瀧本哲史さん、死去(47歳)。14歳の君へ。

8月10日に都内の病院で亡くなった瀧本哲史さん、47歳。過去に書いたブログを探して再録です。

14歳の君へ真剣に考えてくれる大人たち。「ミライの授業」はじめ14歳の子供のために書いた様々な本。

14歳向けの本がいろいろなテーマで出版されている。なかでもすばらしかったのは、「ミライの授業」(瀧本哲史 2016年6月刊 講談社)。副題は14歳のきみたちへ。この年齢は全員が平成生まれ。書き手は昭和生まれだ。瀧本さんの本は、学生が教科書に色ペンを使用するように大事なところに黄色の蛍光色を使っている。難しい概念を使わず、内容は高度だ。これなら「なぜ毎日つまらない勉強をするのか」その意味がわかろうというもの。


しかも、この本は実際に全国の中学5校で「授業として教えた」内容を1冊にまとめてある。法則の1番目は「1時間目の授業」という具合に5時間授業になっている。生徒の検証を終えて書かれた珍しい本である。ここにも自ら本を書くに当たって、瀧本さん自身の冒険が読み取れる。


基本は、「課題の解決」ではなくて「課題を発見する」チカラを養うことにある。「課題の解決」ならば、それは受験勉強で、与えられた問題を解くだけの世界である。「どうも変だな?みんなはそう言うけれど、違う気がする。」など、イギリスの17世紀の哲学者フランシスベイコンの「知は力なり」をキーワードに実践していく薦めの本である。実際のデータを積み上げて「論より証拠」を提示する。取り上げられてる人物はニュートン、フランシスベイコン、ナイチンゲール、コペルニクス、ヘンリー・フォード、海軍軍医高木兼寛(脚気の原因を栄養不足に求めて森鴎外と対立)、大村智(ノーベル化学賞受賞)、ビルゲイツ、エジソン、加納治五郎、ベアテ・シロタ・ゴードン(日本国憲法に男女平等の概念を明記させたGHQと日本側との通訳に入った女性)、ココシャネル、伊能忠敬、サッチャー、コペルニクス、J・Kローリング、緒方貞子さんなど。彼らの生い立ちを含めて伝記的な記事も多くて読みやすい。


共通は全員実践家であるということ。生きた時代が違っても、前例がなくても(前例がないから、その空白地帯に旗を立てた人たちである)。14歳と言う年齢は、大脳も柔らかくて、脱脂綿に水がどんどん吸収されるように思う。made in japanではなくてmade in worldを目指して生きて欲しいという著者の願いが篭った本であった。そして著者は「みなさんが世界を変えようとするとき、自分の夢をかなえようとするとき、周囲の大人たちが応援してくれると思ったら大間違いです。大人たちが応援するのは、自分の地位を脅かさない若者だけ。つまり、世界を変えない若者だけです。」と付け加える。公務員の世界や大きな民間企業や学校の世界も政治の世界についても言える。「世代交代だけが、世の中を変える」(科学史家 トマス・クーン)


この本を読んで思い出したのが、先日、NHKのEテレで「水曜日のカンパネラ」のボーカル・コムアイと対談していた松岡正剛さんが高校生のため書いた「17歳のための世界と日本の見方」(春秋社)であった。歴史や出来事を縦関係ではなくて、横の世界とのつながりの中で意味を持たせる編集力を加えた本で、暗記物の歴史が日本史と世界史がつながる不思議な本である。また世界宗教の歴史までわかるようになっている。

 

 

 

 

以下、13歳14歳向けの本を掲載しますが、筆者は池田晶子さん以外は未読です。中学3年生へ向けて、たくさんの本が書かれている。しかし2016年厚生労働省は、子供の貧困率は16.3%と発表。一人親世帯は54.6%。

筆者のパニック障害その後!

パニック対処に必要なゆったり感。

何度かブログで私のパニック障害について書いてきた。10代の末(自宅浪人中)、突然パニックに襲われて父に札幌の救急病院へタクシーで運ばれた。胸が苦しくなってきて、いてもたってもいられなくなったのである。原因は自宅にこもり過ぎて、閉塞感が心身に影響を及ぼしたのではないかと今なら言える。それにしてもあの苦しみは50年経過しても残っている。それが20年を過ぎた30代後半に再度出てきてからは、満員電車で何度も発症した。体がパニックを覚えてしまったのである。私もこういう環境下になると胸が苦しくなると反射的に落ち着きを失う。当時は数字を追い求める営業にのめり込み、家庭を顧みず生きてきたツケなのかとも反省したが、とうとう49歳で急性心筋梗塞を起こして人生2回目の救急車のお世話になった。パニックと心筋梗塞は直接の因果関係はないかもしれないが、どちらも胸が苦しくなることについては同じである。60歳を過ぎて、数字の世界から離れてパニックは遠のいた。混んでる帰りの電車にも「ええい、乗ってしまえ」と気合を入れて乗り込めば何とか自宅まで安全に帰宅できる。パニックにやられる前に、こっちからパニックを退治するぞ宣言である。ただ、パニック障害については、同病で苦しんだ人とは軽快な会話ができるが、未経験者には「何、それ?」とけげんな顔をされた。現在では、知る人も多いが、病気は総じてそういうものだと達観する。まだ新幹線(窓が閉塞している空間)で自身の体がどういう反応をするか試していないし、飛行機を拒否してきているので旅ができるか不安は残る。娘の結婚式に福岡空港まで妻に迷惑をかけて往復したのが最後、15年乗っていない。棺桶に入る前に私のパニっク障害完治宣言をしたいものである。がま口には石ころを2つを友にしている。まさかのときに石を握って気持ちを分散させるためである。パニックに苦しむ女性からもらった石だ。呼吸で吐き続けて息を整えるのがいいと本には書いているが実践できず、すぐに吸ってしまう。泳ぎもダメな筆者である。世間と数字に溺れた人生であったのかと歎ずる次第だ。

地球最後の日のための種子。NO2(ブログ800本目の再録)

地球最後の日のための種子 NO2。 800本目

飢餓から守る活動をする3人の日本人について。

昨日の続きである。核戦争があって、人類の大半が死滅することがあっても残りの人たちが再び農業を再開できるよう、現代版『食糧のノアの箱舟』がノルウエー最北のスヴァール諸島に築かれた。永久凍土の地下に200万種に及ぶ食糧の遺伝子情報を管理して、いつでも人類の食糧危機に対応できるよう、各国多くの政府と共有している(昨日のブログ写真参考)。

ノルウエー・スヴァール諸島の位置

ベント・スコウマンはそこの所長である。ここで本書に紹介されていた3人の日本人がいた(現在もいる)。一人は岩手の盛岡で岩手県農事試験場に1930年から35年まで勤務していた稲塚権次郎(いなづかごんじろう)。『ダルマブーツ』と『ターキー』という2種の小麦を組み合わせて『農林10号』を日本の品種として育成した。何度も繰り返すメキシコ・アメリカの小麦危機を救おうと(緑の革命と呼ばれる)稲塚の育種した『農林10号』を米国農務省の代表がワシントン州立大学の研究室に届けられた。

 

小麦としては背丈が45センチと低いが、1946年占領下の日本から届けられた。これをアメリカの小麦品種と掛け合わせる仕事に着手。1950年代初頭になって、『農林10号・プレヴォー』が開発されて商用価値が出てきた。当時メキシコでは収量の多い病害に強い品種が好まれたが、いかんせん背丈が高くて強い風で倒伏した。短い背丈の頑丈な茎の小麦があれば解決できる。そうして選ばれたのが『農林10号・プレヴォー』で、これと背丈の高いメキシコの品種と掛け合わせて7年間の失敗を繰り返し、新品種を開発できた。成熟も早く、多くの種子もつけて、あらゆる気候に適応し、どのような土壌でもよく育ち、水の多寡も問わない。世界中のどんな緯度でも作れる品種だ。世界の飢えを救う小麦に成長した。日本人は彼のことをもっと知っておくべきだ。

『農林10号』をきっかけにして開発された小麦品種はこれまで飢えで苦しんだインドやバングラディッシュにも植えられ、食べられたのである。これもメキシコに本拠を置く『国際トウモロコシ・コムギ改良センター』の大成果であり、陰に日本人の稲塚さんの育種した『農林10号』が大貢献している。当時、この組織でタクトを振るったベントスコウマンの尊敬するノーマン・ボーローグ(最下段に彼の伝記がある)にはノーベル平和賞が授与された。飢えに苦しむ人々を助ける学者ボーローグに面接してベントスコウマンも働くようになったのである。

二人目は、田場佑俊(たばすけとし)という科学者である。同じ研究センターでスコウマンが小麦であれば、田場さんはトウモロコシを担当、スコウマンと密接に対話して品種改良や世界の飢えと戦ってきて、田場氏は現在もメキシコのセンターでトウモロコシ部門での研究で所長を務め、タクトを振るっている。

(写真を探したがグーグルに未掲載であった)

3人目は岩永勝(いわながまさる)。センターの財政や作物の遺伝子情報を独占しようとする民間の企業との闘いを含めて元CIMMYTの元所長であり、どちらもスコウマンから絶大な信頼を置かれた日本人である。もともと日本は農業立国であり(ちなみに戦前の農業従事者は50%、サラリーマンは30%)、稲や小麦の品種改良は昔から地味に研究を積み上げられている。

 

ただ、前回も書いたが、1品種だけの繁栄や多収穫では伝染病が襲うと一気に飢餓に見舞われる。食糧は未来に何が起きるかわからないから多様な品種を育てていなければいけないのである。私たちが口にする作物について、もう少し啓蒙的な番組や記事、未来の食糧を考えた、小さいころからの学校の授業を、投資の教えたりするより早い段階で教えないと、自然を離れて生きる子供たちが、毎日口にする食べ物がたくさんの人たちの品種改良によってなされているストーリーが失われる気がするのである。

昨日も書いたが『お金があれば食べれるわけではない。安全なタネがないと食糧はできない』ことを学び続けたい。『もし種が消えたら、食料も消える、そして君もね。』架空の未来談ではないのである。現在進行形の話である。しかも皮肉なことに小麦の原産地はシリアのアレッポあたりらしい。アフガニスタンあたりも。原油が出なければ穏やかな乾燥地帯に強い麦を栽培する中東になっていたかもしれないと妄想するときが筆者にはある。

ノーベル平和賞受賞ノーマン・ボーローグ 翻訳 岩永勝