恵み野通信 水子地蔵の賽銭箱盗難ほか

●知り合いが宮司をしている神社境内に置かれた水子地蔵。その賽銭箱が先月盗まれた。以前、本堂の賽銭箱でも壊されて盗まれたことがあるので、いまは午後5時になると鍵をかけている。しかし、外の境内の水子地蔵は小さい賽銭箱でもあり、警戒を怠っていた。被害金額は不明だ。大きな賽銭箱を壊されると、新しい賽銭箱は値段が高い。今後、定期的に賽銭箱を開けてお金を回収したほうが、被害少ないと言っていた。この神社はそれ以外にスコップとかひしゃくとか外に置いてあるものが盗まれる。その一方、使い古しのフトンが捨てられていることもある。「この近くの住民に取ったり捨てたりする癖のある人いるのでは?』という人もいた。

●正月に近づくと喪中はがきが届く。札幌東区育ちの友人から8月に兄が死んだと報告。男の3兄弟で、彼が高2のとき長男が小樽商科大学のプールで心臓麻痺で急死した。3兄弟で残るのはお前ひとりになったなとお悔やみの電話をしたら、「実は3年前、俺も死にかけた。具合悪くて病院に行くと、即入院。敗血症で80%の死亡率だと言われた。3日間点滴して、すぐにリハビリ開始。40日間それを繰り返して退院できたが、筋肉がすっかり落ちて杖を支えにゆっくり歩いている。内臓が敗血症から守られたのが生き延びた要因だと医師から言われたと。大腸菌が血液の中に入って起きる病気だと」定年後、軽登山やウォーキングであれだけ健康に留意した暮らしをしていたのにと思った。自分の近況も話した「50歳の時に急性心筋梗塞で救急車。妻へ主治医から50%の確率で覚悟するよう言われた」と。同じ歳の仕事仲間からも喪中「長男が2年間、難病と向き合いましたが享年44歳で旅立った」と書かれていた。愛知県で教員をしていた長男だと思う。

●今週月曜日から妻が嘔吐と下痢で点滴へ。ノロウィルス感染だ。水曜から私も嘔吐。食欲がない。11月からノロの季節。皆さんもご注意ください。ノロには特効薬はない。点滴と水補給と睡眠だ。せいぜい吐き気止めと整腸剤だけ。コロナより妻はキツイと言っていた。しかし、いったいどこで感染したのかか?妻は私がちょろちょろ動き過ぎるから、ウィルスを運んできたと主張を譲らない。   一寸先は闇続く

全てを批判せずにはいられない人

私も10代末から20代後半まで、何を見ても聞いても気に食わず、文句ばかり言っていたときがあるからエラソウナことは言えない。社会批判、政治批判をするのは当たり前の学生であった。長髪で清潔感のない、市営地下鉄には下駄を履いて乗車、電車に乗ればボックス席では向かいの席へ足を投げ出して顰蹙を買っていた。私の学生時代を知っているいまの妻がそう言うのだから間違いはない。生意気にもほどがあると怒っていた。もう死んでしまったが、育てた親の顔が見たいと。それでも、目の前の人間に向かって批判するわけで、当然、反動が自分に帰ってくる。それを全身で受け止めるか、さらに反論するか、ひとえに自分の度量と自信と知識量と語彙の豊かさにかかっているが、大半、私は敗北だ。その悔しさが読書へ私を向かわせていった原動力だ。

しかし、それから40年が経過して、インターネットやメールによるオンライン上での「特に深い理由もなく」何でも嫌う人たちが増えている記事を読んだ。なぜ、オンライン上で「HATER」(ヘイター)に変貌するのかという分析だ。ふだん会っているときは、そんなそぶりを見せないのに、ネット上になると言葉がきつく批判的になる現象は誰しも経験していることかもしれない。

会ったこともなく、知らない人ならまだ無視できるが(しかし今は被害者宅への誹謗中傷が驚くほど多く、心身のダメージを倍加させている)、普段知ってる人からのケチをつけられる発言は書いてる本人からすると心身にあまり良くない。特に私は心筋梗塞経験者なので心臓に悪い。ドキドキする。ふだん穏やかな人がハンドルを持つと「おい、こら、どこをみて走ってる?このバカ者、さっさとウィンカーを出せ、ドンくさい運転手!」。助手席で聞く私はびっくりだ。180度、彼への認識が変わってしまう。この人は気をつけないと豹変すると。

この豹変はアルコール中毒患者の性格変貌に似ている。アルコール入り・ハンドル握り・言葉や観念を聞いて、どこかのスイッチがONになり、爆発する。なんだろう?私の学生時代の言動が結局、全部自分に跳ね返ってきたように、ヘイトスピーチや相手への否定的な発言はいずれ全部自分に帰ってくるのだと思いたい。それでもいいというなら何をかいわんやである。

「みずからが社会的に注目され快感を覚えることと、周りへの嫉妬を覚えることとの間には、原則としてトレードオフ≪何かを達成するために別な何かを犠牲にする≫の関係があると考えられる」(ウェブ人間退化論 正高信男108p)この原則からいくと、何でも批判するということは、絶対に守る自分を偏愛している可能性があると分析できる。こういう人たちは何を肯定して生きているのだろうかと考えると、自分だけの生、自分だけのプライド、自分だけが知っている知識、それ以上に楽しく生きている人々への羨望ではないのかと今なら思う。他者から肯定されなかった自分である。特に小学校や中学でいま猛威を奮っていると思う。

どうか日々を穏やかに暮らして、隣近所に、会社の同僚に自分をさらして生きれるようにすれば少しは改善されるかもしれないね。しかし、この病は重い。電車の中で、気持ちのいい会話(他人に聞こえても嫌味のない会話)を聞くことが少なくなった。

ある研究者がメールを一日何回するかでその人のボキャブラリー度を調べたら(18歳~22歳)、一日15通以上のメールを送る人の語彙数は平均2万5600語、5通しか送らない人は2万9000語。メールをたくさん使う人は語彙数が少ないという結果に。これからの予想では生まれてこの方、携帯文化で育つと日本語の語彙は貧困化することは免れないという予想だ。(ウェブ人間退化論 正高信男 162p)

すべてを批判せずにはいられない人は、たぶん語彙の貧困と感情の貧困、他者から肯定された人生を歩んでこれなかったのかもしれない。本人の責任のないことで差別や卑屈さを身に着けてしまった場合、どうするのか?ヘイターに向かうか、向かわないか。その差はどこから出てくるのだろう?

昨日の匿名と実名の話題に似てきた。最近、気になるテーマなんだね。

絶対的な価値観「健康」と「幸福」(平野啓一郎)

全文はこうだ・・・・。

平野 あらゆる価値観が相対化している現代、最後の最後に万人が否定しない絶対的な価値観が「健康」と「幸福」だ、と僕は思っています。この二つだけは誰も批判しないからこそ、危険なイデオロギーになり得る。「生命力の行方」~変わりゆく世界と分人主義~ 講談社59p 〈中島岳志さんとの対談で〉

1975年生まれの作家平野啓一郎さん。〈健康の帝国〉というブログを掲載したことがあるので平野さんのこの発言に膝を叩いた私である。

病院には来なくてもいい、薬なんて飲まなくてもいい、検査なんて何度もしなくてもいい、デパートの袋に貼り薬から漢方薬まで山のようにもらって帰る医療費1割負担の老人を見て、税金をたっぷりいただく病院や調剤薬局、薬メーカー、医師の暮らしを安定させるだけ〈健康という名のイデオロギーに全員麻痺しているのでは〉と疑念を持つのは私だけだろうか?健康に名を借りて既得権をむさぼる日本医師会と製薬メーカー、厚生労働省の罪は重い。

1か月に3回、私は血液検査をされたことがある。各病院で検査項目は違うからして欲しいといわれる。日を改めてコピーで持参して・・・でOKなはず。そうすれば医師は節税に貢献できるはず。絶対的な病気なら全力で治療をしてほしいけれど、多くの通うだけの患者で〈もう薬は飲まなくてOK〉サインをどんどん出してほしいものである。医療費の家計負担も減るし、それで死んだら死んだでしょうがない、次の世代に希望を託そう・・でいいではないか。

災害や事故や故意に死を迎えた人は気の毒であるが、医療制度の既得権益に浸かる多くの機関や人々がこの国の財政破たんに長い間、手を貸してきたという反省の声が出ないのも〈健康という万人が否定できない絶対的な価値観が、実はもうイデオロギーなっていますよ〉とアナウンスすることで失う利益を考えてのこと。個別の利益が全体の損出を招いている図式。政治家も選挙の投票率の高い年齢層だけに、この問題に踏み込めない。心臓の薬をもらいに2ヶ月に1回、近くの総合病院へ行くが、待合室は老人の海である。調剤薬局も満員。『変わったことない?』『いいえ』『では血圧測らせて』『はい』『120と67、いいですね』『次は●●月の●日で、心電図を撮りますから。お大事に』。本当の病人に病院を開放して迅速に対応してほしいと思っているのはわたしだけだろうか?

先週、糖尿の薬をもらいに近所の内科へ。多少、ヘモグロビンA1cが上がっていた。お薬を増やしましょうと主治医から言われたが断った。心臓と糖尿で一日9種類を飲んでいる。「多過ぎる薬だから、薬の量を減らしましょう」とは言わない。2か所の病院だから縦割りになっていて横の連絡と連携がない。