迷惑かける困った人々

誰にも迷惑をかけずに、生まれて生きて死んでいく人はいない。生まれるときは母親に生みの苦しみを与えて(好きで生まれてきたのではないともいえるが)、学校へ行けば授業料や給食費、毎日の食費にも親の経済力に頼る。

学校を出て働いても、たとえ家にお金を入れても、男女間の問題であれこれ悩みをこしらえて(両親が勝手に悩んでいるともいえるが)、たとえ結婚しても子供を孕めば親の実家へ帰る嫁も多い。仕事で職場にいればいたで、休めば誰かにそのしわ寄せがいくわけだし、持ちつもたれつである。世の中はすべて持ちつもたれつならいいが、ことはそうはいかない。

きょうは、社会人になっても40代・50代、いや60代になっても周りに大迷惑をかけて生きる人(男)の話だ。事故や病気で周りの世話で生きなければいけない人はもちろん除く。一番多いのは、なんといってもお金だ。結婚した相手が大金持ちの娘で役員までとんとん拍子。しかし、ある日退職のニュース。事情通に聞くと横領で辞めたらしい。

自分の力でお金を稼ぐことを若い時代に何度も苦労していた人だっただけに筆者は驚いた。全社員約200人のボーナス査定もしていて、その大変さも聞いていた。黙ってれば、次期社長になったのに惜しい。人間、いつなんどきどうなるかわかったものではない。

最近、多いのが額は少ないが「お金を貸して欲しい」という依頼。せいぜい1万やそこらだけど会うたびに毎回同じことを言うので怪しいなあと思っている。子供もおらず奥さんも働いているのに変だなあと。しかし、先日、片手にスポーツ新聞を丸めて持っていて、競馬記事を読んでいたので、「なるほど」と納得した。

さらに、新規事業を立ち上げた自営業の元気な同じ歳の男がいる。「今度、中国で作られた省エネの電気器具の販売を扱う云々」とまくしたてて、30分も話すと「実はきょう、東京から〇〇建設の宣伝担当者が来て、仕事の話を含めてススキノで接待しなくちゃいけない。ついては1万円、貸してくれないか?」と。私は「財布に5000円しかない。給料日まで1週間、これで生きなくてはいけないので無理」とたとえ2~3枚の万札があっても、話の前段が長過ぎるのは要警戒。

それ以上に、金にルーズな男の特徴は「見栄っ張り」が多い。見栄はしかし、どんな人にもある気質で、そういう意味ではいつか私もブログ読者や妻子に「お金を100万貸して!」という日が来るかも。そうはなりたくないが。20年前、信販会社からリボ払いで30万円借りて返してはまた借りることを繰り返したことがあって、中身を見ると利子額が返却金を上回り、1万返しても利子が6000円、元金返済が4000円。減らないわけである。もちろんあの事件から筆者は信販カードは固く禁じられている。自宅内カード禁治産者。何を隠そう、私も迷惑をかける困った一人なのだ。

身辺調査ほか。

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私の最後の転職が昭和59年、ほぼ30年前は、採用するときは内定後、中小企業であっても総務の人間が前職の企業を訪ねて、採用予定の人間の素行や金銭面で不正な行為はなかったか調べたものである。新入社員採用時も本人の自宅周辺のご近所さんを訪ねて「評判」を聞きに行った。兄の就職が決まったときも近所から「〇〇〇の人が来て調べに来たから良く言っておいたから安心して」と言われたものである。

前に働いていた企業の総務担当から「あの人は会社の金を横領しているから止めたほうがいい」」とアドバイスされて採用取り消しになった人もいる。その人がどういう性格で日常はどうであったかは、採用する側では短時間の面接やペーパー試験くらいでは詳細にわからない。経理の仕事であったから、経験的に能弁な人間より寡黙な人が採用後、いい仕事をするケースも多い。

今では、親の職業を書く必要も(知らせる必要も)ないとまで聞いている。個人情報うんたらかんたらで。だから第三者の声が意外やその人の現実を言い当てているから、実は一番欲しい話はここにある。身辺調査である。北海道にはない部落問題が本州にはあるから、特に出生地とか近所の意地悪な噂話で、採用予定者のその後の人生が大幅に狂ってしまう(自殺にまで追い込まれる)ケースもある。私の父はニセコの生まれ育ちで平気で〇〇部落の誰々と言っていた。単なる地域名を指す言葉で差別はない。町中(まちなか)から見て廻りの集落を部落と言うだけの話で本州から転勤してきた人は初めどっきりするらしい。

史のない北海道に住む私にはわからないデリケートさもあって、その人の家族など直接本人自身のことではないことについて深く突っ込まないのだろう。しかし、有名人や政治家は、スキャンダルがあればとことん追求される。子供時代の写真も同級生や家族から入手されてネットに流される。どんな人間だって埃が出る。その埃の量と質が人によって違うだけ。

平気で他人のことはオープンにし、覗き込むが、いざ自分のこととなると、隠すケースが多い気がする。大きな組織では、自らの失敗談やヘマ話をする方が一服の清涼剤になって、ぎくしゃくした社内の潤滑油になるのにもったいないと思うのは私だけだろうか。普段から「身辺調査」されても「平気・平気」と骨太に生きていきたいものである。

ただ、ネットで感情的な書き込みを匿名ではしないよう気を付けて、誤解の種を撒かないように心掛けたい。

殺戮の宗教史(1)(島田裕巳著)

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とうとう、ようやくこういう本が出た。筆者は待ってましたです。2016年1月24日に書かれた宗教学者島田裕巳著「殺戮の宗教史」(東京堂出版 285p)を読んだ。筆者は以前、フロイトの「モーセと一神教」や岸田秀「一神教と多神教」について何度かブログに書いた。

骨子は一神教の持つ残虐性、多神教の持つ穏健性(あれも神、これも神と認める寛容性が多神教にはある)であった。しかし、考えてみると平安時代や鎌倉時代、戦国時代も十分に残虐な殺戮が行われた時代で、それは信長や秀吉の時代であっても同じである。NHKの歴史を題材にした番組から当然殺し合いが行われているにも関わらず、その作戦はどうであったか、主君への裏切りはあったかなかったかと、まるで現代の企業の上司と部下の関係をアナロジーするお得意の視聴率稼ぎのわかりやすさに終始している。

そこには実際の戦乱での「血や生臭い遺体の匂い」を消した歴史マニアの知ったかぶりの整合的な発言ばかりが目立ち、それこそお茶をすすりながら見れる番組に仕上げている。仏教が主流の時代であっても、危機になれば僧も武器を持ち、寺を守り、比叡山のように戦う教徒に変身する。

別に日本の歴史を特殊化しないこの本はテーマが「人類の歴史は、仲間に対する殺戮の歴史」「人間の世界に特徴的なのは、人間が仲間を死に至らしめることがあるという事実である」「少なくとも、人間に近いチンパンジーは同類を殺すことがあるとされるが、チンパンジーは人間に近いからである」。*現生人類のオーストラロピテクスの頭蓋骨に殴られた陥没箇所がある。(アーサーケストラー、機械の中の幽霊)

人間は仲間を殺す動物だから、それは生来の性質だからモーセは「汝、殺す勿れ」仏教の五戒においても「人を殺すことを」戒めているのである。その点で、実は宗教は「殺戮を抑える役割を担っているはずであった」そして、当然、この本は宗教は殺戮を戒めるが、一方殺戮を促す働きもしていることを実証しようとし、さらに未来へ向かっての展望を語っている稀有な本で、島田さんだから書き得た本である。

特にISはじめイスラムに相当なページを割いている。このブログを書きながら(6月13日)フロリダ州オーランドで自動小銃で50人を殺害する乱射事件のニュースが入った。島田さんは、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教が同じ神をいただきながら、信者の心の中で微妙に働き具合が違うことを再三述べている。それは歯止め、中世のキリスト教による十字軍遠征は教皇や教会という組織がバックにあって、そこから指令なり指示が出る。イスラム教徒は自分で歯止めをしなければいけない。

しかし、イスラム教徒はその教会にあたる組織がない。敢えていえば部族しかない。個人が直接アッラーとつながっていて、間接的な抑制がない。すべてが自分の胸のうちで決められるから、テロが発生しやすい。大方のイスラム教徒は穏健で、テロを行う彼らを軽蔑はしているが、構造としてそうなっていると書かれてある。

組織がないから、1本のメールやSNSが拡散で、いつどこでもひとりの独断で行動できるというのだ。宗教の力が世界中で弱まってる中で(日本でも既成仏教の檀家や新興宗教人口は減っていてどうするか困っている)、イスラム教徒の人口は2030年には人類全体の四分の一になると推定されている。

これから世の中は無宗教圏とイスラム圏に分れると島田さんは予測する。第二回は、対立を生み出す二元論(善と悪、正統と異端、聖と俗)の発生について書くつもりだ。島田さんは「殺戮の宗教史が幕を閉じるとき」を夢見ながら書いている。最高の理想は宗教学を学びながら「人類全体が無宗教という方向へ向かう時では」とも。筆者のブログカテゴリー「宗教会議」に中途半端ではあるが書いてある。

きょうのブログはここまで。第二回はいつになるか。ちなみに、私のカテゴリーで「宗教会議」「老子・イソップ・哲学」を開くとこれまでの私の書いた宗教ものが読めます。島田さんの本は再度読まないと2回目がまとめられない。さらに、モーセも仏陀も架空な人物かも。宗教の開祖で自分で文字表現をしたのはマニ教の開祖マニだけ、モーセもイエスもマホメットも仏陀も孔子もソクラテスも全員弟子の聞き語り、記録。大いに改竄が可能な世界だ。