政治・報道・偏向ワンセット時代

イスラム国からのニュースが急激に減っている。危険を冒しても取材する記者やカメラマンがいないと、殺人があってもそこでは殺人がなかったことになる。そこに立ち会って生き延びた人が後日、証言して、その現場の写真でも撮影していたら、その事件は起きたことになる。

アフリカや中東、ロシア、中国、南米、ミャンマーやタイでも起きているかもしれない。取材する方も命がけだけど,行きたくてもいけないのが現実だ。捕虜の危険があるどころではない。現実に何人の捕虜がイスラム国にいるのか。フリーな記者しか入っていない。

日本のメディアはこういう人たちや外電のニュースを買ったり、契約して載せる。ベトナム戦争時代は従軍記者が各国たくさんいた、カメラマンも。今回はどこまでも安全第一の報道スタンス。ISIS(?)を興した遠因はアメリカのイラク爆撃&支配とイスラエルのイスラム分断政策だ。実際、フセイン政権時代の官僚や役人たちが、フセイン失脚とともに失業し、当時の武器を盗んで新しい国(?)を作った。それがISISの基本部分を構成している。

西側諸国へ移民をしても満足な暮らしができないイスラム教徒の若者が加わる構図だ。兵士たちを毎日食べさせる食料や武器を購入する代金は略奪なのか売買なのか。アッラーと直接つながる信者個人は簡単にテロの世界に会入れるから、世界じゅうどこでも標的になる。ベトナム戦争には共産主義の拡大を止めるという大義名分を錦の御旗にナパーム弾、枯葉剤という非人道的な武器をアメリカは使用して、泥沼のゲリラ戦で南ベトナム側が戦死・行方不明・民間人死者が335万6000人、北ベトナムの兵士の死者・行方不明・民間死者が478万1000人に及ぶ(1960年12月~1975年4月まで)。

報道の自由もあって、次々アメリカ兵の北ベトナムでの残虐な行為・虐殺が暴かれて、アメリカ国内や西側諸国で反戦運動が音楽家・芸術家を先頭に盛り上がりを見せた。帰還兵もアメリカの大義名分のために戦ったはずが帰国すれば厄介者扱いで精神に異常を来す兵士もたくさん出た。これに懲りて、今度のイラク爆撃は報道陣を制限して、フセイン元大統領の映像もすべて軍からの配信映像だ。遺体を海へ流した映像が本物かどうかも怪しまれている。

日本のイラク派兵でさえ、精神で参る自衛官がたくさん出たが、それがすぐに報道に出るのは抑えられていた。同じ自衛隊の中でもイラクへ行き、危険手当で収入を増やした家庭と行かなかった自衛官と収入格差も生んだ。こういう税金を使う仕事は明確に1か月滞在で〇〇万円とアナウンスすべきだと思う。パソコン、スマホ、ドローン、衛星通信、ロボットカメラが自由に使える時代にかえって不自由な報道にさらされていはしまいか?報道手段があっても、それをどう使うか、どこ毛向けて配信するか、それを決めるのはローテクな人間の大脳・判断力や良心、未来の歴史への責任感ではないだろうか。

人々を、国民を監視・管理するためのハイテクではなくて、権力を監視するものとしてハイテクをもっと活用したいものである。「政治」「報道」「偏向」のセット販売はそろそろ終わりにしてもらいたい。

ニセコの風にも吹かれてみた。

朋子撮影羊蹄山

昨日は、余市の風に吹かれ、24日はニセコの風に吹かれた。どうしようもない暑い天気が連日続き、久しぶりのニセコだ。ここは父の故郷で昔は狩太(カリブト)と言って、有名な有島武郎男爵が不在地主で、広い土地を持っていたが、小作人へ開放し、自らは自死した。ニセコという日本で最初のカタカナ駅にして話題になったこと、羊蹄山という絶景が広がること、世界中のスキーヤーが絶賛する雪質のスキー場がたくさんあること、豊富な湯量の温泉がニセコエリヤに散在すること、このあたりで育つ人間はどうも反骨人も多そうで、昔(今も)から権力を嫌う風土では信州に似ているかもしれない。信濃毎日(桐生悠々)や自由民権運動も信州が先導を切っていた時代もあったし。厳しい積雪との戦いがそういう性格を醸成したのかもしれない。私の父も偏屈であった。私の宿泊したホテルはヒラフもホテルであったが、オーストラリア人の別荘が軒並みで、テニスをしたり、野外バーベキューを楽しんでる。アメリカンスクールもあるということで、ニセコに開設されるわけは外国人の人口増加だ。ここに水資源を求める中国資本も虎視眈々だ。富士山を半分の高さにすると羊蹄山だ。山の周りは冷たい水がわき出ている。いろんな造形芸術家もオブジェを町々に置いてある。

芸術牛の

以前はジャガイモやビート畑がいまやミルク工房、チーズ工房、アウトドアのラフティングの教室も多い。スノボ大好きな大阪人は冬だけ開くお好み焼き屋もあるらしい。ホテルの従業員も若者が多くてホッとした。若者が簡単に都会へ出てしまう町や村で、公務員以外で雇用が保たれると言うこと、移住者が多いということは、その街の5年、10年先の未来が開けるような気がするからだ。「わ」ナンバーの車「れ」ナンバーの車、キャンピングカーが羊蹄山を眺めながら走る姿を見て、亡き父を思っていた。貧しい親父の少年時代を聞いていたので、、毎日歩くスキーで学校へ通ってたからね。その姿を羊蹄山は黙ってみていたんだ。きょうあなたのひ孫を初めて連れてきました。草原で転がって遊んでいます。羊蹄山は彼女も見てくれてます。

2 本の木

ニッカの風にも吹かれに行く

第一号ウィススキーとアップルワイン
1940年10月第一号ウィスキー1938年9月アップルワイン

短い北海道の夏を味わいに、余市とニセコへ。マッサンのニッカ工場が目当てだ。23日(木)だけど今日は韓国からのツア客が多い。1か月前に予約して1時間のガイド付きツアに入るが、解説を聞きたい人は、その集団に割り込んでも注意されることはない。

ニッカロッドスチュワート&
ニッカ黒の50 ユ-チューブで閲覧できます。

ニッカ全盛の頃、CMのタレントでロッドスチュワート38歳の写真があった。BLACK NIKKAだ。アメリカンオールドソングを歌ったCDを全部買った私としては、この英国人のNIKKAのCMソングが気になって仕方がない。

応接アンテイーク 竹鶴

リタの描いた絵
リタさん直筆の絵

竹鶴正孝さんの趣味も高尚で、接客間の英国アンティーク趣味もなかなかだし、ヒグマの毛皮を床に引いていたり、アフリカン太鼓を叩いていたり、密度の濃い人生を送ってていたことが博物館を通っただけで伺える。人口が2万1千人の余市へ1年で100万人を超す勢いのニッカ余市工場だ。リタさんの直筆の絵もあったので写してきました。

 

試飲かい
2015年7月23日午後2時 試飲会場の賑わい

2015年受賞