コロナの前兆・・・さっぽろ雪まつり(ある歯科医の告白)

4月21日、物知り博士の歯科医へ行く。先生の夢は日本のクイズ王になることで好奇心の塊のような人。おしゃべりが上手だ。コロナの話をしていると『実は、娘が学校の関係でJR新札幌駅を利用することが多いのですが、ちょうど雪まつりシーズンで新札幌駅も中国人やアジアの観光客でごった返していた。ある日、娘が風邪を引いて熱と咳に悩まされた。すぐに家族全員が体調を崩した。私の母も同居しているが、彼女も肺炎の疑いがあるほど体調を崩した。幸い、全員回復したが、あれ、実はコロナではないかと私は見ているのです。いま報じられているコロナの症状とそっくりなんです。当時PCR検査なんて知らないし、報道もされる前でしたから。我が家でクラスターが起きていた可能性ありますね。』『ということは先生ご一家は全員免疫獲得ということですね』『ということになりますが、私の家族のように全国で私のような体験をしている人がたくさんいて、ただコロナではないかと思っても口に出せない人がとても多いのではと思ってあなたに話したのです』。『先日、日刊ゲンダイの記事でコロナ感染した人が電話で取材に応じていました。体調を崩してはいたが親戚の葬式に出て、帰宅後コロナの陽性反応。親戚一同から罵詈雑言の電話があって心崩れたという話。自分だけが罹患するのはいいとして、それが他人へうつすことには耐えらえない』『村社会が続いていて、患者もどこかでうつされた被害者ですからね。被害者が再度、親戚一同から言葉の暴力を受けるのですから、医療施設で早く治してきて。回復待ってますと言える人がいればいいのですが』『自分がコロナに感染したとき、やっぱり絶対的に守ってくれる人が欲しいですからね。コロナに限らず、大病を経験した人ならわかるはずなんですが』。

そんな会話が続いた。カミュ「ペスト」も階段で1匹のネズミの死骸を見つけるところから始まる。海に浮かぶ氷も顔を見せるのはわずか、下に大きな氷群が隠れている。統計数字は統計数字以上のものではない。そこに想像力や自身の知見を加えてはじめて意味を持つ。感染していても発見されず自然治癒していく人を考えると、死者ではなく感染者は優に10倍はいるような気がするがどうだろうか?近所の歯科医の話から発展してしまった。医師たちと看護師の健康を守り、救急車で患者を運ぶ消防士たち、PCR検査をする検査技師たち自身の健康をまず守ってほしい。何が人生に飛び出してくるかわかったものではない。爆弾でなくコロナ砲、軽々と国境を超える音のない無色透明なウィルス。

 

 

「誰にも会いたくない」というのは「誰かに会いたい」ということだ(むのたけじ)

誰にも会いたくない』というのは『誰かに会いたい』ということだ(むのたけじ)

むのたけじ(詞集たいまつⅡ160p)。全文はこうだ。『どんなにひとりぼっちでいたいときでも、だれか一人の他人とのつながりを望む気持ちは捨てきれない。それが〈人〉だ。「だれにも会いたくない」というのは「だれかに会いたい」ということだ。』。箴言のかたまりのようなむのたけじさんの(たいまつⅡ)。
ほかにいくつか紹介します。すべてたいまつⅡから。
○みんなのものであってだれのものでもない地表に、私有だ、公有だ、国境だとクイを打ちこみはじめたときから人類のハートは血を流して痛みはじめた。死ねば大男だってせいぜい一坪しか占有できず、当人もたちまち土に同化してしまうのに。
○所有するなら、用いるために所有せよ。使わないものは持つな。
○鏡を割っても顔の汚れは消えない。
○他人の私事に関心をもちたがるな。話題はつまるところ二つ、財布と性器だ。だれだって持ってるじゃないか。のぞき見をするひまに自分のケツを洗おう。
○いまの子どもはカネに敏感で有名になりたがって責任感が乏しくてラクをしたがるなどと、実はおとな社会の投影にすぎないものを殊更の発見のようにこねくりまわして名を売ってカネをかせいでいるおとなたちがいる。「現代っ子」屋という営業は、まことにさもしい。
○他人のつくった道を歩こうとすれば方向を強制される。自分の道をつくれば方向は自在である。それが地表の掟だ。
○子どもをいましめるのにすぐ「世間」の二字をもち出す親は、世間なるものに助けられた喜びを経験していない。そしてたぶん世間なるものに尊敬されてもいない。
○世間さまに申しわけない、世間に笑われるぞ、世間に顔向けできなくなる、世間の口に戸は立てられない、世間の目はきびしい・・・・・といったふうに絶えずいわれると,子どもはかえって社会になじまなくなる。
○西郷隆盛という人は青年に対する対応がまことにていねいだったそうですね。来訪した青年が帰るときは必ず自分で玄関まで見送った。居ずまいを正してすわり、ふかぶかと辞儀をして「おたの申します」といって見送った。青年のだれに対してもそうだったという。2400年むかしのギリシャ人ソクラテスもまた青年に出会うと必ずその方を向いて、特徴のある大きなハゲ頭を深く下げておじぎをしたという。時の古今、洋の東西を問わず、歴史を自分の足で歩いた人の胸中には、時代の新しいにない手たちに対する尊敬の念があふれていた。青少年に対する尊敬なくして、なんの教育ぞ。

釧路の知人からコロナについて。

 

4月20日、釧路の知人から『札幌はどうですか?』とコロナによる札幌駅近辺の人出についてメールがあったので『20万都市の風景です』と答えておいた。駅を降りると構内のスタバも休業、宝くじ売り場も閉めている。わずかに東急デパートの地下食品売り場が10時から店を開ける程度。ビッグカメラも休業している。大丈夫か、こんなに休業して!地方のシャッター街と同じ。

午後、知り合いの貴金属店を訪ねた。金の取引は、中止とのこと。毎日相場が変わるので、金の値段が下がるとお客さんが大きな損を出す前に一斉に金を売りに来るので、店が大混雑になる懸念があるらしい。株であればネットで取引をするが、金は地金で持ってくる客が多いので大変な作業になる。店に鍵をかけて、しかし、店内は明るくして、来店する客に個々に事情を説明するらしい。店長としばしおしゃべり。『コロナはまだ半年は続きそうで、ワクチンができないとまずいことになる』と懸念。私も福岡の酒問屋に電話した同業者の話をした。『3か月先、うちの会社はないかもしれません』と。店長『その話、わかる』。社員を全員自宅に帰して店番を一人でしていた。

ランチタイムも休業の食堂も多く、かろうじてうどん屋とカレー屋の前に列ができていた。どこも混んでいたので私は天麩羅屋に入る、いつもより100円値引きしていたが空いている。昼ごはんとして900円はサラリーマンにとって高いからか。食後、セブンイレブンやローソンでいつものマスク探しをするがゼロ。久しぶりにブログにウィルスのいたずらがあって、管理者へ電話したら夕方には直してくれた。ありがたい。

もうブログを毎日書いて5年を経過して6年目(3月8日かから始めた)に入り、ネタ探しにたくさんの人と会い、おしゃべりしている。アルバイトをしながらおしゃべりと新しい話を仕入れているのだから文句ない人生だ。趣味は何?と聞かれたらおしゃべりと答える私であった。人それぞれ顔が違うように生きてきた足取りも違うことを発見する毎日である。

最近、感動がある。コロナ対策をする医師たちに触れて、医師自身が医師としての使命感をある会議で生々しく話したときだった。命がけで患者を救おうとする使命感を告白したときだった。若い医師だった。さらにある医療大学の教授が、札幌市の保健所職員の働っきぷりを誉めていたことだ。市民からの苦情や相談、さらに専門医からのあれこれ、医療用マスクの手配、会議のセッティング、慣れないことでよく働いてくれていることへの感謝だ。見るところ20代、30代が多い。二つ目の感動だ。