元とウォンと円を統一して、東アジア経済圏としてまとめたら・・という私の提案に!(投稿)

 

幕府が結んだ不平等条約を明治政府が律儀に守ったり、日露戦争の借金を昭和の末まで払い続けてまで
獲得した日本の円の基軸通貨なみの信用と、でたらめな統計発表をしたり、
為替操作をする中韓の通貨を一緒にしたらご先祖だけでなく世界中が泣きます。
また、別に統一しなくても通貨統一しなくても交易には差し障りがありませんし、
統一したところで、経済統制が起こるだけで、活気ある経済圏が生まれるわけではありません。

ヨーロッパには、12世紀頃からなんと20世紀中旬ころまで
交易にはドゥカートと呼ばれる共通通貨が使われてきました。
ドゥカートはいくつかの国で順番に作られてきて、
いわば現代は米ドルがドゥカートとして機能しているということに過ぎません。
そのうち人民元がドゥカートになることがあれば、使えばいいだけのこと。
それは個々の事業者同士で自然に決まっていきます。
為替操作をする通貨は、絶対にドゥカートにはなれませんが。

経済の自由は、人権とならんで重要です。
むしろ人権が侵害された程度で戦争は起きませんが、
経済をコントロールしようとする者同士では、すぐ戦争が起こります。
ハマスのリーダーは3000億の資産をかかえ、
安全な他国から命令を出しています。
プーチンの資産は個人所有のクルーザーのうちの1隻だけでも800億ですから、
ケタ違いですし、習近平となれば、さらにケタ違いです。
どちらも普段の居場所は知らせず、命令だけ出しています。
バイデンさんや岸田さん程度は、貧乏人にすぎません。
また、韓国は選挙で大統領が選ばれますが、就任するとその権力は絶大です。
為替操作国としても有名ですし、政権が変わるごとに海外と結んだ以前の約束が
反故にされます。信用がないので、日本の銀行が貿易の際の信用状を発行しています。

ちなみに現在の日本政府の抱える莫大な借金の多くは太平洋戦争の戦費です。
子供の代の我々はもちろん、孫の世代でも返済できないでしょう。
世界各国はアジアを席巻した軍事大国だった日本の潜在的な脅威を忘れてはいませんが、
皮肉なことに、この借金のおかげで、さらに戦争を起こす金は借りられないだろう
という部分で安心されています。
海外からすれば平和憲法などという文言には、何の信頼性もありません。

PS ドゥカートについて

ドゥカートはいろいろな国が発行してましたが、全て金貨で
要は金本位制でした。金の含有量が値打ちを決めるので、
小国が発行しても含有量が高ければ重用され、
基軸通貨発行国として、経済的なメリットをえられたと思います。

1920年代まで続いていたドゥカートが終わったのは、
当時の世界恐慌とそれによる金本位制の崩壊が原因だそうで、
これに対してアメリカが中心となって、IMFを立ち上げ
為替の安定と世界貿易の復活を図りました。
要は大量の金を積み上げて見せたわけです。
そして各国間の為替変動の差額の分だけ、
IMFの金庫室の、各国所有の金を、
毎日台車に乗せて移動させているところを
ドキュメンタリー番組で見たことがあります。
今もそうしてるかどうかはわかりませんし、
国際経済は家計と感覚が違いすぎるので、いろいろ間違ってるかもしれませんが。

自然を相手にすると結果が出ないことに寛容になれる

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福岡伸一『生命の逆襲』(朝日新聞出版 19p)に、滋賀県でモンキアゲハを捕獲することに成功するが、しかし、この木にアゲハが来るか、来ないか、わくわくしてじっと待つ。飛ぶ蝶には『蝶道』があって、決められたところを飛ぶので、そこで待っていればいいが、網でうまく捕獲できるかはまた別問題。失敗することも多い。そういう体験を積むと、科学者にとって大事な資質は、何度も何度も繰り返すこと。『自然を相手にすると結果が出ないことに寛容になれる』。

以前に『窮鼠が成長したら猛虎になるかもしれない』というフランス文学者渡辺一夫さんの言葉を書いた。16世紀ヨーロッパの宗教戦争について『寛容』の価値が貶められ、批判の言葉を言うと殺されるような社会状況になぜなったかというブログを書いた。『自然』にあるのではと、福岡伸一さんのこの1行で思い至った。『言葉』や『集団』は、『反自然』ではないだろうかという、けっこう根本的な問題が見えてくる。『組織』も集団だとしたらフィクションで成立している。

ルターが出てきたのも『聖書の言葉』に帰れ。世俗の既得権益を墨守するカトリックの僧や王たち、バチカン。これまでラテン語で読まれた特権言語をドイツ語に翻訳してたくさんの信者が読めるようにした。コロナで使われるクラスターを日本語で『飛び火』でいいのでは思う。80歳の年寄りでもわかる言葉遣いをしてほしい。

教会は『言葉の殿堂(伝道師たちの集合)』で、鐘により時を告げたり、礼拝を義務化したり、洗礼で信者を増やしたり、既得権を守ってきた。民衆や宗教家、王家たち、役人や騎士たちが、夢物語ではあるけれども『自然の凄さ、自然に叶わない人間の無力感』を一度でもいいから、共通の感情を味わってみれば歴史が変わったかもしれないと妄想する筆者だ。言葉で相手に命令し、やらせて生きる、言葉で相手を苦しめて自分は楽をする、言葉で難しい法令をたくさん作り、国民に負担を強いる。

現代も『言葉』が乱脈に飛び交い、世界についても私は16世紀の宗教戦争の時代にタイムスリップしてるような気がずっとしていた。言葉に重きを置きすぎている気がしている。比例して、言葉・反自然・ときに非人間的な様相が家庭の中、学校の中、企業の中、役所の中、政治家の中、国と国の間で『自然を相手にすると結果が出ないことに寛容になれる』ではなくて『結果が出ないことに寛容になれない』自然を忘れた人間意識優先主義、市場経済蔓延、株主横暴、経営者のいらだちばかりが目立つ社会になってしまった。

倉本聰は木を植えている、ヴォルテールはまず『自分の庭を耕そう』とした。ルソーは『自然へ帰れ』と言ったが畑を耕さず別な畑を耕して私生児を作った。70万人が死んだリスボン大地震が、言葉と意識と聖書に覆われたヨーロッパに裸の自然を見せつけた。地震をきっかけに自然を相手にしてそれぞれの宗派が寛容になれたかもしれない。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、すべては言葉優先で始まる。観念から現実を裁く、解釈する、(●●すべき)を提示する。しかし、自然はそんな人間の思惑をはるかに超える。天候を人間の力でどうなるものでもない。逃げるか避けるか諦めるか。

仕事で行き詰ったときとか、今月の厳しい数字がいかないときは、空を見上げたり、ヒラヒラ飛ぶ蝶を追ってみたり、空を流れる雲を見つめて五感を休めるといい。頭が言葉と意識で満杯になっている状態だからね。

*2020年6月16日朝日新聞朝刊に福岡伸一さんの『動的平衡』(コロナ禍で見えた本質)と題された投稿があった。『自然を人間は制御し得ない』という当たり前の現実を語っていた。一番の身近な自然は生命としての自分自身の身体である。自分の生死や病を知ることはできない。こうなれば健康で長生きすると自分の意志を過剰に信仰(思い込み)しているに過ぎない。ある日突然、本来の自然が姿を見せる。圧倒的な存在感で!コロナウィルスのように。

何が何でも戦争だけはしちゃいけない(黒澤明ほか多数)

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黒澤明「生きる言葉」(PHP、黒澤和子194p)。「どんな理由があっても、戦争だけはしてはいけない」「自分の大切な人が殺されそうになったら反撃しないのかって、よく反論されるんだ。そういうことじゃないんだ。戦争というものが始まってしまうと、虫も殺せなかった人間が人を殺し、こころ優しい人間も身内を守るために鬼の形相になる。戦禍の中では自分が生きていくだけで精一杯、人間が人間でなくなるから怖い」「戦争を始めるのは簡単だ。でも巻き込まれた人間の心が立ち直るまで、さらに世代を超えて累々と悲しみは続くんだよ」

娘さんの和子さんが父黒澤明の残した言葉のアンソロジー集から。

昨日、j久しぶりに「ニューシネマパラダイス」を見た。主人公トトのお父さんがロシア戦線に送られて帰ってこない。お母さんに「亡くなったの?」と聞くと、「ロシアは遠いから帰ってくるのに時間がかかるんだ」とお母さん。後日、戦死の報が届き遺族年金をもらうことになる。6月23日は沖縄戦争慰霊の日だ。北海道出身の兵士が沖縄に続いて戦死者が多いのをご存じだろうか?「平和の礎」に刻名された人数は沖縄出身者が149,584名、県外が77,485人。中でも、北海道が10,805人でダントツに多い。そういえば亡くなった母が「沖縄へ行くときは観光で行ってはいけない。祈るために行くのですよ」と言われたことを思い出した。神戸港から初恋の人(海軍兵士)と別れて、大阪空襲から逃れて北海道に戻ってきた母なので、もしかして軍艦が沖縄線に投入されたことも考えられる。現金と実印と通帳を母に渡して別れたと言っていた。二人で歩いた造幣局の桜並木の話を私に何度も話してくれた。ふたりが結ばれたら俺は生まれていないんだけど。何度も何度も母はこのときの思い出を宝にして生きてきたんだろうなと思う。