現代人は絆の肥満になっている。

現代人は絆の肥満になっている。

〈孤独の価値〉森博嗣(もりひろし)幻冬舎新書 128pより

私の携帯には650件(人)の登録がある。その中で利用頻度の低い氏名は削除してもかまわいのだが、これがなかなか消せない。いつか来るかもしれないなどととりあえず繋がっていようとする自分がいる。これは年賀状についても言えることで、少なくしたとはいえまだまだ減らせることができるが思い切って減らせない。年賀状だけの関係なら切って(相手から切られても)構わないので、ことしは10枚減を目標にしている。129pには森さんは次のように書く。

つながりすぎの肥満が、身動きのできない思考や行動の原因になっていることに気づくべきである。ときどきは、断食でもしてダイエットした方が健康にも良い。つまり孤独になった方が健康的だし、思考や行動も軽やかになる、楽しさに飢えた状態が『孤独』なのだから、そこから『楽しさ』を求める生産的で上向きな力が湧き上がってくるのも、自然の摂理なのである。

自由な思考や自由な行動が知り合いの都合で振り回されていないかどうかと考えると、ひとりで行動や判断がされているように見えてそれは誰かと何々をしに行くということになってる行動であることも多い。絆の一番は家族とサラリーマンなら給与をもらうところと仲間たち、それを取り巻くほかの人たちだ。仕事したり、飲んだり、おしゃべりしたり、遊ぶ。学校時代の仲間もそうだし、自分の住む町の人たちも絆といえばいえる。しかし、書いたり、読んだりするときはひとりでするので『ひとりにしてくれ!』という気持ちになるのも確かだ。『現代人は絆の肥満になっている』とは大人(たいじん)の言葉かもしれない。

2月のコーヒーブレーク

1)通勤電車の中でのマスク着用率を数えてみたら、横並び13人座れる席は7人から8人だ。私はマスクはしない。私の通う図書館が2月3日(月曜日)からマスクが義務付けられた。司書は『息苦しい』と訴えていた。しかし変化は、先週と今週の街中では微妙にマスク着用率が減っている感じだ。中国からの観光客が減っているので安全度は高くなっていると暗黙に市民は思っているのかもしれない。それにしてもニセコにスノボやスキーに来る欧米人は圧倒的にマスク未着用。面白い現象である。マスクが不足なら筆者が子供のころ使っていた布マスクのつくり方を教えたらいかがだろうか。知人の奥さんで、どこへ行ってもマスクが品切れでミニパニックを起こしたと聞いて、『自分で布を買ってきて作ればいいのに』と思った次第。美味しいものを食べてストレスを減らして免疫力をつける方がウィルス対策になるのにと思うへそ曲がりな私である。

2)移動の不自由から私ならパニックになりそうな豪華客船の乗客が上陸できない事件。部屋が8坪であろうと30坪であろうと、移動の自由を制限される(刑務所の中のほうがまだ移動の自由はある)ことの苦しみは、持病にパニックを抱える私ならすぐにわかる。それも2週間、廊下にも出れずである。ケンカや暴力、パニック発症で壁を蹴る・窓を破る・叫ぶ行為が随伴していると思う。心臓のドキドキがたかまれば心筋梗塞や心不全を起こし死に至る。イライラが募ると同室者とのケンカも始まる。船旅には厚い本を持っていくのがいいと言った人がいる、聖書が最適だと言っていたが、キリスト教徒や文学者ならそうだろうが、軽くて厚みのある本ってあるだろうか、少し難解で。漢和辞典ならOKかもしれない。戦地に赴いた学生たちが持って行った本に岩波文庫が多かった、しかも哲学書が多かったのもうなづける。長い時間、自分と対話するために薄くて軽くて。

3)国際情報分析をしている田中宇(さかい)さんの、武漢のコロナウィルス周辺記事を書いていた。読んでみてほしい。sakai@tanakanews.net     怖い話も書いている。武漢ウィルス研究所がレベル4(厳重管理レベル最高度)の施設で、コウモリから採取されたたくさんのコロナウィルスを資料として抱えていた。それが、漏えいした。事故なのか人為なのか読み解かれている。

 

 

退屈について

退屈について

仕事は自宅でできればそれに越したことはない。

140124yo401_cs1e1_480x

退屈について。筆者は国分さん以外の本は未読。

退屈なので消費する。消費する動機が退屈だからする、ずいぶん日常の暮らしに余裕がある科白ながら、物を買ったり、レジャーに行く動機を正直に現している気もするのだ。しかし、退屈だからテレビを見る、退屈だからメールでもしてみるかなど、退屈という気分は人間の行動の大きな部分を占めている。


イベントがあるから行くのではなくて、退屈だからイベントへ行くのだと考えると『退屈という気分』が『行くぞという意思』を超えている気もする。そして、消費の嫌らしい本質が、そこに物語を付けて戻ってくることだ。それを語ると次の人に伝染する。


『あそこのシュークリームは絶品。いままでの人生で最高のシュークリーム』だと有名ミュージッシャンが語れば、それがあっという間に拡散する。HPが無いことがかえって消費や購買を過熱させる。地元のテレビ局やグルメ雑誌も無料で書いてくれる。お金を取る広告はノーサンキューだ。原材料(ある町の乳牛から搾乳されるミルク)に拘れば作れる商品の量は制限される。夕方の4時からしか開店しない不思議な店だ。https://www.facebook.com/choucerclehokkaido/なにせ、ススキノの中にあるからね。そういって私も宣伝隊に組み込まれている。そして食べたが、平凡な味であった。道産子ならどこにでもある味だよねと言うと思う。


退屈だから選挙でも手伝うかなどと思ってその熱気に当てられて、当選したときの快感が忘れられず、麻薬を打たれたような高揚を味わう。選対に関わった人から聞いたことがある。選挙は非常時の出来事、日常に飽きた人々がお祭りやカーニバルで散財して熱狂するのも日常の平凡や退屈を忌避するためで、それを組織的に組み込んでいる世間。退屈な王様(皆、かしづくからつまらない)が道化師を身近に置いたのもうなづける。イエスマンばかりは疲れるので夜の逆転世界に行く政治家や企業経営者や大学教授たちの心理も似たりよったりだ。


あらゆるスポーツ、戦争、祭り、政治、映画、演劇、各種飲み会、競馬をはじめ賭け事、議論(討論)。退屈な日常を避けるために作られた巧妙な装置かもしれない。国会中継などは役者不足の下手な芝居に似ている。こういう茶化しのブログも筆者の退屈の仕業かもしれない。同じ穴の狢(むじな)状態だ。


でも考え方では、ひとりだけの退屈は一番の贅沢かもしれない。他人を巻き込まず、とりあえずその日は食べていける食品と銭があり、部屋の酸素を吸いながら生かしてもらっている。ぼんやり、昔の仕事の成功や失敗を思い出したり、死んだ同僚たちとの会話を思い出したり、急に書棚に走り、気になる1行を確認しに行く。明日は札幌で営業のお手伝いが終わったら、下戸ではあるが熱燗を一口、酒好きな彼を誘っておしゃべりしよう。


ギャンブルも退屈だからはまっていくのかもしれない。営業マンでありながら、毎日毎日4円パチンコをして、金も給与の前借をしてATMで下ろしていた。筆者に昨日3万円負けた・幾ら勝ったと報告をしていたが、本業の営業は大嫌いで『早く60歳になって年金をもらいたい』と言っていた29歳。仕事をしないので退屈な毎日を過ごしていた。彼はいまいずこ。