回線が混んでいて、どうするのがいいか・・・・回答(投稿)

曜日によって違うが、パソコンがつながらない日が続き、困ったので自分が使うパソコンを最新の機種に乗り換えたら、早く快適につながるのか質問してみた。

 

回線の込み具合はユーザー側では解消できません。
ユーザー側でできることは、

・来年スタートする新しい光通信(2万円/月)を契約
・室内LANを総入れ替え
・PCを上位機の最新型に取り替える(中古不可)

のすべてを一気にやることです。このうちどれかが古ければ
全体のパフォーマンスが
最も低いものに合わされてしまうことになりかねません。
IT業界は消費者を上記のルートに乗せたがっていますが、
よほどハイレベルの仕事をする人以外、特に我々高齢者には無用なはずです。
わけも分からず、ご利益を願って高いツボを買う人を笑えなくなります。

ネット速度については、昔と状況が変わっていて、
これからどんどん悪くなるはずです。
腰を据えた記事を書いたほうが良いかもしれませんね。
時間がかかりますが、お楽しみに。

男には、常に語りたい欲求がある(渡辺淳一)

この本の中に「男には、常に語りたい欲求がある」と書かれてあった。10年以上書いてる自分のブログの基本も「語りたい欲求から」きているんだと思うが、なぜなんだろう?そういえば私の見るYouTube動画も、男の語り手のものが多い。政治の話はほぼ彼らの意見や分析を聞いている。外交の話は田中均さんと決めている。テレビや新聞はほとんど見ない。ゲンロンカフェの無料配信はよく見る。東浩紀さんのはにかみ的な語りが好きだし、背景にある膨大な読書量が言葉の端々に見える瞬間がいい。12月18日に発売された彼の新刊「平和と愚かさ』を買えるのを楽しみにしている。札幌のジュンク堂に置いてある。JRで札幌往復は1600円かかる。アマゾンで買うとヤマト運輸の仕事を増やすので頼まないことにしている。54歳の日本の思想家が書いた「平和と愚かさ』という題名がいい。ブログで何回か書いたが、渡辺一夫さんというフランス文学者が、寛容や不寛容や平和の息苦しさについて書いたエセイを思い出す。ヨーロッパのキリスト教世界は血で血を流す世界。16世紀の宗教戦争は神なんてそっちのけで殺し合う。学生時代、16世紀ヨーロッパを勉強していた私。東さんの本は、哲学をはじめ西洋の思考の基礎の基礎に、どうしようもない一神教の持つ、終末論思考、最後の自分の救いを目的に、最後から現在や過去を思考する病理を発見している。それを東アジアの一角から討てないかと模索している。コトバは物事を区別する作用がある。区別は差別にも通じて、ギリシャ時代も他民族をバルバロイ(野蛮のバーバリアン)と呼んで軽蔑した。現代も金持ち連中が集まれば貧乏人を軽蔑したり、自己努力が足りないと,揶揄する言葉を平気で吐く人がいる。その富を親から引き継いだだけという人が多い。

(男には、常に語りたい欲求がある)は、(男には常に戦争をしたい欲求がある)と読み替えできないか?スポーツは美談ではなくて、実は戦争の亜形態ではないかと思うことがある。スポーツのルールの発祥はヨーロッパ、特にイギリスだ。戦争に近いのは一番はサッカーだ。なぜルールを決めたのか、決めないと本当の殺し合いになるからだ。選挙も戦争だと言う人がいる。自分が当選して(生きて)相手を落選させる(殺す)。そういう基礎に議会制民主主義が成り立っている。何を書いているのかよくわからなくなったが、東さんの新刊を読もうと言うことだ。

ナポレオンを驚かせた沖縄の話。

皮肉家アイルランド人のスウィフトみたいな書き手だ。フランス人ならヴォルテール、日本のジャーナリストで言うと桐生悠々みたい。1817年8月イギリス海軍ライラ号のバジル・ホール館長が朝鮮半島西海岸、琉球諸島への調査航海の帰途、ナポレオンが流されたセントヘレナ島に寄港。ホールは、視察した沖縄という島には武器というものが一切ないことを話すと、理解に苦しんだナポレオンは「武器といっても大砲のことだろう。小銃くらいはあるのでは」「いや、それもありません。」「じゃ、投槍は」「それもありません」「弓矢や小刀くらいはあるだろう」「いや、それもありません」ナポレオンはワナワナ拳をふるわせながら叫んだ。「武器がなくて、いったい何で戦争をするのだ?」「いえ、戦争というものを全く知らないのです。内外ともに憂患というようなものは、ほとんど見られませんでした」。

ナポレオンは「太陽の下、そんな戦争をやらぬ民族などというものがあるものか」と答えたという。沖縄は16世紀、尚真王のとき、武器撤廃をやったり、1609年、島津に征服のあとは、一切の武器が完全に奪われたのは事実だ。約500年に及び、多少の小競り合いはあったにしろ、武器なき平和な島だったのである。それが沖縄戦で本国の人間楯になり、以来、大軍地基地の島、そして自衛隊の島になるとは、変わったと言えば変わった。ずいぶんひどい話ではある。

1972年が沖縄返還なので、エセイは6年後の執筆になる。20年前、亡くなった母が、「家族で沖縄旅行へ行ってくる」と言ったら「観光で行くところではないよ、鎮魂で行くのよ」と言われた。大阪で女学生だった母が空襲で北海道へ逃げ帰ってきた戦争の記憶が40年、50年経過しても残っている。

沖縄返還も密約だらけで、返還前より米軍が自由に日本本土にある基地まで含めて制空権をもらったようなもの、さらに基地の施設維持にお金までくれるというのだから笑いが止まらない。なんてお人好しの国だろうと。政治家や外務省の役人たちは、どこの国の利益のために給与をもらい働いているのか、基本の基本に還る日はまだまだ遠い。彼らの思い込み、対米従属し続けることの思考の「楽」さに陥っている。全く、マゾの世界に入ってる人たちが国を運営している。マゾヒストは弱い人間にはサディストになるので要注意だ。自立していかないと大人とはいえない。

*追記(2017年3月28日)大学時代、沖縄から来た留学生(当時は返還前だったから)がいたが、現在でも彼から来るメールや沖縄新報見本紙も送ってくる。米軍がいることでお金を儲ける不在地主(私有地を借地して基地に使ってる)、米軍で働く労働者と飲食業界。原発もそうだけれど住民の利害で必ず国はそれを利用して、住民を分断する。国家って一体何?『愛国ならすべて無罰』だという思想がはびこっている。『愛国なら他人を殺してもいい。この国から出て行けと叫んでも罪にならない。愛国ならどんな汚い野次でも、相手は非国民だから許される。愛国だから、愛国の学校や幼稚園を作っても許可される。』この思想はヨーロッパでもアメリカでも北朝鮮でも中国でもそして日本でも大手を振るってるように筆者には思える。隣の人に親切を。大きな声で叫ばない。熱狂に熱狂で返すとろくなことにならないのは歴史の教えるとおおり。