コロナと買いだめ、品不足。

コロナと買いだめ、品不足

災害が起こるたびにスーパー等での品不足が話題になり、
メディアは買い占めする人間のモラルを問うという論調になります。
が、これは消費者がこぞって買い占めに走ってるからではなく、
流通の構造上の問題です。
つまり、製造から販売までのチャネルのすべてで徹底的に在庫を減らし、
効率化してきた結果の、やむをえない現象です。

昔の感覚で考えれば、製造工場や問屋には商品が溢れていると思いがちですが、
現在では、材料は入荷した端からラインに流れ、
保管時間は最小限に抑えられ、仕がかり品や製品も
絶えず次の行程に流れていき、滞留する時間はありません。
問屋も同様に、入荷された商品はすぐ小分けされ、
小売に配送されます。そして小売には、バックヤードの在庫はほぼなく、
品切れの直前に次の配送が届くようにスケジュール化されています。

つまり工場内から小売店頭地点まで、無駄な在庫を作らないことで
競争力のある販売価格を生み出しています。
もちろんスピーディな配送は、商品の鮮度も高めるでしょう。
コンビニでさえ数千と言われるアイテムを人間が管理するのは不可能なので、
ITが仕切っています。POSレジスタが記録した販売データを元に
今後の販売を予測し、工場から流通までその情報を共有することで、
向こう何日後までの生産、流通のスケジューリングがされているわけです。
これは単一企業グループ内だけのことではなく、
現在流通に関わってる企業は、すべて何らかの形でこのネットワークにつながってます。
そうでないと生き残ってこられなかったはずです。

そんな中で、コロナの報道などがあれば、特に買い占めをしなくても、
例えば、消費者が買い物のついでに予定のなかった納豆を1個買えば、
たちまち品切れを起こします。買い物カゴに収まる範囲で、
データでしかわからないほどの少量を買い足しただけで起こる現象です。
カート3.4台分を一人で買うような客が
各レジに10人以上続いているというのでもなければ、
原因は、我々自身のほんのちょっとした買いましにあるわけです。

商品をほしい時にいつ行っても棚に並んでいて、なおかつ別な時間帯に行けば
同じ場所がその時欲しい物に入れ替わっていて、しかも安く、常に新鮮である。
現代の流通システムは、そんな虫のいいニーズに応えるために編み出されたシステム
です。ちょっとしたイレギュラーがあれば品切れを起こしやすいですが、
品切れといっても、売れたとしてもあとほんの2.3個だった、などという場合には
むしろお客様にがまんしてもらい、1ロット余計な発注をして
商品ロスを出さないほうが、低価格を維持できます。
工場や、さらに現代では海外の生産者や製造元まで見通した効率化が、
海外からも異常に安く品質が良いと言われる日本のコンビニ、スーパーの秘密です。

ちなみにスーパー内部情報では、春のコロナ時期には、なぜかホットケーキミックスが
底をつきました。これもまた工場の原料仕入れ計画から見直さなければならないので、
そう簡単に回復しないかもしれません。もし運良く見つけたら、買っておいてはいかがでしょう。

「過去を支配する者は未来を支配する。そして現在を支配する者が過去を支配する」

『文明が不幸をもたらす』(クリストファー・ライアン著)に引用された英国の作家、ジョージ・オーエルの言葉だ。また、現在を支配する者は誤った過去を長く伝えてきたとも。『過去を支配する者は未来を支配する』とはどういうことか。国レベルで考えるとこうだ、『日本は太平洋戦争で世界中、とりわけ真珠湾でアメリカの軍艦を襲撃して沈め、第二次世界大戦を起こすきっかけをつくった。なので、戦後は軍事力を骨抜きにする』。現在はアメリカの防衛産業の売上のために中古の武器や最新の戦闘機を買わされているわけだけど、『日本が軍事行動をした過去がいつまでもアメリカから言われ続けて、日本の未来が支配され続ける(心理的にも)』シンプルな例がそういうことかもしれない。(リメンバー パールハーバー)経済だけに集中できたので都合のいい戦後だったと言う人もいる。

『現在を支配する者が過去を支配する』は『勝てば官軍』のことわざを思い出せばわかりやすい。貧しかったけれど、いまは誰よりも裕福になった人がいるとして、過去を余裕を持って思量できる(あのときの苦労が今をつくってくれた)自分の富の確保のために誰かを犠牲にした過去は忘れるようにして過去を改竄するかもしれない。選挙で激しく戦い勝利を確実にした人がいかにも敗者に思いやりをもって笑みを浮かべて余裕のスピーチをして、歴史に名言を残す(後ろにコピーライターがいるんだけど)などもそういう現象である。

バブル期に流行ったものに企業の社史がある。私の前職で50年史が作られた。しかし、その中身に社内の権力闘争が書かれているだろうか?横領事件があって、横領した社員が首をくくった事件があった。書かれていない。社史を編纂した社長がススキノで豪遊して会社の利益を散在したことを社史に書けるのだろうか?『現在を支配する者は誤った過去を長く伝える』ことに結果的になってしまうが、『活字しか、または写真しか手元に無い人は都合の悪い事件はなかったことで前に進んでゆく』。時間の経過とともに真実は闇の中に入っていく。その社史を取引先へ無料で謹呈した。社長自身の手柄として。そこに不在の人間と死者には反論する言葉がないから言われるまま書かれるままである。

『過去を支配する者は未来を支配する』について、国レベルの話を書いたが、実人生でも他人の過去歴からその人の未来を閉ざしてしまう言動を自分たちがしていないかどうか、胸に手を当てて再考したい。

『一旦、信じた観念をなかなか放棄できない生き物が人間』(町田康)

筆者の思考の歪みを訂正するまたは強化する場所としての図書館

コロナの始まりのころ2月7日のブログ。

このテーマは何度も書いてきたが、『一旦、信じた観念をなかなか放棄できない生き物』が人間だとしたら、どうしたら、その観念を『放棄できて、別な観念を獲得できるの』かということが残る。が、そもそも真実を追い求める欲望がその人にあればの話だ。というのは『考えるのは面倒くさい。私が信じてることはたくさんの共感者がいて、これでそこそこ他人との関係もうまくいく。それをいまさら、違うぞと説明されてもね』という人が案外多い。『理屈っぽい』とか『すぐにあなたは現実を否定する』とか『もっとシンプルに考えたら』とか極端は『あっちへ行け』とまで言われかねない。これはどんな宗教でも信念があるわけだから(ある年齢、ある場所で洗脳され、心地よい暮らしをしていていまさらそれをポイと捨てることがないとしたら)、会話の継続が成り立たないことを筆者は何度も経験した。新興宗教(ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も発生時はすべて新興宗教だ)ここで気づくが『心地よい暮らしをしていて』というところがキーワードで、それが揺さぶられるのが異文化とのぶつかりである。娘が大分県へ嫁いだとき、福岡出身の奥様を持つ会社の同僚から『あそこは男尊女卑がすごいわよ』と電話の向こうで奥様の声。温泉が多い土地だから、温泉好きな娘なので『いい湯だな!』で誤魔化して生きていけると思ったものである。ぶつからないで『ごまかし』も大事でこと。しかし、狭い世界ではなくて、人種的な偏見や肌の色による差別などワールドワイドなことに関して、『一旦、信じた観念をなかなか放棄できない』人々の方が多いのではないかと思う事件が多発している。フェイスブックやツィッターで瞬時に自分の思いを表現できるツール(武器)を装備してから、それでバンバン撃ちまくる人が増えて混乱と偏見が拡散されている。次に来るのは『謝罪』という行為で、それの繰り返しが内外でリピートしている。翻って、自分はどうかと考えると、ブログを始めた6年前、自分の10代後半や20代30代に抱えた観念と現在とどれほど変わったのか確証が持てない。持てないどころか、自分の小さな核みたいなものが肥大化してむしろ偏見が強化されているようで自分に危機感を覚えるくらいだ。