恵み野通信

●運動会シーズンに入り、6月22日は幼稚園も運動会。だと思ったら、さっぱり軽快な音楽が聞こえてこない。土曜日なので「うるさいな」と思いながらも、子どもたちや親や親族の笑顔を思い起こせば許せる。それがことしから、団地のはずれにある幼稚園経営の芋畑横のグラウンドで開催したと。どうりで無音の運動会だ。毎日のように自衛隊の戦車の空砲が朝から鳴り響いている環境の町。防衛省から補償金が出ているから我慢すれですか。時刻を知らせる音楽も午後6時に流れてくる。公的な音はOKで民間の幼稚園が周りに気を使って、団地の外で実施するって、なんか変ですね。小学校のグランドを借りて遊んでいたら私も見に行って、玉入れには参加したかったのに。音に関して過敏な人と気分よく聞ける人がいる。

 

●6月22日は図書館シンポジウムに出席。コバルト文庫作家高杉六花(ろっか)さんが少女時代、図書館を大いに利用をしてきたこと、友人たちと恋の話を語らう場所であったと。以下は、図書に関わる教育長やボランティア団体に属する能弁な人たちが語りだした。中学2年生の聡明な子が ざわざわするような掲示板も設けて友達探しをする、工夫もあってはいいのではないかと提案していた。世代を超えて共通は、館内に軽食コーナーを設けて欲しいが多かった、単なる自動販売機を置くだけの休憩コーナーあるだけ。図書館の周りにはカフェがなくのんびり語らうスペースがない。恵庭市立図書館は30年を迎えて、素晴らしい日本庭園に囲まれて風光明媚なのでここを生かす施設必要かも。冬でもガラスで囲ってカフェを作り、中庭で本を湯むなんて素敵だと思いますね。

●当日、小樽市立図書館館長が10分挨拶。小樽にある旧三井銀行を家具のニトリが買うことになったとき、似鳥昭雄さんが小樽市長室に契約書を交わしに来た。途中、トイレタイムで市役所のトイレが和式に驚愕。市長に「市庁全体のトイレを洋式にするのに予算がいくらかかるの?」「1億円です」と聞いたら似鳥さん「わかった、1億円トイレ改修で寄附をする」と即決した。またアメリカ人のフロリダ在住のメエチコフスキー夫妻が1700万円を図書館に寄附(奥さんセイコ様小樽市出身)いい話を二つも聞いてしまった。

●恵庭市立図書館は、実は半分はまだ男女とも和式が半分残っている。市長の専権事項で議会を通さないで市税の執行できるはずですよ。早く洋式にしてくださう。

小澤征爾・恩師斎藤秀雄さんの弟さんのこと 嬉遊曲,鳴りやまず

恵庭市立図書館に2月6日心不全で亡くなった小澤征爾さんの追悼コーナーが設けられた。司書のYさんが寄ってきて「小沢征爾さんの恩師の斎藤秀雄さんの弟さんが酪農家を目指して、この恵庭にやってきて酪農を始めた話を知っています?」「その弟さんに召集令状が来て、インパール作戦で戦死。お兄さんが弟の追悼で恵庭小学校の体育館でコンサートを開いた話です」。ユーチューブで「斎藤秀雄没後30年」というNHKのドキュユメンタリー番組を見た直後だったので「お父さんが英文学の基礎を築いた斎藤秀三郎さんで、毎日書斎に籠って勉強ばかりで、全然遊んでくれなかった」というコメントもあった。

私は「どこにそんな話が書いてあるの」聞くと、しばらくして昔の恵庭の広報誌を持ってきたのでコピーした。シリーズ●恵庭の歴史を歩く 第43回。近代酪農を目指した二人の青年

斎藤秀雄の弟武彦さんが、盛岡高等農林学校(現・岩手大学)を出て、デンマーク式の酪農経営を目指して、札幌の真駒内牧牛場で有畜農法を教えるデンマーク人ラーセンの指導を受けて、恵庭の牧場(まきば)地区に昭和2年入植した。もう一人昭和5年に漁村(イサリ)で牧場を開いた福屋茂見の生涯を書いたコラムだ。武彦と茂美は、意気投合して酪農を実践していった。恵庭酪農振興会も設立して会長に茂美、専務に武彦が就いた。酪農が軌道に乗り始めたころ、昭和12年から太平洋戦争が始まり、恵庭市の酪農家も何人も出征していった。茂美は「北海道で緒に就いたばかりの酪農を崩壊させないよう、酪農家を戦地に連れて行かないでください」と懇願したが「牛飼いのごときが何を言う!」と一蹴された。武彦にも召集令状が来て、死の行軍インパールから北ビルマに転戦。そこで鉄橋での列車事故で戦死、38歳だった。

斎藤秀雄は昭和21年3月、弟が酪農に夢を持って生きた恵庭市で追悼のコンサートを恵庭小学校体育館で開いたのである。その様子は中丸美絵著「嬉遊曲、鳴りやまず」で「体育館を埋めた満員の聴衆は初めて本格的な室内楽演奏を聴いた。古いオルガン、大太鼓、ハーモニカとカスタネットしか知らなかった子供たちは、はじめてチェロ、ヴァイオリン、ヴィオラ、フルートの音色をじかに耳にしたのである」斎藤秀雄は涙を流しながら指揮棒を振っていたんだろうなと想像する。

同著198p199p

戦後、茂美は牧場の再建に乗り出し、福屋牧場は数々の賞を受けて、後継者の育成にも力を入れた。「牛乳は土から搾れ」と格言を残し、平成4年に亡くなった。武彦は「人間として最も正しい生活ができるのは農業しかない」と確信して恵庭に入植したのである。お兄さんの秀雄さん同様、信念の人であった。

右の軍服姿が斎藤武彦

 

書物の破壊(第2回)ペルガモン図書館と羊皮紙の発見!

5月21日に紹介した『書物の破壊の世界史』の2回目は、ペルガモン図書館。エジプトのアレキサンドリヤ図書館は蔵書数約50万冊、大図書館(本館+別館)が炎上(紀元前48年)して破壊されたのは有名な話ではあるが、その原因には諸説あって、ローマによって焼かれた、キリスト教徒に焼かれた、イスラム教徒によって焼かれた、地震で崩壊した、国内の混乱で誰も省みなくなった、パピルス紙を使って筆者されていたから一度燃えると大炎上である。きょうはペルガモン図書館について。政治的にプトレマイオス朝エジプトと対抗して小アジア(現トルコ)にペルガモン王国があってエウメネス2世(BC197~BC159)はエジプトに対抗して図書館建設を長年にわたって実施、蔵書数20万~30万部に達した。しかし、当初、パピルス紙をエジプトから輸入していたが、敵対するエジプトはパピルスの輸出を禁じた。(現代のアメリカVS中国にも似ている)。そこで苦肉の策で発明されたのが羊皮紙であった。羊皮紙はしかも裏側にも文字が書けるから倍の文字数が収容できる。以降のヨーロッパで羊皮紙が使われた背景に、ペルガモン図書館の発明があったのである。しかし、冊数をアレキサンドリア図書館と競う余り、偽書も多くなってペルガモン生まれの医学者ガレノスは偽書をたくさん見つけている。さらに、図書館の司書たちも不都合な部分を削除していた。その図書館もローマの将軍アントニウスによって都が破壊され、蔵書がアレキサンドリアへ20万冊運ばれたという人と、破壊され瓦礫の山となったいう人もいる。きょうのブログは、手に入らなくなったパピルスの代用品として発明された羊皮紙が、後のヨーロッパの歴史を塗り替えた話でした。何が幸いするか、歴史をジャンプさせるかわからないということです。