他人を攻撃せずにはいられない人(2016年8月15日掲載)

去年の再録です。ソシャルメディアの利用で「誰でも攻撃できる武器」を持った現代です。すぐに誰が発信したのかは特定されますが、気味の悪い時代がしばらく続きます。

片田珠美著(PHP新書)の題名だ。筆者は題名になるほどと思い読んでみた。臨床医として、攻撃された側(患者)の例から分析を試みるわけだけど、学校でのイジメから始まって、結婚して夫婦間のイザコザ、サラリーマン経験あれば、あの人がそうだったよねとか、自分自身も何人か意地悪をしたよねとか思いはあるはず。書き手の姿が見えなくて、少し不満は残る本だけど、ツイッターや2ちゃんねるなどで匿名での攻撃文が増えている現状で、嫉妬や幸せそうな人間への破壊衝動がずっと続いていて、そしてそれを表現する媒体を個々人が保有して(武器を手にして)振り回している気もするのである。


ひとりの人間にいわゆる良心と悪心と備わってるわけで、この本は他人の「あら捜しをしたり」相手へ「攻撃的になるとき」は、むしろその人のネガ部分が反映されるとみる。倒産に見舞われ苦悩の営業の同僚へ「そんな焦げ付くくらいなら、仕事をしない方がいいんんだよ」と断罪する営業上がりの役員もいた。憎しみの感情を込めてね。


しかし、実際は、彼の現役の営業時代、筆者に「今月、数字がないので〇〇の数字を俺に付けてくれないか?」と泣きついてきた先輩でもあった。営業職を離れ管理する立場になると、営業マンにきつくあたる。嫌いな人間の悪口は言い触らす。アルコールでも入るものなら「いいか、給与の役職手当は、部下に使うためにあるのだ」と豪語していたが、恩恵にあずかった者はいない。むしろ、彼のお蔭で数字をたくさんあげた人間は妬まれ、政治力で追いやられ、新しい社長へ「どこまでもついていきます」と部長会で発言して役員になったが、人望なくして1年で退職に追いやられる。


他人を攻撃する人間は、どこかひどい弱点を抱えていて、攻撃しないと自分を守れないのかもしれない。他人の価値観や存在をうとましく思ったりしがちだ。自分の身を守るために攻撃する。その守っている中身はなんなのか?ここを知ると、攻撃されても反論ができたり、冷静になれるかもしれない。「自分で数字を上げてみたら?」と社長へ言ってみたいものである。


筆者も何度も経験したが、新社長はなぜ前任の社長の生き方を全否定するのが多いのだろうか?十分、実績のある担当者とスポンサーの関係を別な人間をあてがって数字を低下させたりしていたね。これも間接的な攻撃で、降格されたり、全然不向きな部へ異動させられたり、うつ病社員が出るわ出るわ。特に自己愛強く、以前の職で閑職にいて、劣等感の強い人が社長になると最悪。さらに夜のアルコールで部員を感化・洗脳をしようとすると、社内は分裂へ向かい、仕事へのテンションも低下して、銀行に預けてある社内留保資金で経営の安定を図ることになる。


正社員は派遣に切り替え、人件費節約、社員同士の横の連携を排除して、暗い社風の会社になってしまう。「その人がいると全体の雰囲気が悪くなる」という人がいるもので、それがトップであったり、部長であったりする。いない方が皆々元気に仕事ができるのに(アイディアも出て、のびのび発展的に仕事がはかどる)、これが本人たちにわからないし、伝える人がいない。この本は、こういう攻撃的な人間から逃げる方法や、彼らの意識がいつか変わるなんて甘く考えないで自分を守りましょうと述べている。


家庭においても夫の言葉によるDVや親が学校へ発揮するモンスターたち。「自分の子供は悪くない、学校が、教師が悪い。」共通は他責。自責感の強い人は攻撃の対象者になりやすいから要注意だ。

連帯保証人大国。

日本で連帯保証人をしている人が2000万人、自己破産者が年間20万人、多重債務者(5社以上から借り入れ未返済)150万人、信用情報機構がブラックリストがクレジット系だけで400万人、アパートを借りるときの身元保証名義貸しが1400万人、住宅ローンの連帯保証人が830万人。(数字がかぶっているケースもあるからおよその数字である)


~誰も知らない~「世界と日本のまちがい」~自由と国家と資本主義~(松岡正剛)24p。2008年の本なので、2016年は数字は変動していると思うけど、新聞に入ってくる過払い金を取り戻しますという東京弁護士会のチラシの多さの背景がわかる。身内と知人を「人質」に取る連帯保証人。すべての業界で第三者機関を作って、本人以外に被害が及ばないような仕組みを作りたい。


就職のときに出す保証人も、本人が横領でもしたら弁済の義務が生じるから、保証人になる前に「どこまでの保証人」なのか詳しく読まないといけない。昔から説明書を読まない、テキトーにハイハイとサインしてしまう筆者であったから、父親から「連帯保証人だけは引き受けてはいけない」と何度も言われたことを覚えている。義理の祖父も親戚が町長選挙に出馬、元学校の校長経験者でもあり、教え子たちが投票すると思いきや、実は人望が無くて落選。選挙資金を代弁済した事件があった。書類上、保証人ではなくても「親戚」というだけで、貸した側はどこまでも弁済を迫ってくる。


それから義理の祖父は戦友が金を借りに来たときは、わずかだが渡して帰ってもらった。お金を上げるのが一番安くつくことを学んだ。義理を果たし、被害を最小限に抑え、相手から恨みをもらわないベストな選択だ。「貸せない、帰れ!」と厳しく言えない。


この保証人制度は、そういう人間関係の機微を巧妙に利用して、貸して側が損のレベルをゼロに近づけよう、リスクを取らないでいこうという、景気が上向きで誰も彼もハッピー(そんな時代は人類史上無いが)で、支払いが滞ることもなく(しかし博打と女性への貢は例外)ことが進展すれば、ブログの最初の数字にはならないはずが、現実は厳しい。私の周囲にも自己破産者は何人もいるが、形式的に離婚して負債が配偶者へ行かないよう生きている。その方面に長けた弁護士も多くて、自己破産者が立ち直れる指南をしてくれる。


しかし、そういう知恵をかしてくれる人を持たない人は、おびえながら、家族に迷惑や取立ての恐怖電話がいかないよう、姿を一時消す。ネット社会になり、勝手に自分の住所・氏名や電話番号が盗まれて、印鑑でも押されれば、ある日突然、「保証人ですよね、返してください」と闇金融から書類が送りつけられる恐怖はある。数年前、パソコン通信を契約しているKDDIから、外国から数百円の請求書が来た。あっあのH画像を見て、しまったと思い消したが遅い。瞬間でも数百円。妻から「これ、何?」と追求されるし参ったが、2年放置すると請求を諦めてくれた。郵便代を超えてしまったのだ。連帯保証人とは全く関係ない話であった。

選ぶのは捨てること。宗教のこと。

選ばないと前へ進めない。しかし、選ぶことはほかの可能性を捨てること。政治は税金の配分の問題だから、Aに使うとBを削ることになる。結婚にしても日本は重婚は認めていないから、男にしてみれば、ひとりの人と結婚するということは、あらゆるほかの女性とつながる可能性を捨てることでもある。これでは浮気はなくならない(?)。数億個の精子のうち卵子に入れるのはたった1個。残りは廃棄処分、残酷だ。受精の背後に限りない、精子の大量死がある。男には無駄が多い。男はばらまく性かもしれない。


就職先もひとつを選んだらほかの会社は選べず捨てることになる。進学もそうで、世の中で人事(ひとごと)に関することは、この選択と排除の繰り返しにみえる。空気のようにこれを毎日毎日繰り返している。友人との約束も筆者は多いが、ダブルブッキングもたまにある。より重要なまた楽しい時間を過ごせる人、お金を奢らなくてもいい人が優先で選択をしている気がする。どうも人間の私は人間の器が小さい。


しかし、これはある程度、年齢を経てから行われるので、人間はどの家で生まれ、どんな親の元で、どんな民族で、肌の色で、豊かな家か貧しいかは選べない。絶対的に選べない。親やその前の先祖たちから引き継いだDNAも選べない。選んだ行為があるなら「それは選んだお前が良かった、悪かった」と言えるが、本人が選ぶ前にすでに「社会の中である位置で、偏見多いところで」選ばれて生まれることも多いから、本人の責任の全く無いところで苦しんだり、得をして生きていくことになる。


100メートルの徒競走をするときに、ある人は50メートル地点からゴールを目指すような不平等な競争社会になっていることだ。別にこれはいまに始まったことではなくて、太古の昔からあることだ。しかし、それを公平にするためにいろいろな部族は工夫をしてきた。一番大事な食料の分配にしても、長老たちがルールを決めて、みなはそれに従った。


現代はこの食料が実は「金」に変貌している。人間の胃袋の容量には限度があり、ローマ時代の有閑階級なら寝そべって食べては吐きながらまた食べるだろうけど。しかし、ローマ時代はご存知のように農奴や剣闘士、まだ市民にはなれない人々がたくさんいた。貧しい日常を送っていた。すがりついたのが、当時の新興宗教キリスト教であった。


もともと多神教のローマであったが(ローマ神話に出てくるたくさんの神)、一神教を信じて殉教を辞さないキリスト教徒やユダヤ教徒を見てマルクスアウレリウスは「気味悪い人たちだ」と語っていた。筆者が言いたいのは、一神教は選ぶと100%、ほかの宗教には寛容には実はなれないということ。しかも、選択の余地無く生まれたら本人の意思さえない状況で赤子のうちから、●●●教徒として生きさせることの残酷さだ。善意として昔からの習慣としてしているだけだと親たちは言うだろうけど。皇室に生まれるのだって辛いと思うね。やれ男を産めだの寝室までたくさんの人に覗かれる辛さはないね。精神的におかしくなりますよ。


そうやって宗徒を増やす、権威づける宗教ばかり、新興宗教を含めて、大事な生存のスタートにある子供への精神的な暴力を人類は2000年(イスラム教徒は1400年間)してきていないかということ。一度、幼少期に植え付けられた価値観や思い込みは取りにくいから、せめて15歳くらいになって、宗教を選択するならより寛容度の高い世界になるだろうと思う。


親は自分の信じる宗教を子供に押し付ける、私の知っている子供も逃げ回って苦しんでいた。罪深いことである。あと信者を増やす活動をしない。宗教の経済的な基盤を弱くしないと、不安な社会であるから、繁茂するだけだ。弱い人間の弱点をえさに近寄ってくる「他人の不幸を」食べている人たちを警戒したい。マスコミが宗教になってる感もあるが・・・・