ブランドリサイクル店5月閉店

札幌で最古参のブランドリサイクル店が5月に店を閉める。札幌市内に4店舗、旭川にも2店舗を構えたこともあったが、現在は1店舗。客層が50代以上の主婦層で外出自粛要請が出てから、DMを出しても普段の客数には全然及ばない。ネット販売をしてもらっていた23歳の大学生の就職もあって、72歳の社長がみずから通販業務をするのはハードルが高い。そこで5月に閉店と決めた。「誰か引き継いでくれる人はいないかしら」と探してはいるものの(こういう人のための事業引き継ぎ相談をしている商工会議所もあるが)、お母さんが一昨年亡くなってから仕事をする意欲や張りがなくなって、赤字も続いてこの辺で幕を引くことにした。それをDMで知らせると、ブランドリサイクル商品がどんどん送られてくる。いかにこの店が他店よりいい値段で購入してくれるかファンは知っているのである。でも、自宅の横にある借り入れ倉庫ににもブランド品は山のようにあって、さらにこんなに集まってどう処分するのか。本当に人のいいお嬢さんで、経済学な大好きでベストセラー本には目がない。高校を卒業して、地元テレビ局に内定して一日目、最初に言われたのがお茶くみ・コピー仕事であった。頭にきて即退社、地元の信用金庫に就職、頭取の秘書になり辣腕を振るう。広報部にいるころ筆者は初めて会ったが、発想の斬新さ,だれも考えないところに着目する勘は天下一品であった。話していて面白い。私もこういう話に目がないので飽きない。それから35年間の付き合いだ。正月の広告枠が空いたとき彼女のところへ行けば広告をもらえて恩人でもある。

店名はGAKUYA

人は簡単に幸せになれない

「ホモ・デウス」上巻47pにエピクロス(BC341~BC270)の思想を紹介しつつ、ユヴァル・ノア・ハラリがまとめたエピクロス思想の核心の部分を紹介している。少し長くなるが「エピクロスは幸福を至高の善と定義したとき、幸福になるには骨が折れると弟子たちに警告した。物質的な成果だけでは、私たちの満足は長続きしない。それどころか、お金や名声や快楽をやみくもに追い求めても、みじめになるだけだ。エピクロスは、たとえば飲食はほどほどにして性欲を抑えることを推奨している、長い目で見れば、深い友情のほうが熱狂的な乱痴気騒ぎよりも、大きな満足を与えてくれる。。。」幸福は定義されることではなくて私なら幸福は短時間でも感じるものだと思う。たとえ瞬間で消えても幸福感は残る。試験の合格の瞬間、仕事で初仕事を自力で獲得してきたとき、初めてのキス、プロポーズしてうなずかれたとき、孫がランドセルをしょったとき、死んだと思ったバラの根が生きていたことを発見したとき、住宅街で交わされる「おはようございます」の声を聴いても幸せを感じるものだ。たぶんこれは世界中で共通する幸福感だろうと思う。そうであれば、「私たちは過去数十年間に前例のない成果をあげてきたにもかかわらず、現代の世界の人々が昔の先祖たちよりもはるかに満足しているかどうかは、およそ明白とは言えない」。土門拳の筑豊の子供たちを写したモノクロ写真や自分が15歳で行った修学旅行の同級生たちの写真を見てみると目がキラキラしている。そういえば、当時、旅は自宅にマイカーもなかったし、めったにできるイベントではなかった。現代は物と電波に囲まれて窒息してしまったのか?紀元前4世紀から3世紀に生きたエピクロスが、幸福になるには骨が折れるという気づきは今も失われていない気がする。果たしてどうすれば幸福感に満たされた毎日が送れるのか。永遠のテーマのような気もする。疫病や災害や経済危機で一瞬で別な世界へ運ばれてしまうから。

どのようにしてお金持ちになったか?

結果としてのお金持ではなくて、どうしてそうなったか?あるホテル経営者は「1億や2億持ってる人はお金持とは言わない。ごろごろいるよ、小金持ちに過ぎない」と言う。お金持ちが住む住宅街ならそう思うが、そうしたエリアに住んだことがない筆者の暮らしレベルから言うと1億円あるなら十分なお金持でもある。住んでいる街区で価値観がこうも違うから恐ろしい。私の偏見で書く周りのお金持ちは・・・・・。


・子供のいない官僚出身者で天下りを繰り返してきた人はお金持。・親の金銭と親の残したアパート賃貸料に加えて高い企業年金をもらい、高いクラスのベンツに乗り、毎月のようにハワイへ行っている。友達は少なくなったらしい。私も付き合うのを止めた・団地の中の田んぼを不動産デベロッパーに売却し億マン長者になった人。・大金持ちの娘と再婚した男。会えばお金の話だけ豊富で三越の外商から高級時計を2個1千万使った話をする・中学を出て父親の建築会社を継ぎ、土木で稼ぎ、淡路や東北震災特需で儲けに儲けている男。「震災がなければ会社は倒産していた」と正直だ。クラス会の帰りは白のレクサスハイブリッドで奥様が迎えに来る。私みたいなサラリーマンの世界は意外やお金持は少ない。自宅を定年までに取得するのが最終的な夢であった世代だから退職金もそれに消える。あってもリフォームと子供の教育費が行き先だ。


しかし、私の周りはその人本人と釣り合わない金持ちが多い。自助努力ではなく舞い込んできたお金による富裕らしい人々だ。私の知人には実業家は少ないし、株や競馬をする人もいないから(こっそりしているかもしれない)、大きく儲けたという話は全然入ってこない。


西洋骨董のアルバイトをしていたときに、病院院長の自宅に骨董を納品して、4台のクラシックカーを置いたガレージを見せてもらった。子供のいない夫婦であった。院長は美人の奥さんをもらい、彼女は骨董を買い放題であった。新しいイギリス製テーブルを置くために部屋を模様替えしていた。清潔感溢れる超上品な邸宅であったが、冷たいひんやりする家庭、雑然とした家庭に育った私にはなじまない。金持ちの話を書いてきて、自分には無理があるテーマだとわかってきた。