北海道は二つの島が合体!? 

次のイラストをみてください。北海道は下記の通り、左右の島が合わさってできているという。これを見ると、昨年9月6日の胆振東部地震の震源地と札幌東区が地盤的につながっているような推理をさせる図だと思うがどうだろうか?

友人の描いたイラスト

二つの地図を見て、約4000万年前に合わさったということもうなづける。ちょうど白い部分が夕張山地で石炭をたくさん掘削した場所。俗に夕張・空知炭鉱の場所である。私はてっきり北海道は最初から一つの島だと思い込んでいたから、ショッキングなイラスト2枚である。これも仮説であるから、実際はどうなのか、地質学者の登場を待ちたいが、この白い部分は先だって発見された恐竜の穂別リュウの産地でもあるし、9月6日の胆振東部地震の厚真町の活断層とも重なるから。ある人が、「ここに活断層があるから地震が起きるというより、地震が起きたからここに活断層があるんだと」言っていた。とうてい全国の活断層は調べ尽くせない。世界の地震のエネルギーの10%は日本列島で起きていることを熟慮したいものである。

最後にこんな地図も見つけました。

相当、新しい予想図ですが、苫小牧周辺は現在のウトナイ湖とサンクチュアリ、札幌の北側は茨戸と泥炭地帯です。

アイヌ語地名が語る日本史物語。

Posted by seto

アイヌ語で解ける地名が北海道から沖縄まである。もちろんサハリン方面もそうだ。国語学者金田一京助さんは「エミシ=アイヌ」説を説いていた、梅原猛さんもそうだ。おさらいをすると日本列島は朝鮮や中国から大量の移民が来る前は、縄文人としてエミシたちが牛耳っていた。エミシは、はるか沖縄までいたということでもある。彼らの話すアイヌ語でネーミングされた地名があれば、北海道内の地名がほとんどアイヌ語で分析できるように、アイヌが暮らしていたということになる。札・別・沢・苫・幌はじめ数多くある。

以下、この本で取り上げられている地名と都道府県を列挙します。詳しい意味づけはこの本に書かれていますから興味のある方はお読みください。地名を読むだけで楽しくなります。


【青森県】津軽(つがる)、白神(しらかみ)、今別川(いまべつかわ)、竜飛岬(たっぴみさき)、野辺地(のへじ)、鮫(さめ)、野牛(のうし)、蟹田(かにた)、木造(きづくり)、苫米地(とまべち)、十和田湖(とわだこ)ほか多数。

【秋田県】秋田(あきた)、男鹿(おが)、寒風山(かんぷうざん)、三内(さんない)、能代(のしろ)、乳牛(ちうし)、鹿角(かづの)、稲庭(いなにわ)、トコロ温泉、笑内(おかしない)、天内(あまない)ほか多数。

【岩手県】上堂(かみどう)、岩手山(いわてさん)、姫神山(ひめかみさん)、紫波(しわ)、碇(いかり)、気仙郡(けせんぐん)、平泉(ひらいずみ)、魚集(よまべつ)、オマルペ、ハイペ、コイコロペ、ソマナイ、久春内 (くしゅんない)、平井賀(ひらいが)、志塚里(しつかり)、譜代(ふだい)、千歳(せんざい)、福伏(ふっぷし)、理訓許段神(りくんこたんのかみ)、釜石(かまいし)、大槌(おおつち)ほか多数。

【宮城県】仙台(せんだい)、利府(りふ)、刈田郡(かったぐん)、伊治(いじ)此治(これはる)上治(かみはる)栗原(くりはら)、亘理郡(わたりぐん)、白石(しろいし)、日辺(にっぺ)、愛子(あやし)、石巻(いしのまき)、鮫浦(さめのうら)、小友(おとも)、耳取(みみとり)、歌津(うたつ)、茶臼山(ちゃうすやま)、女川(おながわ)ほか多数。

【山形県】鳥海山(ちょうかいさん)、庄内(しょうない)、出羽(いでわ・でわ)

【福島県】宇田川(うだがわ),安達太良山(あだたちらやま)

【千葉】銚子(ちょうし)、犬吠岬(いぬぼうざき)、木更津(きさらづ)、我孫子(あびこ)、布施(ふさ)、

【群馬県】勢多郡(せたぐん)

【茨城県】印旛沼(いんばぬま)、久慈川(くじがわ)

【埼玉県】入間(いるま)、秩父(ちちぶ)、寄居(よりい)、風布(ふうぷ)

【東京都】隅田川(すみだがわ)、田無(たなし)、高尾山(たかおさん)、武蔵(むさし)、多摩川(たまがわ)

【神奈川県】鍋割山(なべわりやま)、伊豆半島(いずはんとう)

【静岡県】伊豆半島(いずはんとう)、佐久間(さくま)

【長野県】諏訪(すわ)、苗場山(なえば)

【新潟県】五十嵐川(いがらしがわ)、

【石川県】能登(のと)

【富山県】黒部(くろべ)、称名滝(しょうみょうだき)、庄川(しようかわ)

【滋賀県】比良(ひら)

【奈良県】三輪山(みわやま)、斑鳩(いかるが)、巻向(まきむく),吉野(よしの)

【島根県】出雲(いずも)、稲佐(いなさ)、宍道湖(しんじこ)、恵雲(えとも)、犬掘鼻(いぬぼりばな)、佐太(さだ)、

【高知県】仁淀川(によどがわ)、宇佐(うさ)、四万十川(しまんとがわ)、足摺岬(あしずりみさき)

【福岡県】筑紫(ちくし)、博多湾(はかたわん)、

【宮崎県】庄内(しょうない)

【熊本県】阿蘇山(あそさん)

【大分県】由布(ゆふ)、九重山(くじゅうさん)

【鹿児島県】志布志(しぶし)、指宿(いぶすき)、種子島(たねがしま)、屋久島(やくしま)、奄美大島(あまみおおしま)、、与論島(よろんじま)

【沖縄県】那覇(なは・なわ)、与那原(よなばる)、桃原(とうばる)、平良(ひらら)、金武町(きんちょう)、比嘉(ひが)、渡嘉敷(とかしき)、具志堅(ぐしけん)、伊江島(いえじま)、辺野古崎(へのこざき)、嘉手納(かでな)、宜野座村(ぎのざそん)、伊良部島(いらぶじま)、祖納(そない)、ヒナイ川(ひないがわ)、ピナイサーラの滝、カンビレーの滝、伊野田(いのだ)、摩文仁(まぶに)ほか多数。


まだまだ、研究途上で漏らしている地名の府県もありそうだし、全体を俯瞰すると、アイヌの信仰である、山・川・海の近くに住んでいたことがわかる。面白いのは鹿児島から沖縄へ渡って行ったのではないかと推理させる地名の多さだ。

著者の菅原進さんは1925年、陸前高田生まれ。現在、93歳。元教員で趣味の「アイヌ語古地名の研究」の成果を昨年10月21日出版した。有限会社ツーワンライフ。〒028-3621 岩手県紫波郡矢巾町広宮沢10-513-19。1600円。全244P。


ダイナミックなアイヌ学なら下記の本を。筆者のブログカテゴリーで【アイヌ】も併読していただければ幸いです。

道産子気質・・・。梅棹忠夫の著作に触発されて

Posted by seto

   楕円の右と左が第一地域

戦後書かれた文明論で、最高の本と称される「文明の生態史観」(1956年~1957年)。いまから60年前、彼が36歳のときに書いた論文を集めた本が出て当時、言論界が騒然とした事件があった。

1955年5月から11月まで、戦後最大の学術調査隊が京都大学を中心に農学・植物学・地質学・人類学・考古学・言語学・医学研究者が木原均京都大学農学部教授を隊長に、それに梅棹さんも選ばれて、アフガニスタン、インド、パキスタンを旅行した。そのときの感慨や印象記をつづったのが、この本に書かれたたくさんの論文で、中でも「文明の生態史観」は、文明を第一地域、第二地域、それに新世界の3つに分けた。第一地域は封建制度を経て近代へ移行した地域で、日本や西ヨーロッパでユーラシア大陸の東と西の端に位置する。第二地域はユーラシア大陸を楕円にすると真ん中の大部分、中国・インド・イラン・トルコ・パキスタン・旧ソ連・エジプト。新世界はアメリカ・オーストラリア・南米など。


なぜ、梅棹さんのこうした分類が賛否両論の問題を引き起こしたのかというと、これまでの日本文明論はたえず西ヨーロッパとの比較から導き出された遅れた●●という言論で覆い尽くされていた。そこにインドやイラン、パキスタンという国々を巡ってきた梅棹さんから見ると、なぜ、こんなに文明や文化の古い、人口も圧倒的なシェアを占める地域をなおざりにした文明論が知識人によって書かれるのか一矢を報いたのである。まるで彼らが生存していないかのような論文の多さに辟易したのかもしれない。現代でもイスラムについて知識や知性のエアポケットであるように、60年前の自分の足で踏破した梅棹さんはインドやイラン、パキスタンで感じたことを文明論として客観的に記述しただけであるのに。


そしてようやく本題の「道産子気質」である。梅竿さんはこの中で「新世界」という第三の項目を設けて、その特質を次のように書いた。少し長くなるけれど引用する。「文明の生態史観」(中央公論社 1967年刊 111p)


「近代文明は、伝統との対決という点では、もう一つ、まったく事情のことなる場所において展開した。新世界である。新世界には、伝統がなかった。かれらがあった唯一の伝統の抵抗は、出身地たる本国の伝統であり、かれら自身の中ににある旧世界の教養であった。移住者たちの共同体が、文明生活にはいるためには、ただ、それから離脱すればよかったのだ。もちろん離脱にはかなりの摩擦はともなったけれど、とにかく、相前後して、二十数カ国にのぼるあたらしい共同体が発生する。いずれも、旧世界が脱皮のくるしみを受けていた前後であることは興味ぶかい。新世界の住民たちの、文明に対する態度の特徴は、あたらしい生活様式の可能性に対して無限の希望と信頼を抱きながら、しかも、旧世界の伝統に対してある種のコンプレックスを持っている、ということではないだろうか。そこは、伝統に対して無知であるとともに、意外に伝統保存的な地域でもある」。


アメリカ人がどうしようもない劣等感を西ヨーロッパの母国に心理の根底に抱いているように、道産子の気質もこの一文で説明が可能であると思う。旧世界は本州である。私が東京を飛び越して京都の私大に向かったのも(私の祖先の田舎は徳島)、母も少女時代、大阪暮らしへ、娘も京都の私大へ進学。兄も大阪本社企業へ就職した。とにかく北海道(札幌)を早く抜け出したかったのは確かである。しかも向かうのは、梅竿さんの言う「伝統保存されてる地域」であった。本州は道民にとって異国であった。はじめて北海道を旅した本州人が、「ここはヨ-ロッパかアメリカのようだ」と感じたように。ということは、アメリカからやってきた明治のお雇い外国人は、北海道をアメリカの祖国のように感じた可能性があるということだ。