恵み野通信

嬉しい春がそこまで来た.。福寿草。

春を告げる福寿草が咲いた。3月24日。自宅前を散歩していたおじさんが「福寿草を見つけたよ」と言うので探しに行った。やはり南に面したこの家だった。

同日、大分在住の娘から花の写真が来た。菜の花の大群だ。場所は豊後高田市。花に接近して写すとさらにきれいだ。

商店街のパン屋さんのご主人と話すと、この時期、雨が少なくて農家は困っている話をしてくれた。春先、雪解けを雨が担っていることが多く、この雨が畑の水分になってくれて、耕す時期や作物を植える時期を決める目安になるのだが、雨が降らないと困ってしまうということだ。ビニールハウスでアスパラガス栽培が始まる時期なので、近々、知り合いの農家を訪ねて、雨について実際どうなのか聞いてくるつもりだ。一にも二にも食べ物、食料第一主義の私なので農業がどうなるか心配でならない。「日本農業新聞」という専門紙がある。ここの1面コラムが素晴らしいので、図書館新聞コーナーで立ち読みすることがある。農家や作物について心配しながら書かれてある。パン屋さんも恵み野商店街通信を書いていて、「イベントがないと書くネタがなくて困った」と。A41枚に写真と文章を載せている。パン作りも美味いし、通信のレイアウト・文章も上手だ。いい顔をしている。

話変わって、隣のご主人が3月20日に亡くなっていた。向かいの奥さんから知らせてきた。以前なら町内会から投げ込みでおくやみ伝言あったが、いまはない。夜に救急車が止まったと証言する人がいたが、知ったのは亡くなってから4日後だ。ゼネコンの現場監督の仕事をしていて風を切って生きていた人だった。勢い余って、自宅庭で立ちションしていた。盆と暮れには山のような付け届けがきていた。娘と息子が「お父さんには何も届かないの?」「そういう仕事をしていないからね」

3月16日、ダイハツに勤務する娘婿が、帯広ばんえい競馬を見に北海道に来た。どうにかダイハツ車種製造がが再稼働始めたとのことでまずは良かった。帯広で豚丼、インディアンカレーを食べ、一番食べたかったのは「みよしののギョウザ」。カレーとギョウザのセットを注文。お土産にカレーのレトルトプレゼント。

みよしの恵庭店

町内の会館で小澤征爾追悼ミニコンサートがあって行ってきた。ユーチューからの抜粋動画だ。彼の師・斎藤秀雄さんの弟が岩手大学を出て、恵庭で酪農を志したが、戦争で亡くなり、斎藤秀雄さんが恵庭市立小学校で弟のために追悼コンサートをした。生の楽器演奏を初めて聞いた小学生は大感動したと記録が残っている。

「理由(わけ)あり」デコポン。拾う癖取れず。

デコポンでこぽん2

昨日買った「理由あり」ワゴンに入ったデコポンは超美味かった。3個で380円。今の時期、1個でそのくらいする商品だ。妻は「傷が付いたりしたら、果物はそれを埋めるために、美味しさ成分をいっぱい出して、結果、美味しくなる」と講釈した。野菜も味が変わらないのに、形状が規格に合わないと敬遠されていたものが堂々と店頭に多く並び、あっという間に売り切れる。

お菓子の袋物も、割れていたりしても量は多く、安い。少年時代に食べたカステラや食パンの耳、センベイの耳たちを思い出す風景だ。10円出して食べきれなかった。家具でも傷物が安い。中古やリサイクル思想が広がりを見せて、この「わけあり商品」人気は庶民の不景気感浸透とともに続きそうだ。私は、昔から景気に関係なく「ワゴン商品大好き」で売れ残りを買う癖がある。たぶん古本屋漁りがきっかけかもしれない。

本質は見えっぱりのケチなのだろう。車も動けばいいと50歳になるまで新車は買ったこともない。家も雨漏りしない中古で十分。オーディオも近所からもらったダイアトーンのスピーカーで満足している。自慢ではないが、捨てられた物を拾う癖もある。特に道路に落ちている紙は気になってしょうがない。名刺とか領収書、運輸業者が落とした納品書とか拾っては読む楽しみがある。

落とした名刺には風俗関係のものも多い。手書きで「きょうはどうもありがとう。また来てね」。出勤曜日なども添えられてある。公園の中を散歩していても紙が気になる。いっそう、ボランティアで公園清掃をひとりでする方がいいかもしれない。めったに千円札を拾うことはないが、100円玉や10円は良く拾う。まさかとは思うが、新聞紙にくるまれた札束を拾ったらどうしようか迷う。

交番に届けるのが筋だろうなあと思いつつ、いやあ、車のトランク下の補助タイヤ格納場所に100万円くらいなら隠せる場所がある。ここへ隠せば、妻にもばれないで遊び金を作れると妄想する。でも、これは泥棒だよな。こんなことをしていたら、お天道さんから罰が当たるわ。考えるのはよそうよそう。

ふと思うのだが、私の35年間の営業生活も、歩いては拾いの繰り返しだったような気もしてくるのだ。たまに大きな売り上げもついてきたけど。筆者が「わけあり商品」や「ワゴンセール」に向かう姿を見て妻はしみじみ「私もワゴンセールみたく売れ残りをあなたは買ったのね」。そういう自分も実はワゴンの中のわけあり人間なんだけど・・・・・・・・。

タイタニックと洞爺丸。譲る、引く。

洞爺丸

三菱重工製造 青函連絡船 洞爺丸

タイタニック洞爺丸記事朝日

映画「タイタニック」でディカプリオ君が、自分の浮き輪を愛する彼女へ渡して沈んでいくシーンを見てたくさんの人が泣いた。1912年4月14日の事件だ。

実は同じことが、青函連絡船洞爺丸(1954年9月26日)沈没事故にもあった。台風の目に入り、一瞬、静かな天気になり台風は去ったと思い出航した船へ突然の大嵐が襲い、死者・行方不明1155人の大惨事だった。そのとき乗船していた3人の外国人の宣教師のうち誰かが自分の浮き輪を見知らぬ人へ渡して沈んでいったという。(文春文庫。上前淳一郎・洞爺丸はなぜ沈んだか)。筆者3歳のときの台風で、激しい雨風だったくらいの記憶だ。

自分の生死を左右する浮き輪を差し出す行為を、自分が果たしてできるかどうか怪しいなあと感じながら、実はほとんどが我先に生きのびる選択をするだろうなとも感じて、しかし、それを誰も責められないなとも感じて、複雑な心境になる。

宣教師だから、できた行為だとも思えなくて、十分、普通の人々も宗教に関係なくする人はするだろうと推測する。人生において究極の選択を迫られるのは、一番は結婚かもしれない。しかし、これは生死を分かつという意味でもなくて、比べる事案はないなあと思う。しかも瞬間的に反応するのだから、凄いことを人間はやってしまう。

映画の世界ではなくて現実の世界でこれができるというのは凄い。いつだったか、プラットホームから落ちた人を助けようと飛び込み、みずから犠牲になった学生(?)がいた。たくさんのお客さんがいた中で、なぜ彼だけがそれをしたのだろうか?普段からそういう価値観を自分の生きる常識として暮らしていたとしか思えない。たぶん、彼を知る友人たちから証言を集めれば「なるほどそうか」とうなづけるトピックが集まるかもしれないし、ないかもしれない。

それから考えたら、席を譲るとか、地位を譲るとか、引退するという行為がいかに小さなことであるかと思うのである。攻める生き方には強いが、撤退戦には弱い企業風土で、これから価値ある生き方は、譲っても、引退しても、別に命を失うわけでなくて、沢山の人から大喜びされる行為かもしれない。背中を見せて黙って去る、浮き輪は渡せなくても、海に沈むのではない人生が待っている。昔、よく見たヤクザ映画の影響かな。一度トップに座り、引き際を間違える経営者をたくさん見て来て、強くそう思う。社員に愛情があるなら、彼らに浮き輪を渡して欲しいものである。