「こんなメールは嫌だ」(NO1)

高間龍一撮影 夕景 御輿来海岸の夕景を撮影に行くも夕日が雲に隠れて残念。 1/1600秒 f/11 95mm ISO400

たくさんメールのやり取りをする中で、不愉快に思うことが多々あると思う。お客さんとのやり取りもあれば友人とのやり取りもあるが、これはいただけないと筆者が思う例を幾つか紹介したい。

まず一人目はパソコンはしないと言っていたので、私のブログは読んでいないという前提で書く。読んでいたらごめんなさいである。まずは中学のクラス会幹事を一緒にしている人からのメール。担任との連絡で開催日時決め、次に場所決め、案内状の作成・送付。参加の可否の確認して彼に結果報告。2年前と参加者変更、それは誰と誰と伝えたが、その後、携帯へ約20行のメールで前回出席者の氏名が書かれて、その中で誰が欠席で誰が新メンバーになったかリピート頼むとのメール。「了解です、18人ですね。」でいいのに突っ込んでくる。電話で、すでに誰々参加・不参加の話をしてあるのに、後は当日を待てばいいだけなのに。ここまで来るのに使った私のエネルギーに何の感謝も敬意もない。まずこんなメールは嫌だの第一は「くどさ」である。

第二は「添削してくるメール」である。私からのメールに必ず1行を空けて、その下に返事と意見を書いてくる人だ。なんだか先生と生徒の関係のようで不愉快である。相手のメールを読んでから、自分の言葉で返事を書けばいいだけなのに「添削されてしまう」。添削好き、俺が物や事をあなたより知っている表明である。部下からの報告や文章を「そうではなく、ここはこう書きなさい」という習慣がついてしまい、退職後も他人へのメールにおいても発揮される型である。仕事をすでに終わって現役を引いているのに可愛そうに癖が取れない。ちなみに第一と第二の主人公は公務員である。

第三は、一方的な見解表明のメールである。あんまりたくさんの人と接触していない人に概して多い、思い込みから発生する一言居士からのメール。映画評論を書いてくるが、「うーん、あんまり話題になっていないだろうけど、感動的ないい映画なんだろうね」とは思うものの、文章に間(ま)がなくて、ひと息つけない。これも疲れてしまう。余裕がない文書やメールをもらうと相手を疲れさせる。ここは役所ではないので曖昧さを大切にしたい。第三も実は元公務員だ。

第四は、ハワイの夕日の風景を送ってくるお金持ちのメール。偶然、東日本大震災のときにハワイに滞在していて、「こちらハワイの津波は10センチ程度」とメールしてきた想像力欠如男からのメール。毎月、ハワイはじめ海外旅行をしないとお金を費消できない可愛そうな人である。もっと別な使い方があるだろうに。知性を感じないお金持ちからのメールも好きではない。貧乏人の僻みもあるが、年齢とともに欲しいものはどんどん減ってくる。それにしたがって世の中が見えてくる。

『人間と機械がくっつく』

高間龍一撮影 ダイヤモンド 開聞岳 年迫った頃、薩摩富士からの朝日 1/15秒 f/6.3 75mm ISO 50

くっつくとは別に糊で付ける訳ではなくて、資本主義の正体、文明の正体は、18世紀以降、『人間と機械がくっつく』ことで説明できるかもしれないと分析した人がいた。アフリカやボルネオの村々の風俗を、機械ではなくて『道具』とくっついている人間が見える。槍であったり、頭に乗せる水汲みの皮であったり、川で洗濯する大きな石であったり、赤ん坊を胸の前で抱っこするお母さんの使う布であったり、トウモロコシや豆を細かくする棒であったり、石であったりする。

そもそも人間の作るものは体の機能の延長で発明され、説明できる。歩く延長は(移動するものとして)車や自転車、さらに動く歩道。バスや電車、飛行機、船。伊能忠敬の時代なら徒歩であった。そして一度機械を使うと止められない性質がある。それを『くっつく』と表現したわけである。こういう簡単な動詞がいま現在の文明の位置や性質をわかりやすく表現してくれるからありがたい。

ブログを書いている私自身はノートパソコンにくっつきながら書いていると表現していい。階下で妻は新聞を読んでいる。輪転機から刷られた紙に『くっついている』と間接表現もできる。家の前をOLがスマホをいじりながら出勤していく。スマホが手に『くっついている』。向かいのガレージが開けられて車が出されて仕事場へ向う。彼に自家用車がくっついている。人間にある様々な欲望を機械が実現してくれるというわけである。早い、便利、快適に生きたい、そのために機械にくっつくことで実現させる。

電化製品も電気と『くっつく』ことで、その機能を発揮させる。ブラックアウトでどれだけ家中が電気にくっつくことで生かされているか骨身にしみた。ある人が『自立している乾電池の偉大さを胆振東部地震で感じた』というフレーズが印象的であった。小さなバッテリーもそうだし、システムではなくてバラバラな物であってもそれ自身動く・作用する物はやはり凄いと筆者は感じる。それに似ているのが自転車で、足の力で動力を伝えてより早く走る、システムに依存しない機械だ。地震が起きても、決まった時間に自転車で出社した新聞社の人がいた。新聞社は自家発電が動いて様々な業界の人がスマホの充電にやってきたと言っていた。帯広の四つ葉乳業も牛の乳を捨てることなく、自家発電で動いていたが、こういう設備を持つのは例外的な会社で、やはり電力と電線にくっついてかろうじて文明を維持していることだけは疑えない。

それを見透かして、早々とほくでんは泊原発再稼動に舵を切りそうである。案の定のブラックアウトを利用して、泊が動き出しそうで、しかも寒い北海道が始まっているから『シメシメ』である。放射性廃棄物の処理が決まらないのに、後世にツケを回す癖の世代の横暴である。いずれ誰かが発明や発見をするだろう。幌延や石炭跡地の廃坑を利用してやってくれ・・とでも言うのだろか?原発で稼いできた様々な人たちの罪は重い。ウランとくっつき過ぎである。

応募ゼロ。営業職の人気凋落!

高間龍一撮影 鷹匠操る 中津市に表敬した鷹匠 1/2500秒 f/5.6 105mm

地元では名の通った広告代理店で「営業を募集」したら応募がゼロであった。幸い、新卒でひとり採用できて良かったと胸をなでおろしていたが、私が27年在籍した会社も営業職での募集に67名が応募してきて、ホテルの宴会場に長椅子を並べてペーパー試験、次は「私のPR」というテーマの作文であった。最終面接に4人が残り、運良く私ひとり採用された。それも人事採用者が大学退学者であった偶然も重なっていたかもしれない。私との境遇の共鳴があったのではといまでは思うのである。

だから「営業職」というのは、確かに大変で毎月(毎日)外回りをして数字を出して、目標の数字を狙い達成してゆく作業であるが、私が在籍した会社はノルマが緩くて、達成しなくても「仕方ないね、来月頑張ってね」で大方終わった。もっと厳しい数字の世界で筆者は働いていたことがあるので、「えっ、こんな仕事でいいの?」とどこか心の中で、当企業以外を知らない生え抜き連中を小馬鹿にしていたところがある。どの業界もそうであるが、新規開拓は至難である。一度、開拓しても継続性がなくてすぐに別な同業者に横取りされる繰り返しであるから、こちらも別な業者のスポンサーを横取りに行くという、いまで言うひかり通信の電話営業に構造的に似ている。

しかし、みなさん勘違いしているのは、数字は一人で作るものではなくて、メディアや会社の同僚、デザイナーやコピーラーターとの共同作業でやらないといいものができないということで、がっかり感を共有し、成功体験も共有してきたということだ。喜びの宴は「うなぎ屋」でランチする豪華版。現在と違い、個人が分断化される前の企業風土なら、「営業職もこんなに不人気な業種にはならなかっただろうと思う」。いったいいつからこんなになったのか?私のみるところ、証券や銀行の営業職のコゲ付きから担当営業の責任(しかし、それは企業の責任なのだ)とされて、転職や退職に追い込まれて、そのニュースや雑誌記事が充満した時代が長かったからではないだろうか。営業のきつい会社は大体、社長も営業上りが多い。

もちろん、営業はいったん外に出ると自由でパチンコをしたり喫茶店で将棋を打ってる強者もいたが、中には自宅のアパートで前日の酔いを取るため寝ているものもいたが、総じて真面目であった。真面目でないと相手は付き合ってくれない人が多かった。まさか「遊ぼうよ」とお客さんのところへ行き、ゴルフやススキノで飲め屋歌えで仕事を取る人もいたらしいが伝説である。昼休み、コンビニの駐車場でオニギリを食べ100円コーヒーを飲んでいる営業マンを何人も見る。昔の自分を見る気がするが、後ろを歩く若い世代のお手本になるよう、個人より共同作業の営業を示してほしいと切に願う。それが営業再生・少しでも応募者を増やす近道だと思うからだ。