キャンピングカー内での夫婦ゲンカ。

3年前に書いたブログで今も鹿児島のおじさんから年賀状が来ている。

私が住んでいる団地横に、道の駅があって、キャンピングカーが沢山停泊している。聞くと水道水を自由に使えるので洗濯や料理に便利で、キャンピング仲間ともここの道の駅で待ち合わせて、情報交換をすると言っていた。

きょうは鹿児島ナンバーの車の持ち主に声をかけてみた。6月に鹿児島を出発して日本海側を北上して、青森からフェリーで函館へ。そこから広い北海道をドライブしているとのこと。ご夫婦とも登山が好きで,大雪の黒岳・赤岳にも登り、紅葉を見てきたと。道産子の怠け者の私は行ったこともない。北海道を知らない道産子でもぐりではないかと恥じ入るばかりだ。道外の人が道内各地に詳しいので私は教えてもらう側だ。いつでも行こうと思えば行けるが、出張以外は意外に現地の旅はしていないものである。鹿児島組はこれから小樽・余市へ行き、そのまま一気に南下して帰路につく計画。もう3回目の訪問で友人もできてお祭りに呼ばれているのだと。一番、困るのがコインランドリーの数が地方に行くと少なくて不自由しているとも言っていた。

富士山ナンバーの人と話したときに、ご主人から「夫婦ゲンカは最悪ですよ」と冗談とも本気ともつかぬ話をうかがった。私は「どこの夫婦もそうではないですか?」と言うも「長旅ですから、狭い車の中で、押し黙って一言も発せず2日間運転したことがあります。私の知り合いで、ケンカがこじれて、新千歳空港から帰っていった奥さんがいました。」鹿児島組にその話をしたら「います、います。そういう場合、まず旦那が謝ればうまくいくケースが多い」。「自宅でもそうですね」と私。

次に1か月、どのくらいの費用をかけて旅をしているのか聞いてみた。鹿児島組は20万~30万円と教えてくれた。一番こたえるのがガソリン代だ。日常生活品と自転車などを後ろに積んでいる場合もあるから燃費が悪くなる。とはいえ、いつも狭い空間だけでは疲れも取れないからスーパー銭湯も利用、国民宿舎で熟眠する。車の改造費だけで相当なお金を使い、なお全国を行脚する年齢は60代が圧倒的に多く、自宅は子供たち夫婦と同居か留守番の娘がいたりして安心して旅に出る夫婦が多い。

私なら圧倒的に「一人旅」がいいと思うが・・・・。私の慣れている旅の形態がひとり旅だ。10代末から急行や特急でふらりと無計画で本州を放浪していたころを思い出す。

それにしても飛行機で帰宅した奥さんとはいずれ再会するわけだけど、他人事ながらうまくいくのかどうか心配である。

横取りの経済で繁栄(?!)

小さな村があって、そこに長老がいて「隣の村に行って、物を盗んだり、この村にないものを欲しがってはいけませんよ」と村人を諭した。隣の村にも同じように考える長老がいて、境界線を守って平和に自給自足の暮らしをしていた。そういう考えに至ったのには訳があって、昔、国境線を超えて、隣の村同士が戦争になってしまった記憶があるのである。そういう歴史を知らずに、ある日、その国境線が越えられた。超えたのは血気盛んな若者たちで、手に鉄器を持っていた。隣の村で飼っていた羊やニワトリが欲しかったのである。さらに隣村の美人の女性を嫁にしたかった男もいた。一度、国境線を超えると、今度は向こうから武器を持ってやってくるようになった。飼育していた豚も盗まれたし、何人もの村人が殺された。どちらの長老も「横取りをしてそのときは、美味しいものを口にしても、いずれどちらの村もさらに大きな村に襲われて、悲惨な事態になる」と予感した。(筆者の寓話)

翻って、いまの企業や業種を見てみると、言葉は悪いが「横取りで繁栄している」企業ばかり。時間をかけて育てた人を別な企業が横取りしたり、国民の税金を横取りして議員バッジをつけて横柄に生きる人も多い。しかし、民間でも、独立したはいいが、前の会社の仕事をこっそり盗んでのうのうとしている起業家も多い。丁寧にせっかく育てた通販会社をごっそり大手に盗まれた(プレゼで負けたと言う)り、IT関係も大は小を食うの格言通り、人材ごと横取りしていく(株式を取得するという)。スーパーの進出で地元民の財布からお金を巻き上げていくと、商店街にお金は落ちず、スーパーの本社にお金は還流してしまう。(大型店舗法律にもとづく合法なことと言う)いつのまにかそれが当たり前になってしまった。

人材派遣法の全業種適応も、はじめは通訳や速記士など専門性に限定されていた業種をどんどん広げてサービスや製造業へ広げていった。正社員であればもらえた給与とボーナスを横取りして幹部の給与と社内留保に消えた(合法的なんだ、会社が倒れてもいいのかい。そのため留保しているのだという理屈)。

しかし、考えてみると、16世紀ヨーロッパ。カトリック信者がプロテスタントに宗派替えをする人が急増し,慌てて信者を増やすためにイエズス会を中核に布教と海賊(ならず者)の宝(インドの綿やマラッカのコショウ、ゴムや金・銀など)探しで、アジアやアフリカ、南米、カリブ、北米、中国、中東へ植民地経営に株式会社という組織を作り、物産の横取りを彼らの法律に基づいて稼ぎに稼ぎまくっていた。物産の次は奴隷の交易(売買)である。ほかの土地の産物を右から左へ流すだけで、嵐に船が沈没さえしなければ巨利を得られる。金持ちがより金持ちになる構造は現代以上に16世紀から19世紀のヨーロッパ中流階層のほうが激しいかもしれない。日本では、先ほどの小さな村の話ではないが、鎖国という制度で武士以外は刀を捨てて(刀狩り)小さな争いはあったが穏やかな200年を謳歌していた。小さな村であった。

幕末から明治にかけて、イギリスやロシア、フランス、アメリカ、ドイツのインテリ層・軍人がやってきて明治という殖産興業の時代に入るのだが、庶民の歴史は江戸時代の延長であった。短命であった子供たちは、生きている間、思いっきり自由に伸び伸びと育てられた。IT時代に入っても、携帯やパソコンを使わず、おしゃべりに夢中なおばあちゃんのように。健康面からみるとおばあちゃんの勝ちである。

現代人は絆の肥満になっている。

私の携帯には650件(人)の登録がある。その中で利用頻度の低い氏名は削除してもかまわないのだが、これがなかなか消せない。いつか来るかもしれないなどととりあえず繋がっていようとする自分がいる。これは年賀状についても言えることで、少なくしたとはいえまだまだ減らせることができるが思い切って減らせない。年賀状だけの関係なら切って(相手から切られても)構わないので、ことしは10枚減を目標にしている。129pには森さんは次のように書く。

つながりすぎの肥満が、身動きのできない思考や行動の原因になっていることに気づくべきである。ときどきは、断食でもしてダイエットした方が健康にも良い。つまり孤独になった方が健康的だし、思考や行動も軽やかになる、楽しさに飢えた状態が『孤独』なのだから、そこから『楽しさ』を求める生産的で上向きな力が湧き上がってくるのも、自然の摂理なのである。

自由な思考や自由な行動が知り合いの都合で振り回されていないかどうかと考えると、ひとりで行動や判断がされているように見えてそれは誰かと何々をしに行くということになってる行動であることも多い。絆の一番は家族とサラリーマンなら給与をもらうところと仲間たち、それを取り巻くほかの人たちだ。仕事したり、飲んだり、おしゃべりしたり、遊ぶ。学校時代の仲間もそうだし、自分の住む町の人たちも絆といえばいえる。しかし、書いたり、読んだりするときはひとりでするので『ひとりにしてくれ!』という気持ちになるのも確かだ。『現代人は絆の肥満になっている』とは大人(たいじん)の言葉かもしれない。