支払い遅れただけなのに。

3月15日、早来 吉田牧場

私のブログは1年間1600円ほど使用料を払っている。3月17日、突然ブログが閉鎖された。なぜだ?と思ったら3月15日までの契約で26日まで振り込みしないと、再度のドメイン取得に2万円かかる旨お知らせがあった。慌てて銀行に走り、振り込みをした。このブログはデスクトップで書いているが、ドメイン取得はノートパソコンで取得し、アドレスが違うので、お知らせが伝わらなかったのだ。うっかりしていた。ある人は『カードで支払い、自動更新すれば解決する』と言うが、『自動更新』って、自分の身に何かあったら、ずっと払い続けることになる。昨年11月に、1か月無料のアマゾンでプライム会員登録をした。しかし、12月、1月、2月、3月と銀行口座から信販会社名で500円づつ引き落とされている。2か月目から有料会員に自動的になっていたのだ。このまま1年経過すると6000円分カード会社経由で引き落とされる。すぐにアマゾンへ有料電話すると(0120はなかなかつながらない)私の使用履歴がないので解約手続き、で2000円を戻してくれることになった。ところが、アマゾンはすぐにお金を戻すと言ったので通帳に記帳に行くが戻っていない。信販会社へお金を戻しただけで支払い期日が来ないと振り込まないわけだ。NHKの衛星放送はじめ受信料も、お年寄りが老健施設に入居していて、誰も見ないテレビがあったとして、こちらから『意思表示をしない限り、引き落とし続ける』怖さがある。電気やガスや新聞は『目で見える』。使われないと家での異変に気づく。しかし、便利でずるい『自動更新』サービスで該当会社がどれだけ使われもせず、利益を上げているか。40代の半ばから私はアスレチッククラブの会員になった。夕方からのナイト会員で毎日利用して月1万円、サウナとお風呂も使えるので便利と入会した。銀行から自動引き落としで3年間入ったが、2年目から1か月に2~3回のサウナだけの幽霊会員に近くなった。経営する側から言うと、会員に毎日来られるとトレーニングジムが満杯で機能しなくなると言っていた。幽霊会員ほどありがたいことはない。利益は幽霊で持っているとまで極論する人もいた。利用しないでお金だけ払ってくれるのだから。ところがである。近所のスポーツジムをのぞくと昼間からおばちゃん族がわんさかいる。支払った金額以上を取り戻すために必死の運動と仲間づくりのおしゃべりに余念がない。さすがである。自動更新、自動引き落としのことを書いてみた。使わないのに引き落とされてるものがないか点検してみては。さっぱり国民に還元されない税金泥棒の国と言うものもある。さしづめ国民は幽霊であり、こんなに文句を言わない国民は幽霊であるのかもしれない。

いつか起こり得ることは今日だって起こり得る。

モンテーニュ(1533~1592)のエセー(岩波ワイド版の一、161p)に、『哲学をきわめることは死ぬことを学ぶこと』の章に出てくる。プラトンもキケロも同じようなことを言っている。年齢に関係なく、事故や病気、自然災害、戦争、蚊の一刺しでさえ命を取られる。たえずいつ死んでもいいように今を生きる癖をつける、自分に言い聞かせて死を恐れないような訓練や思考習慣を養い、楽天的に生きることを理想としたモンテニューであった。

私は20代前半で買った白水社の関根秀雄訳を読んでいたが違和感を感じるのでしばらく(40年間)読まずに積んでいたが、気になって図書館から原二郎さんの訳を読むとすんなり理解できる。翻訳者の力の大きさを堪能している。そこで上記の『いつか起こり得ることは今日だって起こり得る』。当たり前といえば当たり前ながら、いまの自分の住む場所で、時代で、地面で、通行途上で、自分が、または家族が親友が隣人が知り合いが、事故や事件や急病で亡くなるとは誰も思わぬ。いずれ人間は自分も含めて死すとはいえ、それは遠い遠い先で、他人ごとみたいな感覚で日々を生きているがどっこいそうはいかない。

『父がトイレで倒れていて息をしていない』と母から電話。私に『駅までそんなのんびり歩くと運動にならないから、早足であるく癖をつけないといけないよ』とアドバイスしてくれた近所の医療従事者人も、すい臓がんを発症して1年後若くして死去。毎日、ウォーキングをしながら私に携帯をかけてきた同僚も、突然の疲労感に襲われて、血液検査で急性骨髄性白血病と診断された。幸い、骨髄バンクで移植できる人を見つけたが、いざ連絡すると『親から移植は危険だということで反対されて』移植はなくなって地獄に突き落とされ、1年半後死去。

私も急性心筋梗塞で会社の主治医誤診で一日発見遅れて、心筋の30%が壊死。おかげで疲れやすい。妻は病院でうなる私を看ながら、葬儀の段取りと連絡先と生命保険の入る金額と子供にかかる教育費を考えていたらしい。ゆめゆめ最初に行く病院を間違えないよう、この病気の場合はこの医師、あの病気ならあそこの病院と普段から調べておくといい。私は死んだらこうするという話を妻と話して、子供たちへ伝えてある。葬儀はせず、焼き場へ直送して、市の集団墓地へ入れること。子供たちは遠いところに住んでいるので万が一に頼りになるのがご近所だから、親身に近所付き合いをすること。

先日も51歳の知人が早期退職して、健康維持のため河川敷でウォーキングをしていて心不全で急死の知らせが来た。健康のための無理な運動が命取りになる場合もある。とはいえ、人間の能力にも限界があって、エセーの中に『避けるべき危険をいちいち用心することは誰にでもできない(ホラティウス)同著156p。


私も街中を人通りの少ない道を選択して歩いているが、罹患しないという保証はない。ウィルスに色が付いていたらなあと思う。

3月15日筆者撮影、福寿草

過ぎたる欲望は身を滅ぼす(オーデン神話伝説より)

過ぎたる欲望は身を滅ぼす(オーデン神話伝説より)

ノルウエーの映画『ラグナロク』~オーデン神話伝説~を見ていたら、王の娘が父親の野心(底なし沼に住む大蛇を退治したい)を見て咄嗟に出た言葉が『過ぎたる欲望は身を滅ぼす』。王は大蛇に飲まれてしまう。


欲望は対象物があって初めて発動する感情だ。この対象物にはもちろん観念(言語や神、思い込み・妄想)も含まれる。また他人の模倣で欲望は倍増されもする。あの人が持ってるから私も欲しいという図式でCMや販売促進で使われる古典的な手法だ。勉強やスポーツでも発動するし指導者は利用する『あいつにできてお前にできぬはずはない』と。欲望に火をつける。


都会は人だけではなくて物(商品)に化粧が施されて、『私を買って』とささやく。たとえが悪いが3代目古今亭志ん朝の語る吉原みたいだ。欲望が初めにあるわけではない。対象物がなければ欲望は発動しない。説教好きの人を見ていると、仏教の影響なのか、どうも最初に煩悩としての欲望がありきで語られる。時間的な順序でいくと物があって欲望が生じると何度も考えてみたいものである。ここは唯物論だ。唯心論ではない。


表題の『過ぎたる欲望は身を滅ぼす』を考えてみると、都会に暮らす人々はほとんど全員、その身を滅ぼすところ、可能性の中で生きていることに気づく。なぜなら何度も書くけど、商品が・異性が欲望光線を発しているからだ。3億円の宝くじに当たったら私も含めて滅びの道へまっしぐらのような気もする。自分で考えるほど自分は強くないからだ。誘惑にとても弱い。さらに人間はお金持ちというイメージをお金で買う生き物だ。ブランド物取得やクルーズ船乗船、ワインの銘柄やマイカーの種類、しかもしゃべりたくてしゃべりたくてたまらない人がいる。人からの評価(すごいね、金持ちだね、育ちがいいね)を期待してしょぼしょぼ生きている。


もともと人間は動物世界で何より弱い存在であったから、集団を形成したり、社会を作った。現代は暖房や住宅や法律や家族や近所の交番や消防署に守られているけど、古代は集落の仲間たちぐらいが自分を守ってくれたし、誰かを守らなければならなかった。いまいる部屋から周りの人間が全員いなくなり、自分が一人だけ生きていると想像してみればいい。キタキツネやエゾシカやヒグマが集団で自宅前に移動してきただけでぞっとする。冬だしエサはないからエサは私になる。


ひとりということは電気もガスもライフラインは機能せず、食糧もなく、語る相手もいなくてブログを書いても読み手はゼロ(ブログを書くためパソコンの電気がないから無理だ)。日本中のお金が全部自分のもの。国会を占拠して総理大臣にもなれる。札幌から東京へどうやって行くのか?国民はひとりだけど。こういう環境下で一体欲望はどう発動するか考えてみよう。私は欲望は発動しない気がする。初めは生き続けるために食べ物を探すだろう。


しかし、他人が誰もいないところで欲望は出てくるのか、または萎むのか?私は最後は無くなってしまい、死んでしまうと思う。しかし、未来の誰かに託して記録を残す行為は出てくるかもしれない。そうすると欲望の正体がずいぶん見えてくる。他人がいて(売る人・並べる人・通行人の視線・隣近所・夫婦や家族・未知の人など)成立する概念、心持ちだと。他人がいて発動する、物が先にあって発動するのが欲望であるという話に戻るわけだ。『過ぎたる欲望は身を滅ぼす』のも真実だが、自然現象はそういう細かな心理現象をゲームオーバーにしてしまうこともたえず忘れてはいけないかもしれない