害保険会社や高速道路各社、長い間、お世話になった車メーカーに負担をしてもらい国民の税金は使わないこととする。税金はすでに彼らの医療費や年金でたくさん使っているからである。もともと免許証は身分証明として使う人も多いから、実際の車の運転をしなくなっても、死ぬまで「永久名誉ペーパードライバー」として自己証明書として死ぬまで通用するようにする。


たとえば70歳で返上した場合、「交通費10万円+商品券1万円+表彰状」(まだ動きが活発だから多くの交通費)、75歳では「交通費7万円+商品券1万円+表彰状」、80歳では「交通費5万円+商品券1万円+表彰状」とする。ただでさえメンツを重んじる世代ゆえ、「名誉ある撤退」をお願いするように配慮する。


車メーカーの負担を願うのは、ライフラインとして戦後、どれだけ道路建設(車が快適に走るために)にたくさんの税金を使ってきたかを考えれば(これからも使う)国民への返礼である。この世代は、「もう免許証を返上しなさい」と家族が何度言っても頑固で、言われるほど次から次と理屈を繰り返して、返上しない癖があるから「北風と太陽」ではないけれど、彼らのプライドを維持しながら「社会へ迷惑をかけない」「家族に事故の心配をかけない」「年金が減ることはあっても増えることは考えられない時代で、車の維持費用を減らしてあげる」。


どうしても必要なときは「タクシーの利用がどれだけ安いか実感するはずだ」。その結果、道路上を走る人たちの平均年齢がどんどん下がって、快適な環境となる(はずだ)。車を運転している人は、ほとんど運転中、危ない事故寸前の危険体験を持っている。地域差も大きいからこのあたりをどうするか?都心なら駐車場のことを考えるとバスや地下鉄、JRや私鉄が便利だ。


地方ではやはりマイカーがないと買い物難民になってしまう。しかし、地方は考えてみると道路もそんなに混んではいないから事故件数は少ないので返上は緩く考えていい。マイカー速度も老人たちはのんびり運転だし。このキャンペーンは宣伝費は使わず、広報誌に掲載するか役所にポスターや交番の貼紙でOK。公共自治体のモデルとして返上しやすい埼玉や神奈川・千葉から始めてみてはどうだろうか?

もみじマーク


この免許証返上施策に費用的にどのくらいかかるか見当がつかないが、2~3県で試行してみるとおよその傾向がつかめる。トヨタの牙城の愛知県で始めるのもいい。ある意味、マイカー減車運動である。人口減で運動をしなくても国内の減車は自然にそうなるはずですが。日本社会全体が「嫌老社会」に突入しているから、一つずつでも社会に貢献する気持ちは老人たちは持っていい。

悪いニュスは良いニュースなのだ。

どんな事件も、ダムの決壊が小さな蟻の一穴から始まるように、どれだけ早く悪いニュースが伝わるかが、結果的に良いニュースになるのだということを経験や歴史で多くみられないだろうか。

 

第二次世界大戦の後半、大本営が嘘ではなくて、「物理的にもうこの戦争は100%負けだ」ともっと早く決断していれば、無駄な戦死者やB29の都市爆撃も原爆投下も沖縄戦もなかったかもしれない。政府にとって、国民にとって悪いニュースが結果として良いニュースに変わる。東日本大地震が起きる前に、日本中の原発であった事故隠しがもっと早く公開していれば、国のエネルギー政策を根本的に変えたかも知れない。活断層の上に原発を作ることはしなかったかもしれない。

 

当初、年金システム構築の際、団塊の世代が労働者として大量に働いて徴収する年金額を親世代へ支払い、世代順送りで支払うシステムに反対した学者がいた。「そんなことをしたら、労働人口がバランスを失したとき、若い世代は年金額を支えられなくなる」と真っ当に主張したが、退けられた。集まり過ぎた年金は、使い道を全国の保養施設の建設と自分たちの天下り先、2回目、3回目の退職金として受け取り、採算が合わなくなった施設は二束三文で売り飛ばして、省庁名を社保庁から年金機構と変えて、誰ひとり責任を取る人がいない。

 

厚生年金を始めたときに、「このままいくとこうなるよ」と悪いニュースが決定権者全員に周知されていれば、こうならなかったかもしれない。日常、私たちが仕事をしていても、取引先のおかしな動き(社長の意味不明の不在が多い、会社の雰囲気が変だ、支払いが遅れがちになる、退職者が相次ぐ)はもう倒産信号で、誰よりも早く察知するとケガが少ない。私は何度も経験し、失敗して焦げ付いた。未来を考えたら、悪いニュースを早く公開していれば良かったと後悔している。しかもその不安を抱えたままで仕事は気が散漫になるか、悪いニュースを想像の世界から追い払う思考につながる。私は急性心筋梗塞を発症したけど、なんとか生き延びた。

 

東芝の不正会計も「不正とは知りながら、代々の慣行で、誰かがどこかで告発すると、それ以前の経営者のほとんどを裏切る行為となる」という悪いニュ-スの公開ができず、どうしようもなくなってダムが決壊した。警察も警察への協力費とする名目で不正な税金の蓄財していた。縦割りの中での告発や不正の証言は、今でもある意味命がけの行為に変わりはない。

社会の風潮に「プラス思考」の増長もあって「どうして君は、そうマイナス思考をするんだ。皆が良いと言っているんだからそれに君も従いなさい」とい同調圧力もある。自由度、少数度の許容がどんどん減っていってるような気がするのは私だけだろうか。「悪いニュスは良いニュースなのだ」を今一度かみしめてみたい。それで私たちの命や財産も救われることが多いのだということを肝に銘じたい。

 

「失態を隠さない」という行為は、いまではお笑いの世界で流行っているが、日々の日常で揚げ足を取られぬよう仕事をしている人たちの逆ユートピアなのかもしれない。出世競争から無縁の世界に筆者がいるから、言える話だと言われればそれまでだが。

 

江戸時代、最大の私塾。

 

高野長英
筆者撮影

7月5日から降りだした大雨の被害に襲われてる日田市の話に偶然なってしまった。大雨被害にお見舞い申し上げます。

江戸時代に、塾生が4000人いた私塾があったのはご存知だろうか?主催していたのは広瀬淡窓(たんそう)、場所は豊後日田(現大分県)。

「教育とは人間社会における最大の善行」をモットーに、どんな身分の者であってもOK、学ぶ学問は偏ってはならず、広く様々な学問をさせて、塾生の個性を尊重して学ばせたという。日田は幕府の天領地でもあって、この私塾に蘭学者・高野長英も籍をおいたことがあるという。

私事になるが、私の娘が隣町の中津市に住んでいて、福沢諭吉の生家であるとか、中津城を見学したおり、城の天守閣に「蘭学事始」が置いてあった。錆びたメスもあり、黒田官兵衛には申し訳ないが、オランダ語の解剖本を死に物狂いで翻訳した杉田玄白・前野良沢の方へに関心が向いてしまった。官兵衛の記念館の横に「村上医家資料館」がある。1640年ころから現在に至るまで続く医家である。

 

ここに数千点に及ぶ蘭学・解剖図・医療器具が展示されている。江戸の綴じ本も豊富で、自分に江戸期の本を読み解く能力がないので無念の資料であった。その家の中庭に白い蔵があって、幕府の政策を痛烈に批判して、指名手配になった高野長英が匿われていた。彼は江戸に入るとき人相を変えるのに化学薬品で顔を焼いたが、見つかり自決。しかし、そういう人を匿う度量というか、少数者であっても、幕府から(国から)睨まれても、理念を曲げない人たちがお互いを支え合っていた時代。またそういう気風を育てた私塾という存在は、その教師の徳や癖もあるだろうけれど、なんでも画一的に反応する時代、言葉までそっくりの思考放棄に近い人々が量産される時代に、江戸時代の私塾の凄さ。また「子供を働き手として早く使いたいのに」塾へ通わせた親の学びへの理解にも驚嘆するのである。様々な藩の子弟が多いとは思うが。

 

日田で大村益次郎も学んだけれど、日田の塾生4000人はどこへ行き、何をしたのか、東北から九州までの膨大な数の塾生たち、歴史記録には残らないけれど、明治の学制とともに消えて行った私塾。いつの時代、どこの国であっても失ってはいけない普遍的な価値が私塾には残っていた。歴史を作っているのは実はそういうひとたちではなかったか、筆者はそう思う。

 

注:私塾といえば将棋の世界もそうだし、武道や古典芸能に受け継がれてるが、一か所4000人の規模は凄い。長崎から入ってた洋学やオランダ語、特に医学。フリーシンカー(自由思想家)を生んで次の時代を創造する能力の種まきをしてくれるありがたい施設である。(2017年7月1日)『自由』を守るというけれど、『自由な精神をいつでも発揮できる人』は現代、極端に少なくなっている。