回らない回転寿司

回らない回転寿司屋さんへ2回入ったことがある。1軒目は、日曜日の午前11時半に国道沿いの回転寿司屋さんに入店。家族3人で入ったが、瞬間的に『まずい、誰も客がいない』。しかもベルトコンベアが動いていない。『注文は紙に書いて渡してください』と言われた。家族全員が私同様『ヤバイ』感覚が出てきたのか、無口になってきた。駐車場で1台も車がなかったが無理やり入ってしまった。私にはマイナスのことに強く反応する癖がある。早く食べて早く出ようと焦って注文。11時半だから、もう少し待てばお客がきっと来る。住宅街や団地が近くにあると自分に言い聞かせて、次々注文して15分で出てきた。しかし、誰一人来ない!数ヵ月後、車で通ると閉店していた。


2軒目は、これも国道沿い。札幌のベッドタウン市だ。入ったら、全員、暗い。照明まで暗い。まずい。元気がない。こちらも元気がなくなる。家族全員『2回目だね』と苦笑い。その後、その前を通ると『貸し店舗』の貼紙。一度入ったら、どういうわけか『出にくい』私の癖だ。出れば済んだのに、なぜ、無理して入店したのかと自分を責める。それ以来、回転寿司は混んでいる店を選ぶようにしている。回転しない寿司屋は資金も回転していない。


先ほど、久しぶりに近所の回転寿司へ。入店5時。4台の車があるぞ、客がいるとホッとして入店。誰もいない、回転をしていない寿司屋に2軒入ってから、車の台数や客の数を見込んだり、店の経営を心配したり、回転寿司の味やメニューを第一に考えればいいものを、まずは2回の倒産劇とその前兆が頭に刻まれてしまった。どうしようもない。妻との会話も今行くとまだ早い、客がいないと経営を心配してしまうから、店へ行くのを30分遅らせようということになってしまった。食べている最中、客が入ってくると『良かった、良かった』。『ところでいつも愛想のいい女の子はいないね、辞めたのかな?』『明日は土曜だから混むので、きょうは休んでいるのでは』などと、やはり寿司の本筋の味やネたの話になかなかならない。経営の話になってしまった、景気のいい賑わいの店がやはりいい。

新型コロナであっても先日行った美しが丘’トリトンはすごい人気。こういう店でないとね。選ぶときはネタや元気のいい店に行こう


回らない寿司屋での2回の体験の心の傷はいつ消えるのか?妻の実家が雑貨店を経営していて、客が来る・来ないで両親の機嫌のいい悪い、ケンカを聞いて育ったので、自営業は絶対しない・嫁に行かないと思い込んでいたみたいだ。年末が近づけば、経営は大丈夫か、商店だけでなくて、我が家の経済事情も同じだ。どちらにしても私も少ないお金であっても支出することで景気に多少の貢献をしたいものだ。

自分のことは棚に上げて饒舌に語りだす。

札幌の街

長年、営業をしていて感ずるのは「自分のことは棚に上げたとき、自分を含めて饒舌な人が多い」こと。たとえば、会議で自分の部の数字が悪くて、その追及が終わると、やれやれとばかりに他部の数字についてあれこれ原因追及を始めたり、キツイ質問を浴びせる人は多かった。「その悪い原因は?」「あの新人にもっと飛び込みさせないと」。自分が一度も飛び込みや、お手本営業をできない人に限って、なるほどもっともという話をして、上司をうなづかせる輩(女性を含めて)がワンサといた。営業の命は、数字といっても、辞めて行った同僚を送別した後、彼の持っていたスポンサー(数字)を誰に分配するが話題になる。このクライアントは担当者が癖のある人で飲酒の付き合いもあるから、下戸の彼には合わないとか、数字・売上の奪い合いが必ず始まる。これが時間とともに、職場環境を良くしたり、悪くしたりする。特に地場の中小の企業は、毎月毎月の数字会議で、悪ければ即倒れる、賞与はないぞといって社員を脅しながら経営をするから、自分が生き残るためには、汚い手を使っても数字の確保に執心する。


ただ、数字のいい営業マンにもやがて、たそがれが訪れる。取引先が別会社へ移行したり、倒産でかえって会社に迷惑をかけることになる。そのときは、「どうするのだ?この売り上げに代わるスポンサーを見つけらるのか?」と手厳しい罵倒に代わる。私が後輩に伝えてきたのは、「小さくてもいいからたくさんのスポンサーを持ちなさい。そうすると、落ち込みのクッションになるから」と。「興隆の原因と没落の原因は同じ」(塩野七生)。大きな売り上げほど怖いものはない。 いつも無くなったときの恐怖感にさいなまれ、売り上げがないとリストラ(配置換え)の恐怖に怯え、営業マンは心休まるときがない。それを見かねてせいぜい、「営業って、数字・数字で大変だね。体に気をつけて頑張ってね」と総務あたりから励まされるくらい。お世辞だね。


営業で失敗して、総務や管理に配置換えになったら、かえって営業マンに超手厳しい人間に変貌する場面も見た。特に、売り上げの多い営業マンのスポンサーが倒産でもしたら、同情よりも「倒産するくらいなら、初めから仕事なんてしない方がいい」と過去の数字のなかった自分をこの時とばかり、正当化する発言を平気でする。


あるとき、私は彼に「自分が営業マンのとき、ほかの営業マンにずいぶん助けられていたじゃない?」と言うと、「立場代われば、考え方が変わる」と弁明。しかし、トップの交代とともに消えていった。現役の第一線の営業を離れたから書くこの私の文章が、実は一番たちの悪い「自分のことは棚に上げて、饒舌な人」なのかもしれない。

 

ひとりで良かった!!

リサイクルブティックを経営する女性が、4店を持っていたが、数年前から一つの店にして、社員を雇わず、バイトの学生にネット販売を任せている。店にはブランド品を売りに来る専業主婦も多いが、実は旦那や姑の愚痴を言いにくる人だらけ。結婚した後、そこそこの暮らしをしながら、夫婦の間は『そこそこではない』という感じだ。優しい妻への言葉かけとか感謝のありがとうとか『飯作るのは当たり前』感とか『休みはゴルフばっかり』とか『仕事にかこつけて何をしているのやら』とか夫への不信が渦巻いている。筆者も他人事ではないと思いつつ聞いていると、将来、離婚を前提に『夫の知らない貯金をしている』しっかり者の奥さんもいる。筆者の両親も仲のいい夫婦で全然問題のない二人だと思っていたら、父親の死後、母から真逆の話を聞いて呆れたものである。ほとんど自分の親について関心がなかった、よく見ていなかったんだと後悔している。彼らのお見合い結婚がなければ私もいないわけで、ということは私の子供たちも自分たち夫婦もテキトーにしか観察していない。ブティク経営者は、そういう夫婦間のあれこれを聞くだけで面倒くさくて『ああ、ひとりで良かった!』と両手を上げて喜んでいた。女優にでもなれそうな美人の母親の写真も見せてくれた。『甲斐性のない父親で無駄な苦労をしたわ』と同情。そのあたりから自分は前を向いて男に頼らず、自分の人生を切り開くと決意。銀行員として広報で猛烈に働いて信用と人脈を広げてきた。60歳を過ぎて経済の勉強のために大学のゼミに出席するも、内容の無さに唖然!実業経験の無い教授の空理空論を自分の仕事から質問攻めで嫌われることもあった。15年ほど前に、ススキノに女性だけしか入れない限定バーを作った。『五番街のマリー』という店だ。これは今でも流行るかもしれない。こういう女性限定のバーは無かったし、割安感が受けてお客は増えた。噂を聞いて医者の男たちがやってきた『医者だから入れろ』『ダメです』で帰したエピソードもある。手に入りにくいスコッチも置いて通が来ても対応できていたのだが、バーテンダーが金を持ち逃げてしまって閉店した。3つの仕事のかけもちは難しかった。銀行員+ブランドリサイクルショップ+バー(銀行の了解のもと)。その彼女曰く『ひとりで良かった!』。人を雇うと健康保険や年金や様々な出費の支払いだけで疲れてしまうとも正直言っていた。金銭的にも『ひとりで良かった』である。それにしても次々、新刊本それも経済本を良く買う人。『これからはこんな仕事が儲かるのでは』と発想して試す行動力は凄い。先日は『BMWだけのタクシー会社面白い、自分が運転手をやるつもりだ』と言っていた。本人のマイカーがBMWでご機嫌、どうなるのだろう。