竹内まりや 札幌でのコンサートに行く。

山下・竹内ポス

以下の記事は、コンサート終了後、2時間後に書いた知人へのコンサート報告です。記憶で書いたので、細かいところが誤ってる可能性もありますが、大筋がわかればいいなあとメールをコピーしてみました。この日も、地下鉄真駒内駅から会場行きシャトルバス内で、超混雑ゆえ、筆者はパニック障害発生して会場まで20分歩くことになりました。

12月4日、竹内まりやのコンサートへ行きました。元気ですよ!長いので暇なときに(そんなのなのないか) お読みください。 曲目はざっと次のようです。簡単解説付き(暇人な私)地域によって話題はかれらは変えますね。

ドリームオブユー 不思議なピーチパイ 象牙海岸 五線譜 ウィスキーがお好きでしょう(ベースギター伊藤さんがNHK朝ドラファン) RET IT BE  ME(達郎とデュエット) リンダ(達郎とバックコーラス3人のアカペラで、アンコールで歌う) プラスティクラブ(達郎と佐橋のカッティングギター冴えて今回のコンサートで一番の盛り上がり) 元気を出して(10代の落ち込んだ女の子からこの曲聞いて頑張れた・・・との内容の手紙をもらって作ってよかったとまりやさん) 駅 告白 マンハッタンキス 家へ帰ろう 人生の扉(50歳になって、ドラマーの青山純、大滝詠一さんも亡くなって、現在還暦前の59歳になり、格別な思いの曲になりました。) 命(アンコールの一番最後に彼女の弾き語り、今日来てくれたお客さんへ私からのプレゼントですと言い、難波ひろゆきさんのピアノを借りて。私も思わずもらい泣き) カムフラージュ ケンタッキーソング(この曲は歌ってほしくなかった)ほか2~3曲。

全曲、すべて山下達郎バンドで達郎の青のシャツや帽子キャップも8月のコンサートと同じでした。彼はできるだけ引っ込んでバックに徹しようとしますが、奥さんの 会話に引き込まれてついつい江戸っ子気質でおせっかい会話。ドラマーの小笠原さんが札幌の新琴似出身なので、北海道方言の話で『ザンギ』(鳥の唐揚げ)『角食』 (四角い食パン)の話をしてました。達郎の実家がパン屋で、お客が柔らかいパンを触って形を潰すので、それを注意する仕事を少年時代していたとか(笑い)。ところが そこで売っていたパンが日糧パンで札幌本社なのだと知ったと達郎コメント。

(以下は竹内まりやの話) 真駒内アイスアリーナは札幌オリンピック会場で当時アメリカのフィギュア選手ジャネットリンの笑顔に自分も感動して10代・アメリカへ留学したとき、住んだ街から 20分先に偶然、彼女の実家があり、ペアレントに言い、連絡をつけてもらい彼女に会ってきた話をしていました。日本から贈られた千羽鶴がたくさん飾られていたと。 隣の真駒内野外競技場で20台後半、桑田ケースケさんのコンサートに出た時、当時の道新スポーツ(サンケイスポーツと提携)がスクープで『竹内まりやと山下達郎 が同棲!』記事。記者たちから『結婚、おめでとう』と言われたがまだ籍も入れてないのになあ・・と。 竹内まりやが達郎バンドを『いま、音楽的にも技術的にも日本で最高のバンドです』と、達郎の生演奏を聴いたことがない聴衆へ解説をしてました。1万2000人。立見席も 開放したのでもっと来たかもしれません。 7割が女性、夫婦で40代から50代。旦那は奥さんに引っ張られてきている人が多いのですが、『きっと達郎が来る』と彼の熱烈ファンも多くて、会場から『たっちゃん、いいぞ!』 と掛け声入り『ありがとー』と応えていた。

サックスの宮里さんの腕がすごく上がっていて、達郎さんが宮崎の都城市から東京へ連れてきて、NYでレコーディングさせた。そのCDが本年ジャズ部門の大賞を獲得したと。 キーボードの難波さんは音楽大学の教授をしていた。もう一人のキーボード奏者柴田さんは白系ロシア人の血が混ざっていて、札幌駅で英語で外国人から話しかけられたとか雑談 もありました。 (私の総評) このふたりの100%出演、8800円→15000円でもいいかも。

ただ、心配は山下達郎が仕事のし過ぎではないかなあと健康面の心配です。来年、デビューの区切り(40 周年)で張り切ってますから、ツア本数も半端ではありません。12月公開の映画の音楽監修をしたり、まりやさんのCD監修したり、打ち合わせもきっと多くて61歳では ありますが心配です。大滝詠一が死去して、青山純も亡くなり、達郎さんが生き急いでいなければいいのだけれどもと思います。ボックスCDが売れる二人だからレコードメーカー も儲けられる音楽家ですからフルに利用するでしょうから、達郎さんはサービスマンですから、ついつい過剰に仕事を受けて休まない。そしてカラダを壊さなければいいなあと懸念 します。 以上

一方の得は一方の損(モンテーニュ 随想録第22章)より

「どんな利得だって他人の損失とならないものはない」。モンテーニュ(1402年~1592年)のエセイ(白水社版138p)で貧乏について書かれた章を探していたが見つからず、「一方の得は一方の損」という章を発見した次第だ。読んでみると面白い。商人が栄えるのは若者の乱費のため、百姓が栄えるのは麦が高いため、建築家が栄えるのは家が倒れるため、裁判が栄えるのは世に喧嘩訴訟がたえないためである。さらに、聖職者の名誉と義務だって、我々の死と不徳から生ずる。古代ギリシャの喜劇作家などは「医者は健康が嫌いで、友人の健康さえ喜ばない、軍人は自分の町の平和をさえ喜ばない」埋葬用品販売業者は多くの死がなくては生じ得ないと利益をむさぼる男が処罰された話まで書いている。

時代は宗教戦争、カトリック教会の腐敗と既得権益をむさぼる司祭たち、信者の無知に付け込んでは、この札を買えば罪があがなえるとウソを言い、金もうけをする。私も父の急死で慌てて葬儀をするため町内の寺を探して『檀家になるなら引き受けよう』と東本願寺の住職に依頼したまでは良かったが、母の死去を契機に来年檀家を離れることにした。本願寺の改築に寄附金を半強制的な檀家(330戸)で1億4000万円を集め出した。東日本震災でゼネコンや中堅ゼネコンが耐震強化に東本願寺へ営業攻勢をかけた結果。檀家が減少する前に寄付を集めようとという算段だ。しかし、これが結果として檀家離れを加速していることが住職にはわからない。檀家は信心深い世代から次の子供世代に変わっていて、葬儀費用を最小限にする生き方が定着している。『寺の得は檀家の損である』。これには精神的な価値観は置かないことにする、私たちは精神や心という観念でどれだけ寺へ奉仕をしてしまったか。仏僧が仏から一番遠いところにいるのかもしれない。夏には沖縄ツアを旅行代理店と組んで主催したりする。旅行会社にとって宗教団体はコアな団体でとにかく集まる(集めてくれる)、選挙と同じ。ギリシャ時代、宗教戦争の時代、現代と『一方の得は一方の損』は時間の流れを通じて貫徹している。自然も実はそうで、物理学者は、もろもろの物の出生・成長・繁殖は他の物の変化腐敗であると説いた。

まことに物がその形と性質とを変えるとき、

前にあったものの死がないことはない。(ルクレチウス)

一度作った物は、滞留時間をできるだけ長く・・(鈴木孝夫)

『一度作った物は、滞留時間をできるだけ長く・・』(鈴木孝夫)

大学の夏の特別講義で鈴木孝夫さんの言語論を聞いたことがある。『閉ざされた日本語云々』の本を読んでいたので参加したのだが、先日、『しあわせ節電』(文春)を図書館で見つけて、節約・節電の実践者としての鈴木さんがいた。その中に、私も少年時代、長屋暮らし・市場で買い物をしていたころを思い出す2行が出てきた。『一度、作った物は、人間社会の中での滞留時間をできるだけ長くしようとするのが、昔の日本でした。ちょっと使ってパッと捨てるなんていうことは考えられないことでした』(58p)『戦前、・・ゴミ集めが東京の町中でさえほとんど来なかった』(57P)『包装紙は木や竹のように自然に返るものばかり』。江戸時代、江戸は世界一のエコ都市であったのは誰でも知っていることで、糞尿さえそれを担いで、近郊の農村へ売って歩いて生計を立てていた人がいたのである。市場に行くと木を薄く切った『薄皮』に食べものが包まれていた。豆腐は自分で『鍋』を持って行き、豆腐屋さんに入れてもらった。小揚げを1枚サービスでもらった喜びが今も残っている。残りご飯は、もう一度そのご飯をとろとろにして糊にして、チラシや新聞紙を切って糊を付けて、袋をつくり、野菜屋さんや魚屋さんへ持っていくと1枚1円で引き取ってくれた。それを店では次のお客へ商品を入れる紙として使うのである。汚くなって使えなくなった新聞紙は次に、燃料として使用される。さらに新聞紙は湿気を吸わせるために畳の裏側にびっしり張られた。薄皮も最後は燃料になって、ゴミらしいゴミは出ない。チラシ1枚もトイレの紙にするために手もみをして柔らかくする仕事も少年時代にしたことがある。水洗トイレではないから、落とし紙として使われた。時代の変わり目はプラスチックの出現で、燃やすと有毒ガスを発生させるが可変的で、物を包む容器として重宝され、我が家でも『燃えないゴミ』の最大量で毎週毎週出させてもらっている。このほか燃やせるゴミ、新聞・段ボール、家具を出せる大型ゴミも1か月に1回ある。100円のシールをスーパーで買って貼るだけ。畳は1回に3枚まで、300円で済む。6畳なら2か月かけて捨てることになる。着るものも大事にして、最後までゴミになることはないよう使われた。手芸の世界の始まりは、捨てられないものを美しく何かに変身させる術がルーツかもしれないと思うようになるくらいだ。