4人のミニ葬儀  80・50問題  これでいいのか

1月16日(木)隣町に住む義理の兄(87歳)が心不全で急死した。顔に赤い痣があるので、事件性の有無を考えてとりあえず千歳警察署へ運ばれ、検死をして戻された。心臓血管の石化が原因だった。私は自宅に行き、パソコンやスマホを持たない54歳の長男に代わって葬儀会社探しをした。「小さなお葬式」のアイコンが出てきた。電話をすると大阪にあるコールセンターにつながった。北海道恵庭市でも引き受けられますとのことで、依頼した。30分後、地元の業者から電話がきた。17日、千歳署に置かれた遺体に化粧を施して自宅まで運ぶことになった。市役所への死亡届や焼き場への予約も同時にしてくれて約30万弱と安い。すべての新聞のお悔やみ欄は掲載しないことにした。引きこもりの長男を抱えていたので、横浜に住む長女夫妻へは知らせず、4人の直葬となった(これでいいのか)棺桶に入れるものに仏間に長い間飾っていたご両親の写真も額から外して、棺に入れることになった。義兄は4兄弟の長男なので、兄弟で両親の写真を欲しい人たちがいたかもしれない(これでいいのか?あとでもめないか?そもそも死去のニュースを兄弟に知らせたくないということで電話1本しない。これでいいのか?)「お経は要らないのですか?」と業者が言うが「本人が仏教系の学校教師でお坊さんなので、棺にお経の書いた読本を入れるだけでいい」ことにした。(これでいいのか?)昨年、ある事情から娘さんとご主人から絶縁書が届いていた。娘の旦那からも長々と、ご両親が亡くなった後、長男の面倒は看切れないということで絶縁状もその前に来ていて、両親は失礼な文書に憤りを持っていたのである(これでいいのか?和解の時間や会話を持てなかったのか)。姉が弟の後見人になれば、様々なことに関わることになるのを避けたのである。

しかし、父親の残した資産(金銭)と(土地が)あるので、兄弟二人なら四分の一をもらえる。弁護士が試算表をつくり横浜へこれから郵送する。すべて第三者の弁護士経由でことが運ぶ予定だ。(しかし、電話1本、父の死を実の娘に告げられないのか。)弁護士は、文書の中身や言葉遣いに苦労をしているようだ。早期に解決することを祈るだけ。

偶然、小説家林真理子「8050」を図書館のボランティア女性から借りた。全国に100万人いる引きこもりの中で50歳を超えて、親の年金と生活保護と遺産で生きている人たちと彼の家族について書いた小説であった。沁みわたる内容なので読むのをやめようかと思ったくらいだ。すべての事件は家庭の中の過程から起きるのかもしれない。配偶者を持った兄弟たち、家庭での暮らしや価値観、世間と風通しのいい関係作りができているかどうか?長寿大国に入って隣の人へ親切にすることぐらいたくさんして欲しいと思う。他人ごとでない。

1000冊投函され

5月25日の大イベント前に市民が1000冊余の本を車庫に置いてあり、その処理に肉体を消耗。ブログの更新ができませんでした。申し訳ない。一日の冊数では記録です。ブックオフが古い本を引き取らないので、自分で町内のゴミ出しで出せばいいものを読書家は誰かが読んでくれるとナルシスト多いのでこういう現象になります。私の属するボランティアはゴミ箱ではありません。

退屈について 工夫の源!?

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退屈について。筆者は国分さん以外の本は未読。

退屈なので消費する。消費する動機が退屈だからする、ずいぶん日常の暮らしに余裕がある科白ながら、物を買ったり、レジャーに行く動機を正直に現している気もするのだ。しかし、退屈だからテレビを見る、退屈だからメールでもしてみるかなど、退屈という気分は人間の行動の大きな部分を占めている。

イベントがあるから行くのではなくて、退屈だからイベントへ行くのだと考えると『退屈という気分』が『行くぞという意思』を超えている気もする。そして、消費の嫌らしい本質が、そこに物語を付けて戻ってくることだ。それを語ると次の人に伝染する。

『あそこのシュークリームは絶品。いままでの人生で最高のシュークリーム』だと有名ミュージッシャンが語れば、それがあっという間に拡散する。HPが無いことがかえって消費や購買を過熱させる。地元のテレビ局やグルメ雑誌も無料で書いてくれる。お金を取る広告はノーサンキューだ。原材料(ある町の乳牛から搾乳されるミルク)に拘れば作れる商品の量は制限される。夕方の4時からしか開店しない不思議な店だ。https://www.facebook.com/choucerclehokkaido/なにせ、ススキノの中にあるからね。そういって私も宣伝隊に組み込まれている。そして食べたが、平凡な味であった。道産子ならどこにでもある味だよねと言うと思う。

退屈だから選挙でも手伝うかなどと思ってその熱気に当てられて、当選したときの快感が忘れられず、麻薬を打たれたような高揚を味わう。選対に関わった人から聞いたことがある。選挙は非常時の出来事、日常に飽きた人々がお祭りやカーニバルで散財して熱狂するのも日常の平凡や退屈を忌避するためで、それを組織的に組み込んでいる世間。退屈な王様(皆、かしづくからつまらない)が道化師を身近に置いたのもうなづける。イエスマンばかりは疲れるので夜の逆転世界に行く政治家や企業経営者や大学教授たちの心理も似たりよったりだ。

あらゆるスポーツ、戦争、祭り、政治、映画、演劇、各種飲み会、競馬をはじめ賭け事、議論(討論)。退屈な日常を避けるために作られた巧妙な装置かもしれない。国会中継などは役者不足の下手な芝居に似ている。こういう茶化しのブログも筆者の退屈の仕業かもしれない。同じ穴の狢(むじな)状態だ。

でも考え方では、ひとりだけの退屈は一番の贅沢かもしれない。他人を巻き込まず、とりあえずその日は食べていける食品と銭があり、部屋の酸素を吸いながら生かしてもらっている。ぼんやり、昔の仕事の成功や失敗を思い出したり、死んだ同僚たちとの会話を思い出したり、急に書棚に走り、気になる1行を確認しに行く。

ギャンブルも退屈だからはまっていくのかもしれない。29歳の営業マンでありながら、毎日毎日4円パチンコをして、パチンコ代金も給与の前借をしてATMで下ろしていた。筆者に昨日3万円負けた・幾ら勝ったと報告をしていたが、本業の営業は嫌い、『早く60歳になって年金をもらいたい』と言っていた彼!仕事をしないので退屈な毎日を過ごしていた彼はいまいずこ。後日、東京へ異動した彼は、しかし、考えてみると働かないでも生きていける、パチンコ三昧で他人に迷惑をかけないで生きられるとは贅沢な人生だと、貧乏性の私が思うのも真実だ。